昨日はいわき市消防団の春季検閲式が行われ、7支団約2,300人が行進しながら入場し検閲式に臨みました。
その後、通常点検(服装点検など。下写真)と規律訓練競技が行われました。競技では消防団員が3隊に分かれ、指揮者の号令一下、隊列や隊形を変更しながら後進します。きびきびした動作、変わっていく隊形はなかなか圧巻です。
こうした訓練は、結局、迅速で安全な消防団活動の実施を保障することになります。日頃のみなさんの活動に感謝をしたいと思います。
4月22日に、小名浜生協病院の敷地内に非核平和都市宣言などの記念碑が建立されました。記事にしてしんぶん赤旗日刊紙に送ったのですが、きょうまで掲載されないので、このままお蔵入りかもしれません。
ということで、その記事をこのブログで紹介します。
▽非核平和都市宣言記念碑除幕/小名浜生協病院敷地内
福島県いわき市の小名浜生協病院敷地内のコナラ林で22日、いわき市非核平和都市宣言と採択運動のきっかけとなった詩「つまらないからよせ」を刻んだ記念碑の除幕式が行われました。記念碑建立実行委員会が主催しました。
詩は、元いわき短期大学長の中柴光泰氏が創作した、核兵器ではなく田や詩を作ることを訴えたもの。
この詩が1985年に発表されたのを受け、いわき市医師会副会長(当時)の北山和也氏(後に小名浜生協病院長)が事務局長となり「非核平和都市をめざすいわき市民の集い」(後に「やっぱり平和・非核市民のつどい」に改称)が結成されました。
宣言を求める署名約5万8千が集まり、86年3月のいわき市議会に提出された請願は全会一致で採択されました。
採択を受け田畑金光市長が、「恒久平和は、日本国憲法の理念であり平和の確保は日本国民がひとしく願うところ」などと「いわき市非核平和都市宣言」を提案。これも全会一致で採択されました。
田畑氏は、選挙で日本共産党も支援していた市長です。
記念碑は故人となった三氏の功績を顕彰して建立されました。式では関係者があいさつした他、「核兵器のない世界に私も全力を尽くします」という小池晃日本共産党中央委員会副委員長・参院議員の祝辞などが紹介されました。(了)
その後、通常点検(服装点検など。下写真)と規律訓練競技が行われました。競技では消防団員が3隊に分かれ、指揮者の号令一下、隊列や隊形を変更しながら後進します。きびきびした動作、変わっていく隊形はなかなか圧巻です。
こうした訓練は、結局、迅速で安全な消防団活動の実施を保障することになります。日頃のみなさんの活動に感謝をしたいと思います。
4月22日に、小名浜生協病院の敷地内に非核平和都市宣言などの記念碑が建立されました。記事にしてしんぶん赤旗日刊紙に送ったのですが、きょうまで掲載されないので、このままお蔵入りかもしれません。
ということで、その記事をこのブログで紹介します。
▽非核平和都市宣言記念碑除幕/小名浜生協病院敷地内
福島県いわき市の小名浜生協病院敷地内のコナラ林で22日、いわき市非核平和都市宣言と採択運動のきっかけとなった詩「つまらないからよせ」を刻んだ記念碑の除幕式が行われました。記念碑建立実行委員会が主催しました。
詩は、元いわき短期大学長の中柴光泰氏が創作した、核兵器ではなく田や詩を作ることを訴えたもの。
この詩が1985年に発表されたのを受け、いわき市医師会副会長(当時)の北山和也氏(後に小名浜生協病院長)が事務局長となり「非核平和都市をめざすいわき市民の集い」(後に「やっぱり平和・非核市民のつどい」に改称)が結成されました。
宣言を求める署名約5万8千が集まり、86年3月のいわき市議会に提出された請願は全会一致で採択されました。
採択を受け田畑金光市長が、「恒久平和は、日本国憲法の理念であり平和の確保は日本国民がひとしく願うところ」などと「いわき市非核平和都市宣言」を提案。これも全会一致で採択されました。
田畑氏は、選挙で日本共産党も支援していた市長です。
記念碑は故人となった三氏の功績を顕彰して建立されました。式では関係者があいさつした他、「核兵器のない世界に私も全力を尽くします」という小池晃日本共産党中央委員会副委員長・参院議員の祝辞などが紹介されました。(了)
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