伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

6年目

2017年03月11日 | 四季
 日の出がだいぶ早くなりました。午前6時前には、空に明かりがさしています。

 そんなわけで少し遅めの愛犬の散歩では、お日様はだいぶ高いところに上がっています。寒くて、穏やかな朝には、太陽柱(サンピラー)の出現を期待できるのですが、こんなに日が高くなっては無理。もう少し早く散歩に出かけなくちゃ。心にそう言い聞かせるのですが・・なかなか。

 まぁー、遅い時間でも良いことはある。太陽柱は見えなかったけれど、彩雲が見えていました。



 6年前のあの日も良い天気でした。中学校の卒業式の日でした。あの頃も犬の散歩をしていたのですけど、その朝はどんな朝だったのだろうか。まったく思い出せませんね。おそらく薄暗い中で、犬の散歩に出かけたと思うのですけど。

 でもあの年は、今年程、春めいていたのでしょうか。

 近所うちではミニサイズの種類ですけど、スイセンが咲いていました。春を感じますよね。

 うららかな朝とは打って変わり、強い風が吹き始めました。その中、しんぶん赤旗の配達をして、先日、不幸にも火災で自宅と物置を失った知人の見舞いに行って・・午後の「震災追悼式」に出席するためにスーツ姿だったのですけど、知人らに手助けしてもらいながら火災の片付け作業中でして場違いでしたけど・・配達終了後、いわき芸術文化交流施設アリオスで催された「平成29年度いわき市東日本大震災追悼式」に出席しました。

 午後2時35分開始。全国追悼式の安倍首相の式辞、秋篠宮(「宮」は称号で地位をあらわす言葉なので敬称は省略します)の言葉の中継後、震災が発災した午後2時46分に全国のみなさんといっしょに黙祷をささげました。



 続いて市独自の追悼式に入り、市長の式辞に続く遺族代表で新妻篤さんが追悼の辞をのべました。

 「春の訪れを心待ちにするこの日が、1年で一番心が沈む日になりました。子どもは無事でした。震災のあの日のことは鮮明に思い出します。お母さんは子どもを車に乗せた後、何のために自宅に戻ったのですか。再会できたのは4月29日のことでした。(遺体は)黒くなっていました。きれいに化粧して送り出してやれなくてごめん。震災から6年がたち、まち並みも整備され、新たなまちが見えてきました。久ノ浜では4月から浜風キララがオープンします。新年度は住みよいまちのスタートになります。震災で犠牲になられたみなさんの、冥福を祈るとともに、土地や風土を守り、明るい未来を築くことを誓います」

 おおよそこんな言葉だったと思います。

 まちはきれいになっていっても、突然失われた命に後悔と心の傷は癒えないまま時が流れていく。そんな遺族の心を知るような思いでした。

 湯本高校吹奏楽部の献奏が厳かに会場に響き、式典後の自由献花で白菊を捧げ、震災犠牲者の冥福を祈り、災害が再びやってこないことを願ってきました。

 会場の外、平中央公園にはキャンドルが並べられていました。「3.11希望のあかり」の取り組みで、キャンドルは「3.11祈」と記していました。



 まだ点灯されていませんでしたが、今年で6回目のこの灯りが、薄暮れた夕方の公園を美しく飾ったことでしょう。

 自宅に戻りました。

 庭にフキノトウが伸びていました。



 よく見るとツクシも1本だけ出ています。



 そしてタネツケバナも小さな、小さな花を開いていました。



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