城郭 長谷川博美 基本記録

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日本城郭研究最先端 城郭ビイスタ論の衝撃!

2021-12-30 17:49:28 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
◆対談者、、、正直。素直、真実の重要性!
本投稿は初心者様向けだと思います。何故なら
おおぎ「扇」を正方形と言い張る頑固で「高名」
な学者先生がおられても正直な初心者様は必ず
「扇型」だと正直に答えると思います。「扇の形」
を四角いと最初に教え込まれた人は一生四角と
脳内記憶が固定する弊害が生じます。方形城館
と言う概念用語は時に城が四角正方形と誤解!
扇は扇型と言える正直さこそ真の学門の真理!
貴方は一生歴史講演に行き続けても、真実や
現実に開眼せず考える事しない泥人形ですか?

◆道行く人
道路に文字が書かれてます。でも文字を書く為
の下書は絶対ない!絶対有り得ないと強固に確信!
実際に下書きがあるのなら現実を真実を示せよ!

◆人は風化した物、忘れ去さられた事に無感心!
世の中の人工物の全てには下書きが存在する鉄則!
城郭ビイスタ論を悟った貴方こそ聡明な歴史家!


日本城郭研究最先端 城郭ビイスタ論の衝撃!
私の城下町 我ヶ町の 城郭ビイスタ工法を知ろう!


◆歴史城郭研究家 長谷川博美投稿

はじめまして歴史城郭研究家の長谷川博美
です。昨今戦国城郭ブームが隆盛している
と聞きますが大多数の研究家や見学者様は
城郭の形状や縄張を認識する事や、城郭や
都城の構成、寺院塔頭の構図には無感心の
人が多く古来よりの城郭の基本的測量方法
にも無感心の人が多いと思われます。城郭
書籍には時として自然地形を利用した中世
の山城の形態と書籍に記す場合が多く山城
自体が人為的に設計されデザインされ人工
的に土木加工を加えた現実史実を見落とす
傾向にあると言えます。自然地形と言われ
ら人間とは遺跡を人工土木建築として見な
い。考察や検討や研究もしない傾向になる。

●日本史の中の為政者の言葉
しろしめす=統治する政治を行う事を言う。
しろの意味=しろ の語源の意味未だ不明。
日本の東西=関ヶ原=関白職=統治代行者。しろ

歴代の為政者は為政者として己の城郭を如
何に支配層に政治支配の権力を誇示と威示
する視覚的象徴政治機能効果として都や城。

これに該当する西欧て言うビイスタの思想
日本で言う「見通し/見栄え/眺め/ハエ」な
どの観点から城が象徴として工業デザイン
としてまた城の構図の潜在を考察する機会
は皆無と思われます。今日も山城見学して、
99%の人々は「自然地形」と言う言葉の
呪縛に捉われ、言霊に支配され城郭遺跡と
しての構図や基礎設計測量を省みない考察
しない現状が長く日本の歴史文化論に欠落
を来たしていると私は考えております。幸
いな事に城郭ビイスタ論の講演を記録した
動画がUチューブ投稿されて、ジリジリと
動画を何度も見て日本史の中のビイスタ論
文化論としての流れを捉える賢明な方々の
動画視聴を改めて心より感謝申し上げます。


▼中世能楽舞台の2カ所の視点の存在
「脇正面」と「正面」の2カ所の展望

▼江戸期の日本の城郭測量方法

▼織田信長 近江安土城ビイスタ。
▼織田信長 近江安土城ビイスタ


▼織田信長 近江宇佐山城 のビイスタ工法


▼虎御前山 織田信長陣城 ビイスタ工法


▼虎御前山 織田信長陣城 ビイスタ工法
▼尾張小牧山城 織田信長 ビイスタ1案

▼尾張小牧山城 織田信長 ビイスタ2案

▼岐阜城 信長館ビイスタ工法



▼佐和山城 本丸の土塁遺構
▼佐和山城 多賀大社社頭絵図にみる佐和山城ビイスタ工法




▼近江佐和山城 二ノ丸 ビイスタ論


▼藤堂高虎  伊予大洲城 ビイスタ
▼藤堂高虎 赤木城のビイスタ工法



▼藤堂高虎 津城 ビイスタ工法

▼武蔵杉山城 城郭ビイスタ工法

▼武蔵杉山城 城郭ビイスタ工法

▼武蔵 菅屋館ビイスタ論
▼武蔵 菅屋館ビイスタ論
▼中国から室町時代に到来した算術書
▼尾張 清洲城 ビイスタ考察


▼尾張 末森城 ビイスタ考察


▼墨俣城のビイスタ工法 模索

▼近江 横山城 ビイスタ工法

▼羽柴秀吉 虎御前山城 ビイスタ工法
▼近江 小谷城 本丸付近のビイスタ工法

近江 長浜城 ビイスタ工法模索

▼長谷川博美 賤ヶ岳城 イラスト

▼羽柴秀吉 賤ヶ岳城の幾何学的縄張
▼羽柴秀吉 賤ヶ岳城ビイスタ構造模索1
▼羽柴秀長 羽柴秀吉 近江田上山城 
▼羽柴秀吉 太閤ヶ平陣城 ビイスタ工法


▼羽柴秀吉 姫路城ビイスタ工法




▼天正 羽柴秀吉 天王山城

▼天正 羽柴秀吉 大坂城 ビイスタ構造

▼天正 小田原 関白秀吉 石垣山城 ビイスタ工法


▼岡山城天守

▼天正 岡山城 ビイスタ工法


▼羽柴秀吉 小田原石垣山城

▼羽柴秀吉 山崎城「天王山城」
羽柴秀吉 天正大坂城

▼伏見桃山城 ビイスタ工法


▼近江 平田山城 ビイスタ工法 「徳川家康佐和山城攻め陣」

▼伏見城 治部少丸 

▼羽柴秀長 若山城 
▼太閤秀吉 肥前名護屋城 城郭ビイスタ
▼ 測量器具 分度計 

▼羽柴秀保 陣所幾何学構成



▼東三河 古宮城 城郭ビイスタ
▼測量器具 分度器

▼伝前田利家邸 安土屋敷ビイスタ
▼織田信長 近江安土城ビイスタ。
▼織田信長 近江安土城ビイスタ。
▼近江安土城 天主台 ビイスタ工法
▼安土城 八角平ビイスタ工法
▼安土城の様々な放射線縄張の痕跡



▼甲斐 新府城桝形馬出 ビイスタ工法 武田勝頼

▼甲府城 ビイスタ工法

▼杵築城きつきじょう(城郭ビイスタ)
▼古田織部の幾何学 美濃出身の数寄「茶道」に精通した武人

▼近江安土城の地下蔵「菱形基本構図」 夏至冬至に関連する

◆九州 平原弥生古墳の「菱形モガリの宮」夏至冬至に関連する

▼大和 纏向宮殿遺跡 ビイスタ工法
▼近江 伊勢遺跡の宮殿/神殿 ビイスタ工法
◆近江 神郷亀塚古墳の前方部のビイスタ工法


▼九州 オサホ塚 メサホ塚 古墳のビイスタ工法

▼美濃 大野町 大野古墳群のビイスタ工法

▼三つ寺I遺跡の幾何学縄張 三角測量方法を駆使

▼恭仁宮   平城宮のビイスタ工法

▼渤海国のビイスタ工法

▼伊賀国 国分寺跡 ビイスタ工法
▼大和国 毛原廃寺跡 ビイスタ工法
▼近江国 和田山城ビイスタ工法

▼近江国 生津城のビイスタ工法
▼近江 志賀郡 歓喜寺城 ビイスタ工法


▼近江 比叡山 一本杉の城 ビイスタ工法考察

▼近江国 鯰江城のビイスタ工法
▼近江 小谷城 出丸 ビイスタ工法

▼近江八幡 円山城 ビイスタ工法「西条氏」
▼近江八幡 円山城 ビイスタ工法「西条氏」

▼近江 多賀 籠城山城 ビイスタ工法

▼近江 鎌刃城ビイスタ工法試論


▼近江佐々木六角氏重臣 後藤但馬守 佐生城

▼若桜鬼ヶ城跡 ビイスタ工法


▼越前丸岡城 ビイスタ候補江

▼近江 坂本城 ビイスタ工法

▼近江 大津城 ビイスタ工法
▼近江 彦根城ビイスタ工法
▼彦根城 玄宮園 鳳翔台と臨池閣のビイスタ建築



▼江戸中期の近江膳所城 ビイスタ工法

▼近江 長比城 幾何学的縄張「一種のビイスタ工法」
▼伊勢 宮山城 ビイスタ工法



▼近江 三田村城 外郭ビイスタ工法

▼丹波亀岡城 ビイスタ工法
▼柴田勝家 玄蕃尾城 ビイスタ工法
▼柴田勝家 玄蕃尾城 ビイスタ工法

▼長谷川博美 玄蕃尾城「内中尾山城の研究と模索」
▼佐久間玄蕃盛政 行市山城 ビイスタ論研究

▼前田利家 別所山城ビイスタ工法 イラスト
▼前田利家 別所山城ビイスタ工法 縄張図
▼天正11年 伊勢峯城 ビイスタ工法

▼近江 山本山城 北城 部分ビイスタ図 西部
▼近江 山本山城 北城 部分ビイスタ図 東部
▼丹波黒井城ビイスタ工法



▼播州 赤穂城本丸 ビイスタ工法模索

▼長崎出島のビイスタ工法
★放射線測量ビイスタ工法が存在する証拠
▼安土城 桝形の開き角度★   


▼彦根城 表御殿の桝形の開き角度★

▼鎌刃城 主郭桝形の開き角度★

▼東三河 古宮城 桝形の開角度★

▼徳川家康 江戸城本丸のビイスタ工法



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余呉城郭研究会の評判

2021-12-30 17:14:15 | 社会観察
余呉城郭研究会の評判

◆長谷川
日本に正月が到来すると雑煮を食しますよね!?

◆A様
日本の正月雑煮は白味噌汁仕立てと決まとるわ!

◆B様
それないよ!郷里でも嫁さんの家でも澄まし汁!

◆長谷川
貴重な会話です。日本には様々な御雑煮の種類
が存在します。貴方が雑煮と確信してる雑煮とは
貴方が幼少時から体験学習した正月の雑煮概念
です。人の初期体験が根本固定概念となります。

◆質問者
余呉城郭研究会の世間の評判とはどの様な物!?

◆解答者①
城郭遺跡を認識する学習会や学習塾、城郭塾と
考えています。その証拠にここで勉強された人
は2倍4倍と城郭を見学する認識力が着実に向上!

◆回答者②
城のイベントだからもっと観光的だと思ってた!

◆対談者
貴方はツアー「旅行」
  イベント「興業」
 ハイキング「遠足」
    探訪「城行」

が余呉城郭研究会だと思われたのでしょう?城
を冠する様々な集団や価値観が実際に存在する。
貴方が一番最初に城に接した状況こそが、一生
城に対する印象や概念の根本として存在する。
        河越城の横矢
◆長谷川
確かに石垣の城から城に入門された人々の傾向
として土の城のパーツ「部位」を全く見学され
ない傾向の研究家や見学家の個人差や城に対す
る概念や姿勢は正月の御雑煮が「味噌汁」か?
「澄まし汁」?の如く根本通念が異なる場合多い。
例えば中世以来の石垣を用いない城の壁には横矢
がないと断言される学芸員さんも多数おられます。

◆長谷川
例えば彦根城に到着して石垣写真を撮りまくる
人と内堀敷設された土居「土塁」を懸命な視線
で追いかける「石城」と「土城」が好きな人が
分離している。つまり自分の着目している部位
が根本から異なる場合も発生します。中には彦
根城100回行っても内堀に敷設された土塁が存
在した事も知らなかった人もおられます。つま
り御正月の雑煮が「味噌」か?「澄まし汁」?
それぐらい基礎概念の相違が人間世界には現実
に存在すると言う事です。近江八幡山城江戸期
の古図にも八幡堀には「土居」と書かれていて
元来は八幡山城前面に土塁が存在した証拠です。


◆対談者
本当に彦根城の土塁も佐和山城本丸の土塁も
見学する事を拒否される人も世の中に存在!

◆解答者③
僕は最初、余呉のハイキングとして砦跡に接し
ました。たまたま城郭フオーラムと言う見学会
に参加したら、全く初心者だったのが徐々に城
跡を砦跡を遺跡を見る仕方をどんどん習得した。

◆長谷川
それは貴方が元来備えておられた城郭遺跡見学
と言う分野に目覚めて自己を発見された事です。

◆解答者③
城郭フオーラムに参加したけれど全く楽しさや
楽しさが私が所属しる会と全く異質を感じた。

◆対談者
それは貴方が一番最初に体験した城行の「行為」
自体が「観光」「見物」「旅行」「行楽」等の
城郭遺跡を現地見学する様式とは異なる分野か
ら出発したから土塁、堀切、犬走、曲輪などを
見学する姿勢や楽しみの分野が異なる場所から
出発されたからよ最初に味噌汁の雑煮を食した
体験を持つ人は雑煮とは「味噌汁」と言う概念
や固定概念は関西と関東では異なる場合と同じ。

◆解答者④
確かに最初は城に旅に行く事を目的としてまし
た。しかし徐々に城塁見学に目覚めて行きまし
た絶対に存在しないと確信していた佐和山城の
本丸に土塁が存在していて私は全身に雷を受け
た様な衝撃を体験した。聞いていた事と現実を
冷静に謙虚に受け入れれる謙虚さが学門の根幹。

◆長谷川
確かに下の写真はある城の土塁の断面写真です。
◆長谷川
佐和山城の科学的赤色写真にも本丸に土塁写ってます。
▼佐和山城 本丸土塁写真
▼佐和山城 本丸土塁写真

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