◆長谷川
信濃最大の古墳の投稿コメント
がお一人あり嬉しくて眠れない
私のような誰も読んでおられな
いブログにコメントを賜る事の
嬉しさは大変格別といえます。
◆対談者
私は美濃象鼻山古墳のビイスタ
工法に非常に驚いております!
◆一般者
長谷川先生は偏向した異端の
研究家だと思い込んでいまし
たが私達は古墳の形状を定型
無理矢理押し込み考える傾向
がある。素直な気持初心者に
帰って子供の様な素朴な心に
帰って遺跡を見学し考察すれ
ば毎日見上げる遺跡がどれほ
ど素晴らしく高度な遺跡かに
気付く事が出来る「気付き」
の大切さがブログから解る。
古墳を側面から見る観点!
これを見ると側面から古墳
見ても 形良くみえる様に
ビイスタ工法で工夫してる
◆対談者
比較的初期の古い前方後方墳
新潟の山谷古墳を幾何学的に
解説していただけないですか?
▼山谷古墳の形状
◆長谷川
この古墳も物凄い幾何学測量
つまりビイスタ工法を用いて
築盛している希有の古墳です。
1 被葬者の木棺は1で設定
前方部のバチ型を形成する
2 赤色腺は後方部の形状
及び左の2段のテラスの位
置を規定する設計腺です。
3 黒色腺は多角の後方部を
の形状と右側面の作り出し部
の位置を決めております。
4 同じく後方部と作り出し
5 前方部造り出しの位置決
6 前方部の位置決め
7 後方部の位置決め
以上新潟 山谷古墳の形状は
非常に高度な測量技術の古墳
と言えましよう。
以下ウイッキペデイアより
角田山南麓から東へ張り出した尾根の先端部にある[1][2]。
新潟市の史跡に指定されている。
沿革[編集]
1959年(昭和34年)、地元在住の藤田治雄によって発見
されたが、当時は一般に認知されておらず、再度1981年
(昭和56年)に新潟県教育委員会により分布調査が行われ
、再確認された。その後全容調査を望む声が大きくなり、
1983年(昭和58年)に当時の巻町教育委員会[3]と新潟大学
考古学研究室により、また1987年(昭和62年)に新潟大学
眼下には、御井戸B遺跡があることから、有力者の古墳の
可能性が高いと見られている[1]。
古墳の特徴[編集]
- 尾根の頭上に造成された全長37メートルの前方後方墳である[1]。
- 尾根を削って、ある程度の形に造成した後にと土を盛り上げて
- 墳丘を完成させ、その後に古墳の後方部の頂上を掘り込み、
- その底に棺を置いてから土で覆い密閉してある[1]。
- 古墳の下部には、古墳の上から転落したと見られる壺と甕が見つかった[1]。