城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

東野山砦と上丹生の秀吉視点

2024-11-18 08:26:04 | 歴史講座

東野山砦と上丹生の秀吉視点

 

◆質問者

天正元年織田信長は小谷城

攻めに戦功あった羽柴秀吉

に小谷城と浅井氏の旧領の

江北三郡を中心に与えられ

ますが先ず秀吉がなすべき

事とは一体何でしょうか?

 

◆正論者

そりや勿論小谷城に代わる

今浜や横浜などの検地して

長浜の都市計画の推進です。

 

◆長谷川

私は正論を述べられるほど

頭脳明晰ではないのですよ

秀吉の気持ち読みたい人で

天正元年段階で織田信長は

越前朝倉氏を滅ぼしはした

が越前は朝倉氏旧臣に任せ

ておくと信長は読んだ事で

しょう。越前はやがて一揆

が領国を加賀の様に支配を

する。その段階で本格越前

統治に進捗させる青写真と

計画、シュミレーションを

立ていた。秀吉とは川上を

越前への道筋と考えている

人間なのです。小谷城主に

なった、眼下に流れる高時

川その上流の丹生谷は是非

検地して領民を確保したい

また信長の越前侵攻は再度

発生する。さすれば主君の

岐阜信長軍の兵糧は小谷城

にストック貯蔵しておいて

主君信長に提供する手立て

はしていた信長公記天正3年

にはこの様に記されています

大谷 羽柴筑前守 が所に御泊

。この時、惣人衆へ筑前守 所

より兵粮を出ださる。』

 

◆正論者

馬鹿な伊香郡の丹生谷は

高時川上流だが秀吉自身

が今浜等先駆ける検地を

上丹生谷するハズがない。

◆長谷川

そうでしょうか?秀吉の

心と貴方の主観はズレて

いる。山東町史に以下の

記載があり驚愕する訳だ

秀吉の心は上丹生にある。

秀吉は間道をすべて掌握

する習癖を持っている事

に注目しましよう。天正

10年本能寺の変では明智

密書を毛利に伝える間者

が間違えて秀吉陣営に来

て捕縛されてしまった事

秀吉は間道監視を重視し

情報の収集に努める人間

逆に天正10年長浜城自体

は明智方に取られたが母

や妻は間道を利用し美濃

坂内村に無事避難してる。

★ある時の余呉東野山見学会

◆長谷川

御参加賜り深く感謝致します

東野山砦が上丹生方面に堀も

深く土塁も高く築城普請して

ます。この現場の現実を是非

見て記憶しておいて下さい。

秀吉やその命を受けた堀秀政

が何故上丹生方面に防御して

いるのかを考察して下さい!

堀秀政という人物は抜け目が

ない天正10年賤ケ岳合戦でも

柴田軍の南進を抑える活躍を

小牧長久手の合戦でも崩れた

羽柴軍を鉄砲衆を用いて救援

をしています。東野山城縄張

を見ても武将としてその非凡

さは明白で傑物だと言えます。

 

◆参加者

長谷川先生の視点は秀吉の

視点が解っていない賤ケ岳

合戦は北国街道で発生した。

◆対談者

歴史の文字は都合よく書き

替えが自由にできますでも

東野山砦は上丹生方面へと

向けて作られている現実が

あります現実を見ましよう。

▼左が上丹生方面に防御が


◆長谷川

さて城郭防御が何処にあるか

私が上丹生方面に特に多い事

述べても、なかなか一般様に

は伝わらない淋しさがある。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日夏山城と泉古屋敷遺跡の考察 | トップ | 見逃すな!一文字土塁! 仕... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史講座」カテゴリの最新記事