城郭 長谷川博美 基本記録

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長谷川博美

2019-09-23 18:55:23 | 自己紹介
長谷川博美 はせがわひろみ

長浜市余呉町出身
 現在米原市在住

國學院大學文学部卒
元滋賀民俗学会理事
元滋賀県中世城郭分布調査現地調査員
元NHK名古屋文化センター『信長公記』講師
元NPO法人 自然と歴史ロマンの会 理事
元長浜臨湖 歴史講師
元近江公民館 米原文化協会『信長公記』講師
元近江公民館 城歩会 講師
元ウッデイパル城郭フォーラム講師
城郭イラストライター
城郭研究家
戦乱の空間同人

現長谷川博美 基本記録 執筆中 
2019/9 現在 求職中



















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名士 川田幸夫さんと 穴津地名

2019-09-23 11:40:19 | 古代史
長浜市 高田地名の「津」 と名士、川田幸夫さん。

先日米原市内を散歩していると女性に長谷川先生と呼ばれて驚いた。
私を長谷川先生と呼ぶ人は世の中には絶対に今は存在しないはず!

数年前の事である。私と城址見学したい人など滋賀県内には皆無だ
った。その現実は2019年の現在でも一向に変わらない状態でもある。

それは私のブログを見ても明確にわかる。小説『轟陣兵』や劇画で
明智や秀吉の登場する劇画『元亀の騒乱』や連続して楽しく掲載し
掲載した『剣熊考』が高い人気を誇っているのに、私の城址記事に
は全く読者が皆無である事だ!私に城郭を語る資格は元来無いか?

ところがあるとき長浜市高月で川田幸夫さんに偶然遭遇して5人もの
城址見学仲間を引連れている立派な人物に感化された。聞けば川田
様は彦根工業高校の学生時代に歴史地理部略して「地歴部」を創設
し佐和山城の見学などを実施された人物である。川田さんの人品や
品位や人望は真に立派なものだった。私は人気が極端にない講師だ。
見学会を開いても人が一人も集まらない現実が常に長年続いている。
私はあるとき突然発想の転換をした。川田さんこそが見学会の中心
であると。私は川田さんの家に連続して推参し会長を御願いした。
川田さんの人徳と光彩が,全く人気ゼロの私を擁護し会員の融和や
親睦を促進していたのだ。今「城歩会」にリハビリや療養に専念
されている川田さんに出馬を願う事は人間として常識はずれである。

◆名士川田さんの示唆
 川田さんは常々高田地名に着眼されていた私はその眼力や思考法
に一目を置いて尊敬していた。

2019年私は余呉川と赤川が合流する地点にひとり淋しく散歩し
東高田に「穴津」地名を発見して深い意味で仰天した。長浜市
の布勢で穴伏の地名看板を見て私は仰天した。

2019年梅雨あけて夏が到来し私は長浜市街の南高田の地名を
見て再度仰天した。南高田は現在琵琶湖から離れた内陸だが
やはり「津」地名があるのだ。



さてさて東高田に「穴津」地名を発見は当方のブログ読んで
おられる多数の方々には読者が多いと私は推測しております。
地図を調べるとあの幻の「穴津」地名は、やはりあるのです。

地図に登場している。高田大橋も現地に存在します。

赤川の文字も見えます。

現地穴津地名のある東高田の赤川のようす。写真の川の右が「穴津」

長浜市高月町東高田地先 延喜式内社の甘櫟前神社
イチヒサキノ神社もあり大変古い歴史を誇る集落だ。
          ↓


◆さてこの「穴津」の地名が何故すごいのか?歴史通の人
なら即刻解ると思います。
先ず記紀伝説に三度登場する近江の伝説の宮、「高穴穂]
大津市穴太

次に石垣の大津市「穴太」
律令の時代に穴太駅が置かれ、駅馬五疋と記録がある。
近くには200基以上の後期古墳群が存在し韓人系渡来人
の穴太村主「すぐり」が居住していたとされる穴太。

次に
「和名抄」には「坂田郡阿那郷」の項に「近江国吾名邑」
と記されている事。つまり現在の米原市でアメヒボコが
一時住んだ場所かと言われる。地名前述の長浜南部つまり
坂田郡の「穴伏」地名も非常に重要!

★『日本書記』には
天日槍自菟道河泝之 北入近江國吾名邑而暫住
 復更自近江 經若狹國 西到但馬國則定住處也 
 是以近江國鏡村谷陶人則天日槍之從人也 故天日
 槍娶但馬出嶋人 太耳女麻多烏生但馬諸助也 
 諸助生但馬日楢杵 日楢杵生清彦 清彦生田道間守也
 とある。
国道8号線の米原市高溝近辺には以下のような看板
 が見受けられる。



 
次に
賀県草津市穴村町。  
安羅(ヤスラ)神社がある。   
次に
滋賀県蒲生郡竜王町。 
苗村(ナムラ)神社がある。
   
次に
 近江伊香郡黒田村の小字には「穴師」がある。

そして近江伊香郡東高田に「穴津」地名が地図
で確認できる事は歴史研究上、非常に重要な事!


 さて『地名考』や小説『轟陣兵』『剣熊考』や
『信長公記』に関連する劇画『元亀の騒乱』など
は非常に好評なのに以下の様な図説を用いた現地
城址見学はカラッキシ人が一人も集まらずサッパリ
※ワヤと言うのが私の今の現実と言うところです。
やはり川田幸夫会長の偉大な人徳だったと言えます。

※「散々と言う意味」



  



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