伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

合掌

2019年03月30日 | 日記
 勘違いをしていた。

 知人の亡父のお通夜は、今日だと思っていたのだ。念のためと今朝確認すると、昨日が通夜で、今日が告別式となっていた。

 これはやばい。急いで準備し、会場に向かった。

 亡くなった方は、今でも忘れられない。

 私が議員に初当選をしたのは2005年9月11日執行の市議会議員補欠選挙。欠員3に4人が立候補した選挙だった。市長選挙に伴うもので、衆院選(選挙区、比例区、国民審査)、県議補選、市議補選が同日投票となり、投票所に6つの投票箱が並んだと、全国でも話題になった選挙だった。

 無名の新人にもかかわらず多くの支持をいただいたこと、また、定数が3に対し立候補が4だったことが功を奏し、次点と約500票差の32,546票で初当選させていただいた。以来、3回の市議選でも支持をいただいて市議会議員としてつとめさせていただいている。

 初当選の時は、当たり前だが、何でも初体験ばかり。10月には初議会となる定例議会が招集され、補選当選者に慣例的に与えられる挨拶の機会が初登壇となった。短い時間ながら、原稿を用意していても心臓がバクバクしていただろう。そして、この議会では補選で当選した3人に、通常の会派持ち時間とは別に1時間の質問時間が与えられることになった。同じく初当選した櫛田市長に、総合型図書館整備や文化交流施設整備の問題などで、公約通りに実施すると多額の財政需要が生じかねず、現実を踏まえない内容だったという問題意識から質問していた。同じく初当選した新人議員が、同じく当選した市長にする質問なのかという思いがあるが、それはそれで、とにかく質問の開始当初は心臓がドキドキし、発言のたびに息苦しさを感じていたことは間違いない。

 うろ覚えだが、選挙の1ヶ月半いや2ヶ月だったのかな・・前は、立候補するとは思いもよらないことだった。急きょ立候補することになったが、それ以前の地域社会での活動は、遠野地区の育成会役員を2年間務めたことくらい。もともと岩手県宮古市生まれの私は、地域でもあまり知られた存在ではなかったといえる。

 そんな私が、議員になったことで、いきなり「先生」(そう呼ばれると先生ではないので普通に呼んでくださいとお願いするのだが)と呼ばれ、今まで、経験のなかった消防団の集まりにも呼ばれるようになった。その初めての何かの懇親会で隣席となったのが故人だった。たしか消防団OBとして表彰か何かがあり、招待を受けていたと記憶している。

 議員になったとはいえ、共産党の議員というだけで、どこの馬の骨でどういう人間かも分からない。それが当時の私だ。私自身の状況から見れば、消防団に呼ばれたのは初めての事で、知っている人もほとんどいないで、来賓席に着いている。そんな状況の中で、私を気づかってくれたのだろう。話しかけてくれ、消防団のことなどをいろいろ教えてくれたのが故人だった。心の面で、議員の滑り出しを支えてくれたと言ってもいいだろう。

 そういう思いで深い方だったから、焼香は必ず行かなければならないと思っていた。遺影を前にしてその時の事が脳裏によぎっていた。焼香し、遺影に手を合わせることができて本当に良かったと思う。

 どうか安らかに眠っていただきたい。改めて合掌。


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