小学校1年生になったら野球がしたいと言っていたリョー坊のために、就学してから毎週月曜日に連れて行ってた地域のスポーツNPOが主催するキッズソフトボールクラブ。
昨日が最後の練習となった。
このクラブに入った当初は、他の子供達やコーチもいたのだけれど、2年後にはリョー坊一人になってしまった。
だから去年の今ごろもクラブの閉鎖が取りざたされたのだけれど、当時の会長さんがそれを1年先延ばしにしてくれたのだった。
そういうわけで、今年1年は、照明を点けに来てくれるKKTジィサンとボクとリョー坊の三人で自主練習を続けていた。
自主練習の内容なんてのは実に一般的で特別なことはやってない。
だけど、特別なのはグランドを一人占め(三人占め?)にできること。
アップ、キャッチボール、ピッチング、ノック、バッティング、グランド整備。
これらを間を置きながら15分~20分でやれば約2時間はアッという間。
そんな練習をリョー坊はいつも楽しみにしていた。
ボクもKKTジィサンもそうだった。
「今日は最後だから存分にいいですよ」
KKTジィサンの言葉に甘えてロングティーをやった。
S小グランドで硬式球を使ったバッティング練習は御法度なんだけど、センター返しを中心に木製の短尺バットで約50球。
「気持ちいい~」
リョー坊はそれを繰り返した。
実は、この3年間、このグランドではいろんな出会いがあったというか自主練習に取り組むいろんな親子を見ることができた。殆どが小学校高学年の親子だった。時には一緒に練習したこともあったけど、多くは二人きりで、話しかけてもろくに返事もしない親子もあった。そういう自主練組は1回きりのことが多かった。
このクラブに入るときリョー坊に言ったことがある。
「部活ができる4年生になるまで、ここには毎週連れてきてやるけんね(ここでガマンしろ)」
近隣には小1年生から入れる名門の軟式野球クラブやソフトボールクラブがあるのは知っていたけど、当時のボクにとってそんなところに子供を入れるのは「とんでもない」ことだった。
だけど、週1回の1時間半~2時間、このくらいは「なんとかなる」ことだった。
最初にコーチをしてくれのは、ソフトボールで国体選手として出場経験のある年配のMYHコーチだった。MYHコーチはトニカク褒め上手だった。リョー坊はそんなMYHコーチに騙されるようにしていろんなことを学んでいき、毎週だされるトレーニングの宿題をこなしていった。
そんなこんなで、瞬く間に半年が過ぎたんだけど、秋頃にはバットもまともに振れるようになったし、ボクとキャッチボールもできるようになった。
ところが、その頃には子供も少なくなりコーチも諸般の事情で辞めてしまった。
ハテ、サテ、これからどうしたらいいんだろうと思っていた矢先に、「野球教室」と勘違いして連れて行ってしまったのがリトルの「体験入団」だったのだ。
そういうワケで、この「キッズソフト」がリョー坊の野球の出発点。
「ここに来た頃は、こんなに小さかったのに・・・、3年は早かですな」
ボクとリョー坊はKKTジィサンと握手を交わした。
三人は整列してグランドに向かって最後の挨拶をした。
「ありがとうございました!」
いつもより長目の御辞儀だった。
グランドには桜の花びらが舞っていた。
昨日が最後の練習となった。
このクラブに入った当初は、他の子供達やコーチもいたのだけれど、2年後にはリョー坊一人になってしまった。
だから去年の今ごろもクラブの閉鎖が取りざたされたのだけれど、当時の会長さんがそれを1年先延ばしにしてくれたのだった。
そういうわけで、今年1年は、照明を点けに来てくれるKKTジィサンとボクとリョー坊の三人で自主練習を続けていた。
自主練習の内容なんてのは実に一般的で特別なことはやってない。
だけど、特別なのはグランドを一人占め(三人占め?)にできること。
アップ、キャッチボール、ピッチング、ノック、バッティング、グランド整備。
これらを間を置きながら15分~20分でやれば約2時間はアッという間。
そんな練習をリョー坊はいつも楽しみにしていた。
ボクもKKTジィサンもそうだった。
「今日は最後だから存分にいいですよ」
KKTジィサンの言葉に甘えてロングティーをやった。
S小グランドで硬式球を使ったバッティング練習は御法度なんだけど、センター返しを中心に木製の短尺バットで約50球。
「気持ちいい~」
リョー坊はそれを繰り返した。
実は、この3年間、このグランドではいろんな出会いがあったというか自主練習に取り組むいろんな親子を見ることができた。殆どが小学校高学年の親子だった。時には一緒に練習したこともあったけど、多くは二人きりで、話しかけてもろくに返事もしない親子もあった。そういう自主練組は1回きりのことが多かった。
このクラブに入るときリョー坊に言ったことがある。
「部活ができる4年生になるまで、ここには毎週連れてきてやるけんね(ここでガマンしろ)」
近隣には小1年生から入れる名門の軟式野球クラブやソフトボールクラブがあるのは知っていたけど、当時のボクにとってそんなところに子供を入れるのは「とんでもない」ことだった。
だけど、週1回の1時間半~2時間、このくらいは「なんとかなる」ことだった。
最初にコーチをしてくれのは、ソフトボールで国体選手として出場経験のある年配のMYHコーチだった。MYHコーチはトニカク褒め上手だった。リョー坊はそんなMYHコーチに騙されるようにしていろんなことを学んでいき、毎週だされるトレーニングの宿題をこなしていった。
そんなこんなで、瞬く間に半年が過ぎたんだけど、秋頃にはバットもまともに振れるようになったし、ボクとキャッチボールもできるようになった。
ところが、その頃には子供も少なくなりコーチも諸般の事情で辞めてしまった。
ハテ、サテ、これからどうしたらいいんだろうと思っていた矢先に、「野球教室」と勘違いして連れて行ってしまったのがリトルの「体験入団」だったのだ。
そういうワケで、この「キッズソフト」がリョー坊の野球の出発点。
「ここに来た頃は、こんなに小さかったのに・・・、3年は早かですな」
ボクとリョー坊はKKTジィサンと握手を交わした。
三人は整列してグランドに向かって最後の挨拶をした。
「ありがとうございました!」
いつもより長目の御辞儀だった。
グランドには桜の花びらが舞っていた。
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