1969/04/09に生まれて

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『景行天皇伝説を巡る冒険』1.山鹿灯籠まつりと景行天皇

2022-11-08 21:07:00 | 景行天皇の記録

【山鹿灯籠まつりと景行天皇】
熊本県の北部に位置する山鹿市では、全国的にも有名な「山鹿灯籠まつり」が8月15、16日の2日間にわたり行われます。町全体が幻想的な灯りで彩られる山鹿の夏の風物詩です。なかでも圧巻は、そろいの浴衣姿の約千人の女性たちが、和紙で作られた金灯籠を頭に掲げて優雅に舞い踊る「千人灯籠踊り」。民謡の「よへほ節」の調べに合わせ、幾重にも重なる灯の輪は、幻想的な世界へと私たちを誘ってくれます。



2つの画像は山鹿市HPより引用
上の画像は、金灯籠をつけた女性たち
下の画像は、千人灯籠踊り


しかし、この伝統的なお祭りが、景行天皇の伝説を一つの起源としていることはあまり知られていません。

ここでの伝説とは、景行天皇が熊襲征伐の九州巡幸のとき、菊池川を遡って上陸しようとしたところ、濃霧にはばまれた天皇の軍勢を山鹿の里人が松明を灯して一行を導いて助けたというものです。当時の山鹿•菊池盆地には「茂賀の浦」と呼ばれる湖が広がっていて、里人は景行天皇が滞在した行在所跡(後に大宮神社が建てられた地)に景行天皇を祀って毎年松明を奉納したというのが灯籠まつりの起源の一つとされています。

一方、江戸時代の安永元年(1772年)の『鹿郡旧語伝記』には次のような内容が書かれています。
灯籠の謂れ(いわれ)は、景行天皇の八頭大亀本記よりこと起きるとされ、延久四年(1070年)に初代菊池則隆が阿蘇大明神を景行天皇の社にして合殿に祭り、さらに治承年中(1177年〜1180年)に大亀の火の光を霊として郡民の祭日の夜、太鼓•鐘をならして炬提燈等を捧げさせて今に伝える、とあります。

このように、第12代景行天皇は、前作の『三玉山霊仙寺を巡る冒険』で紹介した「三玉」だけでなく、現代まで続いている伝統行事にも深く関わっているのです。このことを知ると、景行天皇の九州巡幸は、古代の熊本、すなわち火の国において、極めて特異なできごとであったことが伺えます。

これは、一体、何を意味するのでしょうか?

はたして第12代景行天皇とは、そして、景行天皇の九州巡幸の伝説とは何なのでしょうか。

これらは、古代の人々が紡ぎだした想像上の物語なのでしょうか?

つづく。

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