4月22日付『毎日新聞』コラム発信箱
「怒りの長崎」広岩近広氏(専門編集委員)
【 大阪と西部本社の共同企画「ヒバクシャ」の打ち合わせで、広島と長崎を時々訪れる。被爆地としてよく言われるのが「怒りの広島」「祈りの長崎」だろう。後者は教会の多い長崎らしいと感じていた。
両市とも原爆の惨状を伝える資料館を持っているが、館内に入ったときの印象は違った。長崎原爆資料館は、まず原爆が投下された直後の写真映像が流される。何度見ても、人間の尊厳を奪う原爆のむごたらしさに胸をふさがれる。
広島原爆資料館は軍都であった事実に目を向け、原爆が落とされるまでの歴史の展示から始まる。資料館全体としては両市に遜色はないものの、一歩入ったときの衝撃は長崎のほうが強く、このとき私は「怒りの長崎」ではないか、と映像の向こうにあるものを推量した。
ーーアメリカは一度ならずなぜ二度も原爆を落としたのか、ウラン原爆とプルトニウム原爆を製造したので、どちらも使ってみたかった、そういうことではいのか。ならば、たとえ戦争中とはいえ、このような行為が許されるのか。
そんな声が、頭の中で響いた。やはり「怒りの長崎」なのだ。そう私は思った。
そして長崎は、今また怒っているに相違ない。90年に続き、長崎市民がまたも銃撃されたからだ。今回は選挙期間中の暴力で、伊藤一長市長は銃創による大量出血のため無念の死を遂げた。これは民主主義と非暴力平和主義への挑戦である。許してはならないし、こうしたテロに屈してはならない。「怒りの長崎」を共有したい。 】
戦前、権力によるテロによって国家を作り上げ、多くの国民を無謀な戦争によって死に追いやった。
テロはやはり、恐ろしい効果を持つ。
ところで戦前戦後という言い方は今も使っていいのだろうか。
第二次世界大戦が終わって、かなりの時間はたったけれど、戦前戦後という言い方で一括りにできない連続性を今あらためて感じる。
今回のような、銃撃という物理的な暴力ではなくとも、恐怖とか恫喝、アメとムチなどによって次第に国民の思考を一定の方向に絞り上げていこうとする意図を感じることがしばしばある。
「怒りの長崎」広岩近広氏(専門編集委員)
【 大阪と西部本社の共同企画「ヒバクシャ」の打ち合わせで、広島と長崎を時々訪れる。被爆地としてよく言われるのが「怒りの広島」「祈りの長崎」だろう。後者は教会の多い長崎らしいと感じていた。
両市とも原爆の惨状を伝える資料館を持っているが、館内に入ったときの印象は違った。長崎原爆資料館は、まず原爆が投下された直後の写真映像が流される。何度見ても、人間の尊厳を奪う原爆のむごたらしさに胸をふさがれる。
広島原爆資料館は軍都であった事実に目を向け、原爆が落とされるまでの歴史の展示から始まる。資料館全体としては両市に遜色はないものの、一歩入ったときの衝撃は長崎のほうが強く、このとき私は「怒りの長崎」ではないか、と映像の向こうにあるものを推量した。
ーーアメリカは一度ならずなぜ二度も原爆を落としたのか、ウラン原爆とプルトニウム原爆を製造したので、どちらも使ってみたかった、そういうことではいのか。ならば、たとえ戦争中とはいえ、このような行為が許されるのか。
そんな声が、頭の中で響いた。やはり「怒りの長崎」なのだ。そう私は思った。
そして長崎は、今また怒っているに相違ない。90年に続き、長崎市民がまたも銃撃されたからだ。今回は選挙期間中の暴力で、伊藤一長市長は銃創による大量出血のため無念の死を遂げた。これは民主主義と非暴力平和主義への挑戦である。許してはならないし、こうしたテロに屈してはならない。「怒りの長崎」を共有したい。 】
戦前、権力によるテロによって国家を作り上げ、多くの国民を無謀な戦争によって死に追いやった。
テロはやはり、恐ろしい効果を持つ。
ところで戦前戦後という言い方は今も使っていいのだろうか。
第二次世界大戦が終わって、かなりの時間はたったけれど、戦前戦後という言い方で一括りにできない連続性を今あらためて感じる。
今回のような、銃撃という物理的な暴力ではなくとも、恐怖とか恫喝、アメとムチなどによって次第に国民の思考を一定の方向に絞り上げていこうとする意図を感じることがしばしばある。