伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

とりあえず解説しておきます

2017年09月10日 | 活動報告
 うーん、また出た。率直な感想です。いわき経済報が、私がかかわった事例を引き合いに出した文章を載せた紙面を、新聞折込をしていたというのです。この内容について、とりあえず解説をしておきたいと思います。

 経済報が、私の事を最初に文章にしたのは遠野町に民間事業者が飯場(作業員宿舎)を計画した時の事。まるで私が関係あるかのように、わざわざI議員と文章中に記載したのです。

 私が取材もなしに記事化したことの理由をただすと、「自宅に電話したけれど、ばあちゃんしかいなかったから」と釈明にもならない釈明をしたことが忘れられない。本人に取材もせず、関係者かのように匂わせる文章に仕立てる。報道姿勢としては全く好ましくない。

 その後、昨年の市議選で事務所開きをした際にタスキを使用していたと批判文章を書き、改選後の市議会の構成を決める際の議長と副議長の選出にかかわっての党市議団の対応を書く際にも、しきりに揶揄しながら非難めいた文章を書いていました。

 そして先だっての遠野興産のペレット工場建設にかかわっては、電子版に「『共産党市議が過剰反応』放射性物質飛散と住民の不安あおる。遠野町・木質バイオマス燃料工場」と見出しをつけて、「伊藤浩之市会議員(共産党)は『木質ペレットのチラシを配った。住民が反対している』と、山村区長にアドバイスしていることも認めた。」と記載していました。

 この時は、スマートホンに見知らぬ電話番号から着信があったため、折り返し電話したところ、ペレット工場建設計画に関して矢継ぎ早の質問が始まった。当初、市民の方からの問い合わせと思って対応していたところ、様子が変なので、「どなたですか」と聞いたら、「あれ、留守電を聞いていなかったのけ」といいながら名乗った。いわき経済報からの取材だったのです。

 この最後の質問が、「ペレット工場には問題がないのに、何で反対しているの」という趣旨の質問だったために、「住民のみなさんから相談されたのでアドバイスをしている」と答えたのですが、経済報は「区長さんと同じだな。それは議員としては当たり前の活動だ」と言って電話を切りました。にも関わらず、文章にすると前記のようにセンセーショナルな内容になってしまう。文章を読んで笑ってしまいました。

 さて、今回、また出た、というのは、「市民の目線を見失うな・保守勢力の政争は中途半端な都市づくりに」という文章です。いわき市の市長は、「短期政権で終えている」として「短期政柄(せいへい=政治上の権力)では市民の総意を得ることは難しい」ので、「最大会派である志帥会と第2会派の清政会が『保守系のいわき市議団』を結成し、一致団結、市政を築かなければならない」と主張するものです。ようするに自民党の議員が分裂しているのはおかしいので、一緒になって市長選をたたかえと言っているのです。この文章が印刷物で配布されたのは2回目でしょうか。



 一緒になってたたかえないのは、党内事情があるのでしょうから、私が関知することではありません。けれど、振り返ってみれば私が市議会議員に初当選したのは、2005(平成17)年9月に執行された市長選挙と同日選で執行された市議会議員補欠選挙で、以降、自民党出身の候補者が選挙で争うという状況は、確かに続いています。

 2005年に当選した市長が櫛田市長、次の市長選挙で渡辺市長、次の選挙で清水市長が当選しました。いずれも自民党出身者同士の争いの中での当選です。そして、3人の市長とも、私は最初の議会で一般質問を行っています。

 櫛田市長には、駅前再活事業から総合型図書館を撤退させ独立型図書館整備、芸術文化交流館「アリオス」の建設計画の見直し、中心的なこの2つの公約には、すでに契約が済んでいる状況から、新たに作る計画の費用負担と既存の契約に対する損害賠償が発生するなど財政上問題があるとの立場からの質問をしています。

 これらの公約は結局、当選からほぼ3か月後には前市長のすすめた計画通りにすすめることになりました。

初議会に臨んだ櫛田市長に対する一般質問
いわき市議会会議録

 次の渡辺市長の初市議会では、市長の政治姿勢と公約実現にどのように取り組んでいくのかをただしていました。

初議会に臨んだ渡辺市長に対する一般質問
いわき市議会会議録

 そして清水市長には、復興をスピード感を持ってすすめるとした公約や、共立病院建設計画の見直しに関する公約などを取り上げて質問しました。復興は困難な中でも順調にすすんでいたし、病院事業計画の見直しには補助金の問題も含め問題があるとする視点からでした。清水市長は、「計画に基づき、一歩一歩着実に復興の歩みを進めてきた」と復興進捗に対する認識をあらため、病院事業計画も病床数を若干増やしたものの抜本的に見直すことはせず、基本的に従前の計画通りすすめることになりました。

初議会に臨んだ清水市長に対する一般質問
いわき市議会会議録

 ちなみに櫛田市長の前の四家市長の初議会で、日本共産党市議団は、日本共産党がかかげる政策に関して見解を問う内容で質問しており、この時には公約が直接問題になっていなかったようです。

初議会に臨んだ四家市長に対する一般質問

 支援関係から見ると、四家市長と渡辺市長は一つの流れに属し、櫛田市長と清水市長が一つの流れに属しているようで、選挙で対抗するために後者が無理な公約をかかげている状況を見ることができます。

 それはともかく、この文章では、その市長選の保守同士の争いを語る前段として、昨年の市議会の構成を決めた際の自民系会派の動きを取り上げる中、合わせて日本共産党市議団の対応を非難している内容なのです。

 この文章は、第1会派の議長候補と第2会派の副議長候補への各派の対応を交えながら、議会の構成方法を話し合う各派代表者会議の内容を伝えています。

 同市議会議員の中から同市監査委員会の監査委員に2人を選出することになっている。監査委員は同市の機密を知りえることになるので同会議に出席したI議員は「議員監査委員は議会開催中に質問を避けるべきだ」と発言したが日本共産党いわき市議団の出席者からクレームが付いた。共産党はI議員が、この席で発言するのはおかしいというのだ。そんな人を副議長にするのは反対だという。こどもが駄々をこねるようなレベルの低い話だ。同会議は支離滅裂な状態に陥った。I議員の発言は、まさに正論である。しかし、共産党にかき回されたことで清政会の副議長は水に流れた。
(掲載されたままの文章です)


 ここでクレームをつけた議員というのが私です。この文章では、まず、I議員の発言の内容が違う。発言は、「もともと監査は質問をしないという申し合わせが内々であった」というのものでした。議会全体でこんな申し合わせがされたわけではありませんでした。推測するに保守系会派内での「内々」の話です。そんな「内々」の話を、議会全体のものとして持ち出すこと自体が筋違い。

 しかもさかのぼること4年前、前回改選を前後してこのことが問題になり、I議員が副委員長を務める議会運営委員会で、「(監査委員の質問について)各派代表者会議において意見を集約してきました。議員固有の権利を奪うことはできないものであり、これまでどおり質問をすることを妨げないこととしますが、監査委員としての守秘義務があることを十分に念頭に置き登壇するべきとの整理がされました」と確認がされている内容なのです。

 この意見集約では、「これまでどおり質問をすることを妨げない」と、そもそも監査委員は質問をしないという申し合わせは市議会になかったことを明らかにし、今後とも質問をすることを妨げないとしています。その上で「守秘義務」に触れることは避けるべきという考え方を明らかにしているのです。

 ですから、私は、「この場での発言にふさわしくない。撤回すべき」と求めました。別に「I議員が、この席で発言するのはおかしい」と言ったわけではありません。

 しかも、その席上で、「そんな人を副議長にするのは反対だ」と発言したわけでもありません。なぜなら、この場は誰が議長、副議長候補になるのかが議論される場ではありませんでした。「そんな人を副議長にするのに反対」という発言をする余地がない会合でした。この時は単に発言の撤回を求めただけでした。I議員は発言を撤回することもなく、その場をやり過ごしました。

 私たちは、第1会派から議長、第2会派から副議長という選出ルールを採用するために、基本的に過去の言動等でルール決定を左右されないという立場でこの会派構成の決定に臨んでいました。なぜなら、直前の市議会議員選挙で市民から一定の支持を得て当選しているわけで、その点から見れば、すべての議員が対等の立場にあるし、このルールのもとでは、それぞれの会派が責任をもって推せんした者を信頼することが前提にならなければならないと考えたからです。しかし、目の前で起こった現在進行形の問題に目をつぶるわけにはいきません。

 ですから発言の撤回を求めたわけですが、撤回もされなかった。そうなれば、議員固有の権利である発言権を封じるような考え方を持った人物が、議会の民主的な運営の要となる副議長にふさわしくないと考えることは当然です。

 そこで、この会議と別の機会に、第2会派の代表に、「私たちは第2会派から副議長という考え方だが、候補とうわさされているI議員は監査に関する発言があって投票するわけにはいかない。第2会派から別の候補者が出るのであれば、そちらに投票する」という趣旨の考えを伝えたのです。

 しかし、その後、第2会派から副議長候補に関する要請はありませんでした。

 第1会派からは議長及び副議長候補への支持の要請があり、その場で今後の議会運営で民主的な運営を貫くという発言があったため、第1会派の議長候補に投票することにし、一方、副議長は第2会派から出すという考えがあったため、第1会派の副議長候補には投票しないことにしました。しかし第2会派の副議長候補となる者からの要請もなかった。このため、自会派の議員に投票することになったのです。

 この経過を考えた時に、「こどもが駄々をこねるようなレベルの低い話」でこの会議が「支離滅裂な状態に陥った」という指摘もあたらないのです。

 そもそも、議員が議会で発言することは固有の権利です。その発言権を擁護する主張が、「駄々をこねるようなレベルの低い話」と言えるのか。そして、議員は一般質問などの発言を通じて執行部に働きかけ、市民の要望を実現していくわけです。その「質問を避けるべき」という主張が「正論だ」というのか。その考え方はどうなのでしょう。

 この問題への対応はこちらでも詳述していますので、ご覧ください。

臨時議会ではこんなふうに対応しました(2016年10月6日)

活動日誌 No.186。やっと作りました。(2016年10月12日)

 この文章が再掲された紙面の1面には、「議員だよりにチラシ挟み配布。渡辺氏運動で共産党員支持へ」という文章が載っていました。この文章の本文冒頭には、次のように書かれていました。

 共産党いわき市議団発行の議員だよりは7月30日に発行された。日本共産党いわき双葉地区委員会と記され、記事には、清水市政を考える1『公約』という見出しだ。記事の中に、こんな一コマが「市長は逃げたんだってね」と住民に問われるたびに「同僚議員は対策本部で毎日会っていたし、私自身も2日に1度は会っていた。逃げたなんてありえない」「支援物資が配られなかった」「市長がよその支援を断った」などと能書きをならべ弁解している。文章には「事実を伝えても、決して信じてもらうことができない」などといっている。この記事は、眠る子を起こすものと受け止められるが清水敏男市政を批判している。
 このように、共産の議員だよりに、渡辺氏を擁護している内容となっている。

(紙面に掲載されていたままの文章)


 「能書きをならべ」という言葉には毒がありますね。「能書き」を調べると、薬などの効能を書き記した「効能書き」の「効」が抜け落ちた言葉で、そのものの長所や値打ちを書き記したものという意味となっています。これが転じて、自己宣伝のために優れた点を述べ立てることを「能書きを並べる」と言うようになったそうです。

 こう考えると、「支援物資が配られなかった」「市長がよその支援を断った」という部分は優れた点ではなくて、むしろ劣った点となるので、この部分だけの引用では「能書きをならべ」にふさわしくないかな、という感じがします。ここはきちんと、元の文にあった「『支援物資が配られなかった』『市長がよその支援を断った』など様々な誤解」まで引いた方が良かったような。「誤解」を入れることで、劣った点ではなかったということを表現しているわけで、「能書きをならべ」でくくるには絶対にその方が良い。

 引用されている記事は、清水市長が前回の選挙で発言した内容あるいは公約を、選挙後に基本的に反故にした問題について論じたもので、引用された部分は、4年前の選挙戦時には誤解が広く市民にいきわたっていた背景について触れた部分です。

 この文章で引用された部分を見ると、「眠る子を起こすものと受け止められる」という指摘は、まあ理解できなくはない。でも、この文章があろうがなかろうが、今回もこの誤解に基づく元市長批判は聞かれたことなので、事実と異なる点は判断材料から排除して、それぞれの候補者の政策で冷静に判断しようと呼びかけるのは当然のことです。

 理解できないのは、「清水敏男市政を批判している」の部分。この経済報の文章が議員だよりの記事から引用した部分をもって、「清水敏男市政を批判している」と読み解くことは難しい。というより、私はそうは読めない。単純に、元市長に対する誤解による悪評だけがクローズアップされてくるだけです。

 確かに、記事全体を読めば、選挙後に公約を反故にしたことを指摘しているので、清水市政を「批判している」と分かるのですが、経済報の引用部分だけで、そのように読み解くことができる人はいないでしょう。

 どうして公約を反故にしたと批判をしている部分を、きちんと引用して清水市政を「批判している」と書かなかったのだろう。そこを引用すると、現職市長にとってはマイナスになる。だから、議員だよりに表現された材料を、経済報の主張に都合よく利用できる部分だけを使った、つまり、それが元市長への市民の誤解の部分だけを抜き出したということなんだ。こう考えてこの文章がやっと理解できました。

 報道機関にも主義主張があり、それが報道内容に反映することはあり得るでしょう。一方で、一定の公平性は求められているでしょう。そもそも元の記事の指摘を全く抜きにして、ここまで露骨に偏った記事に仕立て上げる。公平性はどこにいったのだろうか。自分自身でもこれまで、様々な問題を批判的に取り上げてきたけれど、人の文章をこんな恣意的な取り上げるやり方をしてはいけない。自分のいましめにしておきたいと思います。

 この4年間の清水市政について、日本共産党市議団がどんな考えを持っていたのか。正しく知っていただくためにも、日本共産党議員だよりの6回の連載をご参照ください。

 連載は、こちらのブログで読むことができます。連載6回目のブログですが、ここに全ての記事のリンクがはってあります。

清水市政を考える6・優先 / 議員だよりの記事を書きました。


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