4月12日に、福島県教職員組合いわき支部などが参加する「教育制度のあり方を考える会」が中央台公民館で、教育制度の改悪に反対する集会を開いたので参加しました。当面の取り組みとして地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下、地方教育行政法)の「改正」に反対する請願署名に取り組み、阻止することを呼びかけています。ぜひご協力をお願いします。
地方教育行政法の「改正」が何で問題なのか。集会ではいわき子どもを育てる会の佐々木公一さんが講演しました。教育委員会制度が作られた歴史的な経過にふれ、問題点を指摘する講演でした。ただ以下の戦前の部分の内容は、その時のお話から離れて自分自身が調べてまとめた内容です。
戦前の教育は国民を天皇の家来すなわち臣民とし、侵略戦争に動員するための教育でした。男の子たちは軍人に、そして女の子たちは銃後の守り手として戦争協力をすることが、教育によって刷り込まれていきました。その象徴が教育勅語と言えるのでしょう。
教育勅語は、「父母に孝行」「兄弟仲良く」「夫婦は調和よく協力しあい」「友人は互いに信じ合い」「慎み深く行動」「皆に博愛の手を広げ」「学問を学び手に職を付け」「知能を啓発し徳と才能を磨き上げ」「世のため人のため進んで尽くし」と、まことにもっともな、人としての有り様・道徳を語ります。
問題はこれに続く次の言葉です。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。
「皇運」は「天皇・皇室の運」という意味です。当時の天皇は大日本帝国憲法(明治憲法)で次のように規定されていました。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治」(第1条)し、天皇は「神聖ニシテ侵スヘカラス」(第3条)存在でした。そして「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」(第4条)する絶対的な存在でもありました。そして「天壌無窮」は「天地とともに永遠に極まりなく続くさま」の意味です。
従って先の言葉を現代語に置き換えるならば次のようになるでしょう。
「非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして永遠の天皇(天皇が支配する国=国体)の繁栄に尽くすべきです」
絶対的な権力を持った天皇制政府がすすめる戦争に命を投げ出す、そしてそれは他の問題よりも優先されると教えこむことを、教育の絶対的な役割にしていったわけです。そのことを達成するために教育勅語そのものが神聖化されていったことも、歴史は教えています。
こうした上意下達の教育のあり方が、アジアで2000万人、国民にも310万人という多大な犠牲を生み出す国づくりに利用されていったわけです。
戦後はこの戦前の教育の反省から、①「教育を国民のものとし、国民自らの手によって教育を管理運営」する教育の民主化、②「中央地方を通ずる従来の上下の指揮命令系統を切断」した教育行政の地方分権、③「中央集権制度や官僚制度の下になめた苦い経験」を反省した教育の自主性確保(1948<昭和25>年発行「教育委員会委員の必携」)―の3つの原則を掲げ教育の再生が図られました。
この原則を反映して制定されたのが教育委員会法でした。この法律により教育委員会制度が導入されました。
法律は第1条の目的で「教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに公正な民意により地方の実情に即した教育行政を行う」と明記しました。そして、教育委員は選挙によって選出される公選制とし、教育に民意が反映される仕組みを作ったわけです。
ところがこれは長くは続きませんでした。
1950年の朝鮮戦争勃発と警察予備隊の発足、51年の「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(旧日米安保条約)の締結、そして予備隊が保安隊に改組された後1954年には自衛隊が発足しました。このように、日本が再軍備に舵を切る中で、1956年に教育委員会法が廃止され、「地方教育行政の素域及び運営に関する法律」(地方教育行政法)の制定が強行されたのです。この法律で、教育委員の公選制が廃止され首長の任命制に変えられました。しかし、教育委員会の合議制は残されたのです。
この教育委員会をさらに骨抜きにしていこうというのが、安倍内閣がねらう地方教育行政法「改正」です。
主要な内容は、①教育長と教育委員長を統合して新「教育長」とする、②新「教育長」は首長が議会の同意を得て任命・罷免し任期は3年とする、③新たに首長が主催する統合教育会議の設置を義務付け、大綱的な方針を決定する(以上、請願署名から)―などです。
教育委員長は教育委員会の責任者、教育長は教育委員会事務部門の責任者と、いわば二重権力が教育委員会には存在します。日常に教育委員会を統括する教育長の権限乱用を抑えるためにこういう仕組みにしたのでしょう。この権力を統合してしてしまう点に、問題点の一つを感じます。
また総合教育会議の設置です。この会議のねらいを読売新聞は次のように報道しています。
「首長主宰の『総合教育会議』の設置を自治体に義務づけたのも、首長の意向を反映しやすくする一環だ。会議は、首長と教育委員ら教委メンバーで構成し、教育行政の基本方針を策定する。
制度上、首長は教育予算の執行権を握っているものの、教育行政の最終権限は、首長から独立した教委にある。思うように自らの施策を実現できないという不満を持つ首長が少なくないことが、会議新設の背景にあった。」
つまり首長の意向を反映する仕組みとして総合教育会議を設置したというのです。
結局、この地方教育行政法の「改正」は、首長の意向を汲んだ人物を教育委員会の責任者に据えた上で「統合教育会議」を通じて首長の意向を教育に反映させていく仕組み、すなわち教育を行政の下に置き、行政(首長)の意向で教育のあり方を決定する仕組みを作ることを狙ったわけです。戦前の侵略戦争をすすめる役割を担った教育への反省から作られた教育委員会制度のいっそうの形骸化をはかるものだということです。
このような教育委員会制度の「改正」は、日本国憲法のもとで戦後一貫して築きあげられてきた平和主義に立つ施策を打ち壊すことといっしょにすすめられています。
この半年間だけでみても、昨年12月の、国民から公の情報を隠す秘密保護法の制定強行、国家安全保障会議(日本版NSC)の設置、武器の輸出を前提にする防衛装備移転三原則の新設、集団的自衛権行使の解釈改憲。その上、明文改憲まで狙われています。その狙いは自民党の改憲草案に明らかです。平和主義に立つ憲法を「改正」し、海外で戦争をし、その戦争を支えるために有事の際に基本的人権の制限ができる日本にすることです。また昨年12月26日には、日本の侵略戦争をすすめる精神的支柱となり、あの戦争を賛美している靖国神社を首相が参拝しました。
教育分野では第一次安倍内閣で、愛国心の強制などを盛り込んだ教育基本法「改正」がすでにされています。
こんな「改正」がされたら首長が変わるたびに教育のあり方が変わることになりかねず、何よりも国・首長の意向に沿った上意下達の教育が完全復活しかねません。犠牲になるのは子どもたちです。
集会では地方教育行政法の改悪をやめさせるために、当面6月に向けて署名を集めようという提起がされました。署名は以下のJpgファイルのとおりです。下のサムネイルをクリックすると拡大できます。みなさんのご協力をお願いします。
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地方教育行政法の「改正」が何で問題なのか。集会ではいわき子どもを育てる会の佐々木公一さんが講演しました。教育委員会制度が作られた歴史的な経過にふれ、問題点を指摘する講演でした。ただ以下の戦前の部分の内容は、その時のお話から離れて自分自身が調べてまとめた内容です。
戦前の教育は国民を天皇の家来すなわち臣民とし、侵略戦争に動員するための教育でした。男の子たちは軍人に、そして女の子たちは銃後の守り手として戦争協力をすることが、教育によって刷り込まれていきました。その象徴が教育勅語と言えるのでしょう。
教育勅語は、「父母に孝行」「兄弟仲良く」「夫婦は調和よく協力しあい」「友人は互いに信じ合い」「慎み深く行動」「皆に博愛の手を広げ」「学問を学び手に職を付け」「知能を啓発し徳と才能を磨き上げ」「世のため人のため進んで尽くし」と、まことにもっともな、人としての有り様・道徳を語ります。
問題はこれに続く次の言葉です。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。
「皇運」は「天皇・皇室の運」という意味です。当時の天皇は大日本帝国憲法(明治憲法)で次のように規定されていました。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治」(第1条)し、天皇は「神聖ニシテ侵スヘカラス」(第3条)存在でした。そして「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」(第4条)する絶対的な存在でもありました。そして「天壌無窮」は「天地とともに永遠に極まりなく続くさま」の意味です。
従って先の言葉を現代語に置き換えるならば次のようになるでしょう。
「非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして永遠の天皇(天皇が支配する国=国体)の繁栄に尽くすべきです」
絶対的な権力を持った天皇制政府がすすめる戦争に命を投げ出す、そしてそれは他の問題よりも優先されると教えこむことを、教育の絶対的な役割にしていったわけです。そのことを達成するために教育勅語そのものが神聖化されていったことも、歴史は教えています。
こうした上意下達の教育のあり方が、アジアで2000万人、国民にも310万人という多大な犠牲を生み出す国づくりに利用されていったわけです。
戦後はこの戦前の教育の反省から、①「教育を国民のものとし、国民自らの手によって教育を管理運営」する教育の民主化、②「中央地方を通ずる従来の上下の指揮命令系統を切断」した教育行政の地方分権、③「中央集権制度や官僚制度の下になめた苦い経験」を反省した教育の自主性確保(1948<昭和25>年発行「教育委員会委員の必携」)―の3つの原則を掲げ教育の再生が図られました。
この原則を反映して制定されたのが教育委員会法でした。この法律により教育委員会制度が導入されました。
法律は第1条の目的で「教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに公正な民意により地方の実情に即した教育行政を行う」と明記しました。そして、教育委員は選挙によって選出される公選制とし、教育に民意が反映される仕組みを作ったわけです。
ところがこれは長くは続きませんでした。
1950年の朝鮮戦争勃発と警察予備隊の発足、51年の「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(旧日米安保条約)の締結、そして予備隊が保安隊に改組された後1954年には自衛隊が発足しました。このように、日本が再軍備に舵を切る中で、1956年に教育委員会法が廃止され、「地方教育行政の素域及び運営に関する法律」(地方教育行政法)の制定が強行されたのです。この法律で、教育委員の公選制が廃止され首長の任命制に変えられました。しかし、教育委員会の合議制は残されたのです。
この教育委員会をさらに骨抜きにしていこうというのが、安倍内閣がねらう地方教育行政法「改正」です。
主要な内容は、①教育長と教育委員長を統合して新「教育長」とする、②新「教育長」は首長が議会の同意を得て任命・罷免し任期は3年とする、③新たに首長が主催する統合教育会議の設置を義務付け、大綱的な方針を決定する(以上、請願署名から)―などです。
教育委員長は教育委員会の責任者、教育長は教育委員会事務部門の責任者と、いわば二重権力が教育委員会には存在します。日常に教育委員会を統括する教育長の権限乱用を抑えるためにこういう仕組みにしたのでしょう。この権力を統合してしてしまう点に、問題点の一つを感じます。
また総合教育会議の設置です。この会議のねらいを読売新聞は次のように報道しています。
「首長主宰の『総合教育会議』の設置を自治体に義務づけたのも、首長の意向を反映しやすくする一環だ。会議は、首長と教育委員ら教委メンバーで構成し、教育行政の基本方針を策定する。
制度上、首長は教育予算の執行権を握っているものの、教育行政の最終権限は、首長から独立した教委にある。思うように自らの施策を実現できないという不満を持つ首長が少なくないことが、会議新設の背景にあった。」
つまり首長の意向を反映する仕組みとして総合教育会議を設置したというのです。
結局、この地方教育行政法の「改正」は、首長の意向を汲んだ人物を教育委員会の責任者に据えた上で「統合教育会議」を通じて首長の意向を教育に反映させていく仕組み、すなわち教育を行政の下に置き、行政(首長)の意向で教育のあり方を決定する仕組みを作ることを狙ったわけです。戦前の侵略戦争をすすめる役割を担った教育への反省から作られた教育委員会制度のいっそうの形骸化をはかるものだということです。
このような教育委員会制度の「改正」は、日本国憲法のもとで戦後一貫して築きあげられてきた平和主義に立つ施策を打ち壊すことといっしょにすすめられています。
この半年間だけでみても、昨年12月の、国民から公の情報を隠す秘密保護法の制定強行、国家安全保障会議(日本版NSC)の設置、武器の輸出を前提にする防衛装備移転三原則の新設、集団的自衛権行使の解釈改憲。その上、明文改憲まで狙われています。その狙いは自民党の改憲草案に明らかです。平和主義に立つ憲法を「改正」し、海外で戦争をし、その戦争を支えるために有事の際に基本的人権の制限ができる日本にすることです。また昨年12月26日には、日本の侵略戦争をすすめる精神的支柱となり、あの戦争を賛美している靖国神社を首相が参拝しました。
教育分野では第一次安倍内閣で、愛国心の強制などを盛り込んだ教育基本法「改正」がすでにされています。
こんな「改正」がされたら首長が変わるたびに教育のあり方が変わることになりかねず、何よりも国・首長の意向に沿った上意下達の教育が完全復活しかねません。犠牲になるのは子どもたちです。
集会では地方教育行政法の改悪をやめさせるために、当面6月に向けて署名を集めようという提起がされました。署名は以下のJpgファイルのとおりです。下のサムネイルをクリックすると拡大できます。みなさんのご協力をお願いします。
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