ひろっぺのお針箱

下手だけど手芸が好きです♪

『方丈記』の無常観

2016-01-08 19:59:10 | 文学

 

  今日午後は27年度最後の古典文学講座。『方丈記』8回目だった。

 出掛ける支度をしていると電話が鳴った。
 娘時代に勤めていた職場の友である。

 退職してから44年になるが、当時の同僚10数人の内5~6人は数年に一度集まって旧交を温めている。

 「お正月からナンだけど・・・」と、口ごもりながら、
 「Kさんが大腸ガンで亡くなったって・・・」と、言う。

 驚いた。
 黄泉の国に旅立った同僚は、これでもう4人目なのだ。

 「Nさんも乳ガンの手術をしたって!」
 「まあ!」

 これにも驚いた。何が起こってもおかしくない年代なんだ、と改めて知らされた。

 『方丈記』の冒頭の章にはこう述べられている。

  《朝(アシタ)に死に 夕(ユウベ)に生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。》
   
  (朝亡くなる人がいる。夕方生まれてくる人がいる。人の命は儚い水の泡と同じではないか。)

 折りしも今日は『方丈記』最後の授業。

 一切のものは変化する運命にある、という仏教的無常観は、
 現代に於いても根っこは同じなのだ、としみじみ感じたことでした。

 

 

 


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