近江三雲城の解説
城郭ビイスタ論 上文字クリック
◆対談者
いやあ~長谷川先生!城郭ビイスタ論動画が
1100人様もの視聴を記録しています!これは
異変だと思います。長谷川先生のフオロアー
様はたった183名様、先生の投稿に良いね印
を押されている人はたったの5~6様なのです。
◆達観様
あなた?人間社会と言うか社会心理学を全く
知らないんですね?人間の行動心理とは群を
なして集団心理に基づいて行動するものです。
①●地域集団心理 ローカリズム「我町」
村落、集落、町内会、自治会、県市町村
②●利益集団心理 エコノミカル「経済」
会社、同一利益追求集団、派閥、学閥等
長谷川先生の研究や学説が如何に優れて
いようと①②に帰属している人々は絶対
長谷川先生の見学会や講演や講座に参加
されません。無視です。シカトなんです。
でも1100人の動画視聴者様は歴史城郭の
研究ヒントが多数動画に含まれている事
を認識していおられる自治体に所属する
学芸委員や県市町村で活躍されている人
達なんです。ようし今度ウチノ町におい
て城郭ビィスタ論を応用して自分の町の
市民様の前で我町の城の講演や解説する
場合長谷川先生の城郭ビイスタ論は絶大
な威力を発揮するんです。市民様町民様
は何も知らずに無意識下で我町の行政の
歴史講演に参加されている訳なんですよ。
市民様が全く新しい我町の城の城郭構造
説を大衆の面前で披露したらもうこれ即
我町の学芸員様一機に市町村スターです。
◆みんな
町の学芸員さんや研究家達は必死で動画
を見ている。町の市民の皆様は、こぞって
町の歴史講演に参加され城郭ビイスタ論や
長谷川先生の事は全く知らない矛盾が発生
しています。私達長谷川先生の城址解説を
受けて正直衝撃をうけた人も多数おられる。
◆一般様
今社会は歴史城郭戦国の大変なブームです
ものね!?何でも戦後二回目の城郭ブーム。
◆達観様
チョツト待って下さいよ!〇〇ブームとは
社会の一時的現象でしよう。野鳥観察見学
バードウオッチグが日本で大流行したけど
現在各地自治体の野鳥観察小屋は次々閉鎖
された。大衆が一時的に飛び付く城ブーム
とは流行であり必ず衰退する運命にあるわ
今現代は城郭探訪ブームであって城址形状
や遺跡形状を考察しようとする城郭見学の
世界が長谷川先生の城郭遺跡見学会ですよ!
◆長谷川
あの~今回の投稿は近江三雲城なんですが?
滋賀券湖南市吉永にある三雲城が今回の主題。
三雲城(吉永城)は、三雲氏の主家である
安土の観音寺城主・佐々木六角高頼が逃げ
込み用の本城として長亨2年(1487)
に三雲典膳(てんぜん)に築かせた城で、
東西約300m、南北約200mにも及ぶ
広大な城域を有していました。しかし、
織田信長の京都侵攻に際して三雲氏は最後
まで主君の六角氏に従ったために元亀元年
(1570)に織田方の佐久間信盛の攻撃
を受けて山裾にある三雲屋敷と共に落城し
ました。その後、天正年間(1573年〜)
には廃城となってしまいましたが、天正13年
(1585)に甲賀市水口町に豊臣秀吉の家臣
の中村一氏が岡山城を築いた際に石垣等が用材
として持ち去られたと言われています。城の
縄張りの中心部は、四ヶ所の郭(くるわ)に
よって構成されており、北側の郭は約50m×
40mの広さがあり井戸も残っています。また
北側の郭の北東部分には三方を巨大な石材を用
いた穴太(あのう)積みによって築かれた
22,4m×12mの大きな枡形遺構(虎口)
が残っています。
当城は、六角氏が度々逃げ込んだことが記録に
当城は、六角氏が度々逃げ込んだことが記録に
残されており、城内には佐々木六角氏の家紋
(四つ目結)を刻んだ石が残っています。
<現地案内板より>
◆対談者
実際にどのような縄張の城ですか?
◆長谷川
概略はこのような城です。
◆男性
すげえ!俺が行った三雲城と全く違う。
図面さえも全く違うもう一度見直しだ。
◆反論者
ふん。。まさかビイスタ工法は絶対ないぞ!
◆長谷川
矩形の桝形、幾何学的な構造がある以上は
今一度、城郭に幾何学縄張のグランドプラン
基礎構造が潜在しているか検討してみます。
中央の桝形を基軸にした縄張構想があります。
▼赤、青、二方向から縄張しています。
◆長谷川
二方向から縄張は慶長徳川家康江戸城本丸もそうです。
▼城の中心部からも放射状に縄張しています。①
▼城の中心部からも放射状に縄張しています。②
▼城の中心から放射状に縄張する様式は
江戸城の紅葉山郭や西の丸にあります。
▼安土城天主閣の縄張も放射線状です。
▼秀吉の天正大坂城も中央から放射状に縄張してます。
◆補足
三雲城を訪れた人なら城の南にある山尾根は
三雲城の弱点と言える事は容易に察する事は
可能である。私は三雲城南の防御遺構を確認
すべく田畑氏と調査に訪れ数人の皆様ととも
に三雲城 奥の城も評価可能な不可解な城塞
を見学した記憶がある。一見城郭として整合
性のない遺構のようにも見えるが土塁や堀切
や竪堀もあり複雑な遺構を我々に提示する砦
であった事を付記したい城郭調査や城郭見学
は城址探訪や城跡ハイキングとは、また別の
分野の世界と思われる。何れにして城郭観光
城郭探訪も城郭遺構見学と様々な分野の人々
がおられるが互いの価値観の違いや目的意識
の違いを互いに尊重し仲良く城見学をしたい。