三流読書人

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ドングリ小屋住人 

胸に刻む歴史ードイツ首相論文から

2005年05月12日 08時56分51秒 | 教育 
ドイツのシュレーダー首相は、第二次世界大戦終結六十周年にあたって5月7日付南ドイツ新聞に寄稿(ドイツは1945年5月8日降伏)戦後60年を振り返った。
ある新聞に紹介されている。以下その一部。

「・・・過去を元に戻すことはできないし、克服することもできない。しかし、歴史から学ぶことができる。ドイツ人はそれを行ってきた。われわれは、歴史的責任を知っているし、真剣に受け止める。ナチズムの時代、戦争と異民族虐殺と犯罪を胸に刻むことは国民の礎の一部となっている。それは永続的な道徳的義務である。相対化あるいは忘却での決着と言うことは決してない。
社会全体が集団的に取り組むことがなかったなら、1985年5月8日のワイツゼッカー大統領による優れた演説(「荒れ野の40年」岩波ブックレットNO.55)はありえなかっただろう。
年を経るとともに記憶が無関心に席を譲ると考えるものは裏切られるだろう。むしろここ数年来、ナチズムや戦争終結を胸に刻む行為は新しい局面を迎えている。歴史の解釈を変え、ナチス・ドイツの罪と責任を否認しようとする策動に繰り返し直面している。戦争の犯罪行為と[ドイツ国民が受けた]苦難とを相殺し、犯人と犠牲者をすり替え、ナチスの犯罪を相対化する策動ーこれはネオナチによるものだけではないーに対して断固立ち向かわなければらならない。
終戦六十年を記念し、欧州統合がすすむなか、われわれは長い「戦後史」の終えんに立ち会っている。
1945年の破局を胸に刻むことなしには、欧州統一や欧州憲法の歴史的意義をつかむことはできない。大きな悲しみを持って欧州の戦場を想起するとともに、欧州統一の奇跡に感謝する・・・」

ドイツ首相の論文の一部である。格調が高い。
1985年のヴァイツゼッカー大統領の演説とともに歴史に残る。
日本の首相はこれをどう読む。