今日午後は27年度最後の古典文学講座。『方丈記』8回目だった。
出掛ける支度をしていると電話が鳴った。
娘時代に勤めていた職場の友である。
退職してから44年になるが、当時の同僚10数人の内5~6人は数年に一度集まって旧交を温めている。
「お正月からナンだけど・・・」と、口ごもりながら、
「Kさんが大腸ガンで亡くなったって・・・」と、言う。
驚いた。
黄泉の国に旅立った同僚は、これでもう4人目なのだ。
「Nさんも乳ガンの手術をしたって!」
「まあ!」
これにも驚いた。何が起こってもおかしくない年代なんだ、と改めて知らされた。
『方丈記』の冒頭の章にはこう述べられている。
《朝(アシタ)に死に 夕(ユウベ)に生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。》
(朝亡くなる人がいる。夕方生まれてくる人がいる。人の命は儚い水の泡と同じではないか。)
折りしも今日は『方丈記』最後の授業。
一切のものは変化する運命にある、という仏教的無常観は、
現代に於いても根っこは同じなのだ、としみじみ感じたことでした。