さいきんの流星光
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■「何がやりたいのかわからない」


僕は、この言葉、何度も言われたことあります。


僕が漫画を描いて発表すると、高確率で言われる言葉。

そして、この言葉を言われると、僕は激しく落ち込んで
次の作品を描く意欲を奪われる。

だから恐怖の言葉でもある。



ほんと言うと、
そういうのに憧れて、ちょっと目指している部分もある。

どんな風にも受け取れる感じ?

漫画を読み終わっても、いろいろ考えさせられるみたいな作品。


でも、僕が言われてるのは、少し違う。

説明が下手で、どういう意味なのかよくわからない、
というニュアンスも含む「よくわからない」だと思う。


そう思う根拠はある。

自分が描いたものを読み返してみて、

「あ、ちょっとココわかりづらいかな」

と感じることもあるんだけど、正直、もう直すの面倒なんだよね。

だから直さない。

もう、面倒だから、これでいいや!

そう思ってしまう。

ダメですね、それじゃ。

物を作る人間としては、失格だと思います。(-_-,,)


僕の、そういう性格の弱さ、詰めの甘さが招いたことなんです。

わかってるんです。



■描き続けるためには


それでも描き続けなきゃ!

このダメージの大きな言葉に対して、どう対抗措置をとればいいのだろう。

心の中で、どう反論すれば続編を創作する意欲が持てるだろう。


そうだ。

わからないのは、第一話しか読んでいないからだ。

48話分まとめて読めば、何がしたいのかわかる。

そう考えるようにしよう。


人は、作品の片りんだけでは、
それが何なのかわからないんだ。

僕は描き続ける必要がある。

全体の形を、みんなに見せる必要がある。

やり続けて、初めて感想を言ってくれる。



てゆーか、ちゃんと描け!ってハナシですけどね。

わかりづらい部分は、わかりやすく描き直せ、というハナシです。



■クリエーターは孤独な旅人


何か一言、批判的なことを言われたり、
良くない感想を言われたりしたら、それだけで落ち込んで終わる。

やる気がなくなる。

もう前に進めない。

何だか、山道をひとり歩く旅人のようだ。

風が強すぎて、目の前の岩山が登れない…。



■家族の一言は最高のブレーキ


家族に、これこれこういう作品を考えている、と話してみて、

賛同を得られなかったり、「えー、そういうの嫌い」とか言われると、それで終わり。

その後に続く、壮大な計画は終了。


家族の反対は、絶大だ。

一瞬ですべてを飲み込む自然災害のごとき力。



クリエーターである以上、ダメ出しや批判はつきもの。

でも人間だから落ちこむ。

描き続けている人は、本当にすごい。



■スーパーマンだけがテレビに出続けられる


テレビに顔や名前を出して活躍している芸能人や文化人たちは
信じられな鋼の精神だ。

まるでスーパーマン。

彼らは、どんな考え方をしてそれらをかわしているのだろう。

いちいちショックを受けていては、身が持たない。

「テレビに出てる有名人なんだから当たり前」

そんな事を考えている人は、想像力が欠如しているバカ者だ。

芸能人も人間。

批判を見ないようにしているのか?
それは聴いた事がある。
芸能人はネットは見ない、と。

だけど最近は、
ツィッターやインスタグラムで
発信するのが当たり前にもなってる。

どうやったってネット情報は耳や目に入ってくる。


どうやって批判や攻撃をかわしているのか…。

知りたい。

出世できる人がやっている 批判を受けてもストレスにしない方法(EL BORDE)



■まとめ



とにかく一歩ずつ前に進むしかないんです。

強風に吹かれようが、嵐にみまわれようが、
岩肌にしがみついて、登り続けるしかないんだと思います。


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ありがとうございました! <(_ _)>



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■今日の決意


もうちょっと笑顔になろう。



■家にいてもいろんな人の顔を見られる時代


最近は、生放送をしている人がたくさんいて、
いろんな人がカメラに向かって話してます。

見てると、何となくわかります。
この人が、いま、幸せかどうか。

それとか、
どんな仕事をしているか。

いや、職種はわからないけど、
その人にとってプラスになる仕事をしているか、マイナスになっているか。

毎日をポジティブに生きているか、ネガティブな人なのかも、
何となく感じとれます。



■内面は外見に出る


人間の内面は外見に出ます。

顔を見ただけで、何となくわかります。


「外見だけじゃなくて内面も見て欲しいです!」

なんて言ってる人、今でもいるのでしょうか。


外見=内面ですからね。

これからは外見だけが命。

僕は、そう思って生活します。


ダブついた体に自信が持てない人は、それが精神にも影響与えます。

自信のなさや、ネガティブ思考を引き起こします。

普通に言ってあげたいです。

痩せましょう。

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■まとめ


とにかく、笑顔 大事。

とは言え、僕は、誰よりも笑顔になるのが下手な人間です。

いったいどうすれば…

僕も、ニコニコ生放送やってます。

チラリと映る僕の顔を見て、
不幸せな人生を送っているように思われているのだろうな。

実際は、そんなに不幸でもないんですよー!



■まとめ 2


子供のうちから徹底すべき、と僕が感じることのまとめ

人と話す時には、笑顔になる。

大きな声で、口を大きく開けて話す。

腹から声を出す。

ちゃんと相槌をうつようにする。

人の目を見て話す。

これ、大人になるまでに出来るようになってるかどうかで
人生、変わる気がする。



僕も、

せめて店員さんに笑顔を向けられた時くらいは笑顔になるようにしよう。

その瞬間だけが、訓練できる瞬間。


以上でした。


好感度は「自然な笑顔」から、苦手な方にコツ教えます(NIKKEI STYLE)



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■作者の夢


子供のころからフジテレビの『世にも奇妙な物語』の大ファンだったという作者が、
ついに自分で原作を書いてしまった、というのがこの短編集。

実際の『世にも奇妙な物語』のように、全5話で構成されていて、
オチのつけ方なんかもテレビのまんま、という感じの小説です。

実際に『世にも奇妙な物語』のプロデューサーに会ってインタビューしたとかで、
『世にも…』愛を感じる一冊でした。



■僕も原作にしてほしかった


僕もいちおう元漫画家なので、
自分が描いた読み切りが『世にも奇妙な物語』に原作として取り上げられないかな~
とか考えていた時期があります。

石黒正数(漫画家「それでも街は廻っている」など)さんの漫画が『世にも奇妙な物語』の原作になったし、
その前に大御所・諸星大二郎(漫画家「復讐クラブ」「妖怪ハンター稗田礼二郎シリーズ」ほか)さんがいくつも原作になってますよね。

なので、頑張っていろいろ考えてたんですが、アイディアが中途半端でとん挫してしまったりしてダメでしたね。

やはり、やる時は、気合を入れて最後まで完成させるつもりで立ち向かわないと、
どうしても次の予定とかが迫ってきて、
中途半端で放置されることになるというのが世の常。

今なら時間もあるし、発表の場はいくらでもあるんだから
どんどん描いて発表していけばいいのにね。

たま~に『世にも奇妙な物語』の新作がテレビで放送してると、
当時に戻った気持ちになって、不思議な気持ちになります。



■よみがえる青春


斉木しげるさんがやってた深夜版の『奇妙な出来事』も見てたけど、
タモリさんがストーリーテラーやり始めてからの『世にも奇妙な物語』も好きでした。

1990年放送ですね。
■世にも奇妙な物語(ウィペディア)

ちょうど僕がアシスタントとしてプロを目指して修行してた時期です。

確か、週イチで放映してた時期もありましたよね。
だんだんネタが尽きてきたのか、スペシャル版のみの放送になってしまったけど。

僕の青春時代から現在まで、ずっと放送してくれてるドラマシリーズです。

何だか、特別なものを感じてしまうのは、僕だけではないはず。



■『世にも奇妙な物語』ふうのオチ


『世にも奇妙な物語』って、オチがちょっと独特ですよね。

強引というか…ちょっと納得いかないっつーか…
そんな感じのオチが多い気がします。すみません。

中には、ものすごく腑に落ちるオチだったり、
すごく深いオチだったり、キレイなオチだったり
かなりまとまったオチのパターンがあるんですけど、
そうなると自分の中の『世にも奇妙な物語』っぽさに反しているというか…
難しいものです。



■まとめの感想


面白かったです。

小説の帯には「オチがすごい!」って書いてましたけど、
普通に面白かったです。
小説家の底力を感じた一冊でした。

朝井リョウさんの小説は、『桐島、部活やめるってよ』に続いて
これで二冊目でした。


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僕が草野球から学習したこと


■人間は緊張する


良いパフォーマンスを発揮するために大切なのは、リラックスすること。

しかし、人間は、勝負ごとにおいて、緊張する。

一瞬の勝負ならなおさらだけど、
長い試合時間の中でも、緊張の瞬間は何度もおとずれる。

人は、そういう時、身構える。

例えば野球の三塁手の場合、
投手が投げたボールを打者が打つ瞬間、もっとも緊張するという。

打たなければ緊張はとける。
見逃し、ボール、空振り…いろんなケースがあって、
野手は、緊張の瞬間と力が抜ける瞬間を何度も何度も繰り返す。

何度も繰り返すと、体が固まってくる。

特にうなじのあたり、背骨がぽこっと出ている部分の周辺が
まず凝り始める。
その凝りは、すぐに肩に移り背中全体に蔓延する。

体はがちがちになり、エラーが発生する。

緊張している状態では、良いパフォーマンスは発揮できないからだ。



■究極のジレンマ


宮本武蔵が、刀で殺し合いをしていた時代。

僕は推測する。
いかにリラックスできているかが勝負を分けたに違いない。

命のやりとり。

負けたら人生が終わる。

死ななかったとしても、大けがを負う可能性がある。

まさに人生の大勝負。どうしても緊張してしまう。



緊張すると固くなって動けない。

良いパフォーマンスを発揮することができない。

結果、負けてしまう。



■いかに命を捨てられるか


命は大事。死になくない。
自分には、妻と幼い子が…
そんなこと考えてたら勝てはしない。

もう死んでもいい。

もうどうでもいい。

ていうか、もう死んでる。
ここはもう死後の世界。
命なんて、いりませんもん僕。

そんな風に考えなくては、やってられない世界なのだ。



■まとめ


たとえ草野球といえども、死んだつもりになって試合にのぞめ。

それが、僕が草野球から学んだこと。

死んでるんだから、どんな失敗しようが関係ない。
よって、力も入らず、最高のパフォーマンスを発揮できるのだ。



最近の僕は、プレイ中は、守備の時も打席に立っている時も、

なるべく力を抜いて、ふにゃふにゃクネクネ動いて、

ふざけてるのかと思われるくらい変な動きをしてます。


昔、高校野球で、

打席で、ものすごい変なポーズ取って審判に叱られた選手いましたよね。

あんな感じになってるのかも知れませんね。

はははは。^^;





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(ネタバレ注意です!)








『君の名は。』をもう一度鑑賞したので、
一度め見た後よりも、
もう少し頑張って意見をまとめてみました。

※みつは(みつはin)=外見も中身もみつは
 みつは(瀧君in)=外見はみつは、中身は瀧君




■ストーリーは理解した



ストーリーは、わかりました。

僕がわからないのは、どこで感動すればいいの?というポイント。

大きな感動ポイントは、3つある。

1、二人が初めて出会うところ
2、町の人たちの命を救うところ
3、二人が再開するところ




■ご神体の山頂で



時は現在。
山頂に行った瀧君(瀧君in)は、みつはの口かみ酒を飲んだ直後
転んで頭を打って気を失って、三年前の世界にいるみつはと入れかわる。
瀧君は、意思を持って、三年間の時をさかのぼったと言っていい。

  三年前の世界に飛んで、みつはになった瀧君は、
  町の人たちを救おうと奮闘する。
  その途中で、急にご神体の山頂に何かの気配を感じて一人で山を登り始める。

現在。
山頂では、瀧君が気絶から目覚める。
瀧君の中身は、みつはだ。
瀧君(みつはin)は、目覚めて、歩き出す。

  三年前のみつは(瀧君in)も山頂に到着。
  同じ場所に立つ。

場所は同じだけど、三年前と現在なので
お互いの姿は見えない。

でも、すれ違った瞬間、お互いに何か気づく。

※キーワード:たそがれ時

夕刻、恋人同士が相手呼び合う、みたいな
「たそがれ時とは、そういう時間なんです」
と古文の授業で習うシーンが挿入されていた。

※あの古文の先生は『言の葉の庭』に出てきた先生という噂。

で、夕刻のその一瞬、瀧君とみつはは、
向かい合ったお互いの姿を見る。

ここで僕としては、頭が混乱してしまったんだよな。
同じ場所に立っているとはいえ…
三年前と現在がつながる…ってどういうこと?

えーと、例えば三年前の6/8と現在の6/8は、
確かに同じ日付けではあるんだけど、
それに何か関連性があるのか?
それって、地球の自転とか公転の周期によって作られた日付けだよね。

だとしたら時間的に…かなり離れているはず。

三年間も時間のヘダタリがある。
全然違う時間帯だよね!って思ってしまうんだけど、
僕が間違っているのでしょうか。


ぶっちゃけ僕は、一年くらい前に、時間に関して次のような結論に達したのだ。

時間とは、行ったり来たり出来ないものである。
時間とは、そういう種類のものではない。
よってタイムトラベルは不可能。

それ以降ぼくは、過去と未来がどうとか
タイムスリップとか、そういうのが話の中で出てくると、
もう…頭の中がもやもやして素直に物語に入っていけない。

厄介な事になったよ、まったく…(-_-,,)

また話が反れた…orz



繰り返しになるけど、
すれ違った瞬間、お互い何かに気づく…って、
やっぱり納得できない!
同じ日の同じ時間帯ってことかもしれないけど
三年の時間の差はどうなる?



■ストーリー構成を見直す 結局どういうこと?



すでに死んでしまっているみつはの残留思念が
三年後の瀧君の脳みそとつながってしまった、ということか。

「糸守町を救って! 瀧君!」

みたいな感じなのだろうか。

そういう思念が働いたという事なのだろうか…???



当然、同じ時間軸に生きている女子と入れ替わっていると思い込んでいた瀧君は、
その事実を、そして、みつはがすでに死んでいる事を知って愕然とする。
(糸守町近くの旅館にて)

で、もう一度みつはと入れ替わるために、山頂を目指して登り始めるんだよな。


みつはの残留思念が、瀧君に過去の糸守町の夢をみさせた、というところまでは良い。
僕も納得できる。

みつはの魂の叫びだったのか?
そういう感じも良い。

で、その事が原因で、瀧君は彗星落下について、糸守町について知ることとなって、
糸守町を救えないか、と考えるところも良い。

瀧君が、山頂に登った状態で、みつはと入れ替わったことで、
みつは自身が、彗星落下で消えた糸守町の姿を目にする。


たそがれ時が終わった時、二人の魂は、もとの体に戻っていた。

三年後の糸守町の姿を見たみつはは、以前のみつはとは違っていた。
町の人たちを救うために父親の元へ走る。

そして、父親の説得に成功した…んだろうな。

で、過去が変わった。
町の人を救うことができた。
めでたしめでたし。

うん。
ストーリーとしては、良いんじゃない?

過去を変えるなんて不可能という考えの僕としては
納得できない部分はあるとしても、
ストーリーとしては、悪くない。



■感動ポイント どこ?



でも、町の人たちを救うというところが感動ポイントなら…
もっと、町長である父親を説得するところとか、
町の人たち全員を説得するところを見せるとかしなくてはいけない。

実際に肉眼で、消えた糸守町を見て、
ものすごくショックを受けるところとか。

「わたしがやらなくちゃ! 町の人を救わなきゃ!」
って走り出すところとか。

そんで、やっと避難させる事に成功したー!
やったー!っていうね。

そこ、めっちゃ感動ポイントだろ。

だけど、そこは完全に省略してしまってる。

元に戻ったみつはが、父親に迫っていって、
父親の表情が一瞬変わる。
そこまでで終了。

あとは彗星落下の大スペクタクルシーン。

見ていて、感動シーンすっ飛ばし、という感じだった。



■3つ目の感動ポイント



で、二人は、彗星落下の後、
お互いのことをほぼ忘れてしまう。
キレイさっぱり。
「何かがあった」というくらいの記憶はあるけれども、
ほとんど記憶は残っていない。

みつはは、生きている。東京で。
瀧君も、東京で生きている。

そうか。
糸守町はもう無くなってしまったから
住民は別の土地へ行く以外に手段はなかったんだ。

ま、それはいいとして、
瀧君とみつはが、東京で再会するというところが
もう一つの感動ポイントだったはず。

でも、そこも、よくわからん感じで終わってしまった。

電車で見て、追っかけて行って声をかける、とか…
もう少し工夫が欲しかったな。
肩すかしだったな。



■まとめ



つまり『君の名は。』という映画は、
町の人たちの命を救う、というところと、
ずっと会っていなかった滝君とみつはが再開するところが、
大きな感動ポイントとなるはずだった。

だけど、

どっちの感動ポイントも、中心を射抜くことができなかった矢のごとく、
的を外れてしまった感がある。

結果、風景描写だけが見事だけれども、芯がはっきりと見えない映画が出来ました。

というのが僕の評価です。

確か、上映当時、新海誠監督がどこかで、
「スポンサーの言葉を聞きまくりました」
とか言ってた記憶が…不確かな記憶ですが。

それが原因だったのかな。

新海誠さんが、好き勝手に作ったら、
なんか、もっと暗いラストになっていた気がします。

僕的には、そっちの方が好みだったかも知れません。






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『マンガでやさしくわかる 論文・レポートの書き方』(吉岡友治著/青木健生シナリオ製作/山本幸男作画)日本能率協会マネジメントセンター 読了しました!!

マンガでやさしくわかる、とは言え
論文・レポートに関する本なので、
大学生でもないし、
フツーの大学に行ったことも、
行くための勉強もしたことない僕にとっては、
ちょっと難しいんじゃないか
なんて警戒して読み始めたんですが、

書かれてあるのは、
本当に基本的な文章のルールばかりで勉強になりました。



野球のルールなんて簡単ですよ~って言われて参加した草野球で
たまたまランナーで出た二塁ベース上で、

「ツーアウト」

という事をめっちゃ協調してくる三塁コーチに
どうしていいかわからなくて

「ツーアウトだから、なに…?」

って困ってる人みたいになるかなと
思ってたんだけど、安心しました。




本の中で、僕が印象に残ったのは、

「論文は、そもそも自分の考えを書くものなのだから、語尾に『~と思う』『~と考える』なんて書く必要はない」

という一文。



さっそく、ブログを書く時にその手法をつかってみました。

芸術とは、どう違うかを見せ合う遊びである


論文じゃないんだけど…

でも、ブログだって基本的に自分の考えを書くものなんだから同じですよね!

(勝手な理屈…)



あと、接続語の大切さ。

読み手は、接続詞によって次の文章の予測を立てながら読む、

というような事が書かれてあって

なるほど、と思いました。






■結果。



もともと大の本嫌いで、文章書くのも全くできなかった僕なんですが、

少しは、スッキリした文章が書けるようになったかな。

今まで、「~と思う。」とか書き過ぎてたな。

接続詞にも、注意しなくては。



追伸…

「思いました」って書いちゃってるーーー!


ダメだ…orz



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■芸術とは何か



駅前の広場に、一つの彫刻がある。

芸術だ。

駅ビルの6回と7回の吹き抜けの中央に
大きなモニュメントがある。

それも芸術。

玄関のドアノブに、わずかな彫刻がほどこされている。

おや、芸術か?

部屋のドアを開いた時、ドア上部にひっかけるタイプの
ハンガー掛けがある。
くるりんと飾りがついていて、猫の飾りも。

芸術…?

あ、話が反れてしまった。
こんな事が言いたいんじゃない。



■判断するのは観察者



その物体を芸術かどうかと判断するのは、それを見る人間だ。

それを見る人間の社会通念、
周囲は、それを芸術と認めるだろうかという忖度が働いているんじゃないかと思う。

ピカソが生み出した数々の作品を芸術だと人は言う。
岡本太郎の作品も、芸術だ。

しかし、それらを、未開のジャングルで暮らす人たちの前に持って行ったら
「芸術」として価値のあるものだと言うだろうか。

岡本太郎の
自然界で見た事のない、面白い形をした巨大なモニュメントは、
感覚的に神がかったものを感じるかも知れない。
その結果、大切に扱うかも。

だがそれは、物珍しさや大きさによるものが大きい気がする。
我々が芸術作品に対していだくような、不定形の畏怖の念のようなものはない。



■芸術は、ちょい足し



ラスコーの洞窟に壁画が描かれた時代。
ピカソやダ・ヴィンチや岡本太郎がいたら、
同じような作品を描いただろうか。
『ゲルニカ』や『モナリザ』を描いただろうか。
『太陽の塔』を作っただろうか。

芸術とは、芸術家が、彼らの人生で、生まれてから目にしたものを
模倣して作ったものにすぎない。

人間は、ゼロからイチを生み出すことは出来ない。
僕らの常識では、それは、コンピューターに当てはめられる言葉だった。
しかしあえて言おう。
人間だってそうだ。
真っ白の状態から、何かを生み出すことは出来ない。

芸術とは、作者が過去に目にしてきたいろいろなものを
脳内でこねくり回して吐き出した吐しゃ物のようなものだ。

なので、どこまで芸術に入れるのかと問われたら
僕は「すべて」と答えよう。

絵画であれ、文章であれ、ただの文字であれ、物体であれ、
造形物であれ、歌であれ単なる声であれ叫びであれ、
何かしら不明瞭なものであれ、etc…

それらは、作者の脳内でこねくり回された結果飛び出してきた何かであって、
それを我々は「芸術」と呼びましょう、と決めた。

明文化されていなくとも、そんな考えを
誰もが心のうちに持っている。



■芸術はお金と同じ



つまり、お金と同じですよ。

これからは、この紙を、金(GOLD)と同じ価値があるものとして流通させましょう
と、決めた。

この紙を、金(GOLD)を持っている証明書として、発行しましょう。

この紙の取引によって、金(GOLD)をやり取りしているのと
同じ意味にしましょう、と決めたのだ。


「芸術」

と言った瞬間、人の行動が、すべて許されるのはそのためだ。



■結論



人間は、初めて見るもの、珍しいものに価値を見出して、ありがたがる傾向にある。

過去に受け取った情報をこねくり回した結果生まれたものでも、
何か新しい要素を加えたり、
見る角度を変えてみたりしていることが興味を引く。


どう違うか。

それを競い合う遊び。



それが「芸術」の正体である。

と僕は結論づけた。





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