日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

一神 多神 汎神

2023-02-25 19:27:22 | 日月神示の実践

2008年に日月神示に出合い衝撃を受けました。以前はキリスト教の信徒であったため、「生まれ変わり」については、腑に落ちませんでした。キリスト教では地上界と霊界、天国の三階層を説いています。この世で良いことをすれば、天国に行けるが、悪いことをすれば、地獄(低い次元の霊界)に行くと教わりました。「生まれ変わり」は無く、現世が終われば霊界に行くという教義ですので、地上界を体験できるのは1回きりということになります。日月神示をはじめ神道でいう輪廻転生について納得するまでには、一年くらいの期間を要しました。

 ただ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教同士は、常に争いが絶えず、戦争まで引き起こしている現実を見て、一神教に対して疑問を持っていた時期なので、多神教を受け入れやすかったのだと思います(日月神示では、一神、多神、汎神といわれています。「この方一柱であるが無限柱ぞ。すべてが神であるぞ。一神ぢゃ。多神ぢゃ。汎神ぢゃ。すべてが神ぢゃ、喜びぢゃ」(「春の巻」第二十一帖)」)。

 中矢先生の著書「日月神示 この世と霊界の最高機密」から以下を引用させていただきます。『「天国は霊人のみの住む処ではないぞ。そなたたちも今住んでいるでないか。霊人も現界に住んでいるでないか。現界を離れて天国のみの天国はないのであるぞ。故にこそ、現界で天国を生み出し、天国に住めんものが、死んで天国へ住める道理はないのぢゃ」(「白金の巻」第三帖) 霊界とは、現界と切り離された、遠い空の彼方に位置しているのではなく、今ここに、現界において、われわれと共に存在しているという意味が、おわかり頂けただろうか。現界に肉体を持っている時でも、人は同時に霊界にも生きている。また死後に霊界に赴いても、現界との関係は切れない。』

 キリスト教では、現界が苦しいものであっても、良いことをすれば天国に行けると教えられましたが、上記の日月神示を読むと、現界で天国に住んでいなければ、死んでも天国へ住むことはできないことが分ります。現状が不平不満だらけで、不幸だと感じているのであれば、天国へは行けないということになります。このことも私にとって大きな転換点となりました。


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仕事について

2022-04-06 20:14:24 | 日月神示の実践

■  仕事

 日月神示の道を実践するために、滝に打たれたり、断食することはあまり意味がありません。御神業とは現在の仕事をすることであるとあります。

 

「まず己の仕事せよ。五人分も十人分も精出せと申してあろ、五人分仕事すれば判りて来るぞ。仕事とは、嘉事よごとであるぞ。仕事せよ、仕事仕えまつれよ、それが神の御用ざぞ。神の御用ざぞと申して仕事休んで狂人の真似に落ちるでないぞ。」

現在就いている仕事が御神業です。仕事を休んで滝に打たれたりすることは、狂人のすることとあります。日々の仕事を五人分も十人分も精出すことが大事です。実際に十人分の仕事を一人でやることはできませんが、それくらい一生懸命にやれば、道は開けてくると思います。一生懸命仕事をすれば、会社からも認められるでしょう。そうなれば給料などの待遇も良くなります。自然と仕事が嘉事になります。また、一生懸命に仕事をすれば、仕事自体の面白さが分かってきます。これも嘉事です。

 

「取り越し苦労、過ぎ越し苦労やめて下され。地球という大船に乗って一蓮托生ぢゃ。現在の仕事が御神業と心得よ。不満を持ってはならん。そなたが招いた仕事でないか。」

 

「仕事は神が与えたり、人が与えてくれるのではないぞ。自分自身が仕事にならねばならん。この道理さえ判れば、失業はないぞ。自分が仕事ぢゃからのう」

有名な歌手や音楽家、画家などのアーティストや俳優などは、自分自身が仕事になっています。有名になるまでには苦労があったと思いますが、その後は失業することもありません。

 

「日々の人民の御用が神の御用と一致するように努力せねばならん。一致すれば嬉し嬉しで暮らし向きも何一つ足らぬものなくなってくるぞ。食物が喜んで飛び込んでくるぞ。着るものが着てくれと飛び込んでくるぞ。住居も出来てくるぞ。心のそれぞれも同様ぞ。」


 


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コロナ、ウクライナ  大峠の真っ最中の世界

2022-04-03 21:18:25 | 日月神示の実践


2年前からコロナ騒動で世界中が混乱してきましたが、それも収まらないうちにロシアがウクライナに侵攻し、混乱に拍車をかけています。

2月までは毎日テレビでコロナ騒動を報道していましたが、現在はウクライナ問題に変わっています。日本の報道ではロシアへの制裁で、ロシアは経済が悪化し自滅するのではないかという流れになっています。

実際のところ、ルーブルは3月上旬に36%も下落しましたが、現在はほぼ侵攻前に戻っています。外貨の柱の一つである天然ガスについては、EUは制裁のため輸入をしていませんが、その分を中国が買っているので、ロシアにとっては問題となっていません。

また、ロシアの経済の柱である原油価格が高騰を続けているので、ロシアにとっては追い風となっています。2014年は原油価格が1バレル109ドルでしたが、2015年には44ドルまで値下がりしたため、ロシア経済は大不況となりました。ロシアを追い込むのであれば、先ずアメリカが原油の生産量を減らし、サウジアラビヤなどに圧力をかけて減産させればいいのですが、アメリカはそれを行っていません。それが何より不思議です。

さらにロシアへの制裁により、小麦価格は約30%値上がりしました。小麦の輸出が経済の柱であるロシアにとっては嬉しい限りです。
このように見ると、アメリカやEU、日本など40数か国の制裁により、ロシア経済は良くなっているのです。制裁は全くの逆効果で、ロシアにとってはメリットが多いのです。

正に制裁という名の支援ですね。先月くらいから気になっていたのですが、今回のロシアのウクライナへの侵攻は、コロナと同じように地球規模の企みがあって始められたのではないかということです。
今後世界経済は金融優先の欧米諸国と実物優先のBRICs諸国に二極化されていくと思います。欧米諸国はドルを基軸に、BRICs諸国は金本位制に近い通貨を使うように考えられます。両陣営ともに、次第に仮想通貨に比重を移すと思います。

コロナ騒動やウクライナ侵攻は誰が計画したのかは何とも言えません。ロスチャイルドの上位に位置すると言われるバチカンや、欧州王室連合のさらに上の数人の人たちなのかもしれません。
ただ、大きな観点から見れば地球の意思であり、宇宙の意思だと思います。

宇宙のシステムと連動している組織が日本にあるので、その組織が意図していないにもかかわらず、世界が動いているのだと思います。
地球のバイオリズムでいえば、イギリス文明が終わり、日本文明が始まりつつあるということです。
地球は生まれ変わりの最中です。
新人類と旧人類に二極化されてきています。
そして未来の新人類の地球は、慈悲に満ちた世界になると思います。



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皇の時代  「ウイルス性の病気は自分で選んでいる」

2022-04-03 06:05:20 | 日月神示の実践

  220331花2
    フリージアです。




以前紹介した「皇の時代」のウイルスについて述べたいと思います。


■  ウイルス、細菌は浄化の救世主


 風邪の季節になると、「ウイルスをやっつけろ」、食中毒というと「細菌をやっつけろ」と悪者扱いされています。

 ウイルスや細菌に限らず、自分の意に反した結果が出ると、自分は正しいことをしているのに、あの人のせいでこうなった、世の中が悪いから、社会が悪いから、政治が悪いから、国民が悪いから、他人が悪いからと、自分は一切責任をとらず、相手に責任をなすりつけてきました。

 このような思考は、いままでの祖の時代の特徴であり、「天動説的思考」といい、祖の時代のルールでした。

 では、本当にウイルスや細菌は、望まないのに勝手に入ってくるのでしょうか。しかし、ウイルスや細菌には、意思はありません。細胞には意思がありますので、宿主次第で、たとえば細胞が、そのウイルスの遺伝子を取り込むかどうかを決めるのです。

 たとえば癌ウイルスの情報が欲しいと思ったら、自分の細胞が癌ウイルスをつかんできて、感染させて癌を発症させるというメカニズムになっているのであって、ウイルスには何の罪もありません。あくまでも、ウイルス性の病気も、細菌性の病気も、自分自身が選びつかみ取っているのです。


 ウイルスは私たちの遺伝子を組み換えて、間違った方向に行かないように修正して、人間を正しい方向に導いてくれています。


 いままでの祖の時代に活躍したウイルスは、人間が鈍感になるような体質にするウイルスでしたが、いまは人間を敏感になるように変えてくれるウイルスが組み込まれつつあります。


 そのおかげでこれから次第に、誰もが超能力者になれるのです。そうなると、ほとんど脳を使わず、感性、感覚で生きられるようになりますので、とても楽になります。また、人間が近代化したのも、ウイルスの協力によるものです。


 私たちの食事量をみますと、昔は大食の人が、多かったのですが、これはご飯を直接食べないと、エネルギー変換ができなかったからです。


 しかし、いまは昔と比べて食事の量が減ってきています。それもウイルスによって、あまり量を摂らなくてもエネルギー変換ができるように、体質が改善されたからなのです。

 
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病気は外からやって来て、感染させられる厄介なものと考えていましたが、逆だそうです。
「病気というのは、自分自身が選びつかみ取っている」とのことです。

また、昔よりも食事の量が減っているそうです。ウイルスによりエネルギー変換の効率が良くなったからとのことです。新人類でしょうかね。
戦国武将は一日に米を6合食べていたとの記録があります。おかずが少ないとはいえ、多いですね。現代でそんなに食べられる人はほとんどいません。
ウイルスなどの影響で、人間の体は少しづつ変化しているのかもしれませんね。


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皇の時代 「言(げん)」は80億光年まで届く

2022-04-02 19:49:14 | 日月神示の実践


  220331花

美しい花は安らぎを与えてくれます。



  220331自宅芝桜
 
庭の芝桜が咲き始めました。小さくて可憐な花ですね。




以前紹介した「皇の時代」には、以下のように書かれています。


『私たちを生かし、造り、動かしているのは、見えない領域の神、仏、その他の生命体や、もの、ことなど、自分以外の「他」という方々でした。

 このような見えない存在が、どのようにして、その人に付くのでしょうか。

 それは言葉です。言葉は正確には「言(げん)」といいます。

 言はどんなに小さな声でも、その言の波動は、80憶光年先まで広がっています。その波動を受けて、その波動に合った見えない方々が協力してくれるのです。

 よく言葉は大切だといいますが、よい「言」を発して、自然に合った生き方をしているだけで、放っておいても幸せの方向へいくのです。すると、この地上でも自分に合う波動の人が集まるようになっています。

 ですから、悪い言葉や、マイナスの言葉や、乱暴な言葉を使っていると、そういう波動の見えない協力者がつくとともに、仲間が集まってきます。良い仲間に恵まれたいと思うなら、自分の言葉に気を付けるのが良いでしょう。気の合わない人と嫌なのに、いままでのように損か得かで無理に合わせようとしていると、自分が異常になり、運が落ちることになりますので、無理せず、マイペースで自分に正直に生きることが大切です。』

 

量子力学では言葉も素粒子でできていると言われています。素粒子は時空を超えるので、自分の発した言葉のエネルギーは地球の裏側まで瞬時(同時)に届くそうです。

良い言葉を使っていると良い仲間に恵まれることは、多くの人が体験していると思います。
類は友を呼ぶということですね。


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祈りと行

2022-03-29 17:07:15 | 日月神示の実践
  • 祈りと行

「祈りとは意が乗ることぞ」と日月神示にはあります。神と波長を合わせ、祈ることが重要とのことです。また、自分の奥底の魂を発現させ、行動を起こしていくことが肝要だといいます。

「行」とは滝に打たれたり、断食をすることではなく、日々の生活の中で神の願う行動をすることです。また、自分が現界に来る前に決めた魂の計画を実践することをいいます。

 

「祈りとは、意が乗ることぞ。霊の霊の霊と体と合流して、一つの生命となることぞ、実力であるぞ」

 

「日々の祈りは行であるぞ。百年祈り続けても、祈りだけでは何もならん。それは祈り地獄ぢゃ。祈り地獄多いのう。肉体人は肉体の行せねばならん。」

たとえ百年祈り続けても、実践をしないと無駄になります。現世に生きる肉体人は、行動を起こさないと意味がありません。

 

「祈りと申すのは心で祈り願うことではないぞ。実行せねばならん。地上人は物としての行動をしなければならんぞ。口と心と行と三つ揃わねばと申してあること、忘れたか」

祈りとは心で祈ることではなく、実行しなければなりません。身口意を一致させることが重要です。

 

「為すにはまず祈らねばならんが、そなたはそなたの神にのみ祈っているぞ。為すのは己であるから、己に祈らねばならんぞ。己に祈りた後、己が為さねばならんぞ。」

神に祈るだけでなく、自分自身にも祈るとよいです。自分も神の分け御霊なので、自分への祈りも大事だということです。

 

「拝むばかりで金もうけ出来たり、病気治ったりすると思うたら間違いぞ。道にいそしめ。道行くところ喜びあるぞ。喜びあるから病気も治るのぢゃ。金も出てくるのぢゃ。」

拝んだだけで金儲けができたり、病気が治ったりすることはありません。実践が必要です。喜びによって病気は治り、お金も入ってきます。

 

 


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身魂磨きとメグリ 2

2022-03-25 19:57:36 | 日月神示の実践

 

「信仰を得て霊的に病気を治すのは、一瞬には治らんぞ。奇跡的に治るとみるのは間違い、迷信ぞ。時間も要り手間も要る。物も金も要る。大き努力要るのであるぞ。」

 

「メグリと申すのは、自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。メグリは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん」

 

「自分の中にあるから近寄ってくるのであるぞ。嫌なこと起こってくるのは、嫌なことが自分の中にあるからぢゃ」

 

「仕事は行であるから、務め務めた上にも精出してくれよ。それがマコトの行であるぞ。滝に打たれ、断食するような行は幽界の行ぞ。」

 

「この世に生まれて、この世の行せねば、生まれた時より悪くなるぞ。草木より役に立たんものとなるぞ。草木に変えると申してあろう。神が変えるのではない。自分で成り下がるのであるぞ。」

自分が望んで現世に生まれてきたからには、自分で描いた生前の計画を実行しなければならないのです。自分で決めてきたことを実行しないと、草木に変わることもあります。実際に手や足が木のように変質してしまった人がいます。インターネット百科事典のウィキペディアによると、「手や足などに木の皮のようなイボが生じる、遺伝性の皮膚疾患。ツリーマン症候群ともいう。」とあります。自分から草木に変わると日月神示では言っています。

 

「苦労、苦労と申しても、悪い苦労気の毒ざぞ。善き苦労花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民苦しみさえすればよいように早合点しているなれど、それは大間違いざぞ。神の道無理ないと、くどう申してあろがな」

 

「苦しむと曲がるぞ。楽しむと伸びるぞ。この方苦しむこと嫌いぢゃ。苦を楽しみて下されよ」

この方とは、日月神示を下した国常立尊のことです。神様も苦しむことは嫌いだと言っています。ただ、苦を楽しむというのは、一朝一夕にはできないと思います。

 

「何事が起こってきても、そなたはまず喜べよ。それが苦しいことでも、悲しいことでも、喜んで迎えよ。喜ぶ心は喜び生むぞ。人民喜べば、神喜ぶと申してあろが。」

 

 


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身魂磨きとメグリ

2022-03-20 05:46:33 | 日月神示の実践

 

  • 身魂磨きとメグリ

身魂磨きとは、滝に打たれたり断食をしたりすることなどではなく、日常生活の中で身体と魂を浄化することです。自分が積んできたカルマの清算です。

 メグリとはカルマのことです。日月神示では、何度も生まれ変わる中で、積んでしまったカルマのことをメグリと呼んでいます。

日月神示では身魂磨きの実践として、以下のように述べています。

 

「臣民に判るように言うなれば、身も心も神のものざから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体をどんなにしたらよいかということ判るであろうが。夜になれば眠った時は神にお返ししているのざと思え。それでよく判るであろうが。身魂磨くと申すことは、神の容(い)れものとして、神からお預かりしている、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ」

自分の身体を神の容れものとして、大事に扱うということになります。暴飲暴食や不摂生などをしないということです。また、身だしなみをきちんとすることです。ただ、これらは戒律ではなく、あくまで自分の本心からの行動でないと意味がありません。

 

「洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つも疑わず、生まれ赤子の心のうぶ心になりて、神の道守ることぞ。身魂磨きと申すのは、神から授かっている御霊の命令に従うて、肉体心捨ててしもうて、神の申すことは背かんようにすることぞ。学や智を力と頼むうちは、身魂磨けんのざ」

理論理屈ではなく、生まれ赤子の心になることが大事だとあります。「生まれ赤子」は日月神示に何度も出てきますので、重要なキーワードであるといえます。生まれ赤子のように、素直に日月神示の道を歩むことが大事だということです。

 

「進むには、それ相当の苦労と努力要るぞ。あぐらかいて、懐手していては出来ん。時も要るぞ、金も要るぞ。汗も要るぞ。血も要るぞ。涙も要るぞ。善いものほど値が高い」

 

「目が覚めたらその日の生命お預かりしたことを神に感謝し、その生命を神の御心のままに弥栄に仕えまつることに祈れよ。神はその日その時に何すべきかについて教えるぞ。明日のことに心使うなよ。心は配れよ。取り越し苦労するなよ。心配りはせなならんぞ。何もかも神に任せよ。神の生命、神の肉体になり切れよ。何もかも捨て切らねばならんぞ。天地みな神のものぞ。天地みな己のものぞ。」

 

「これと信じたらまかせ切れよ。損もよいぞ。病気もよいぞ。怪我もよいぞ。それによってメグリ取って頂くのぞ。」

損をしたり、病気、怪我をしたりすると、普通は悪いことだと判断しますが、深い観点からみれば、カルマを取ってもらっているので、良いことになります。

 


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宇宙の理を悟った植芝盛平

2022-03-19 17:44:19 | 日月神示の実践

宇宙の理を悟った植芝盛平

 

 生体水と同じように、人間には神の分霊が宿っています。日月神示にも、人間は神の分け御霊であるとあります。神社や神棚にある鏡は、そのことを示しているといわれています。そして私たち人間に宿っている神は、根源神といわれる天之御中主神とのことです。

 身体には生体水があり、魂には神の分け御霊があるのですから、元々人間は健康な身体と魂を備えて生まれてきていると考えられます。

 人間は神の分け御霊であり、神の力を備えているはずですが、ほとんどの人はそれを発揮できていません。なぜ神力を出せないのでしょうか。合気道開祖である植芝盛平は以下のように述べています。

 

『合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。私はこのことを、武を通じて悟った。
 いかなる速技で、敵がおそいかかっても、私は敗れない。それは、私の技が、敵の技より速いからではない。これは、速い、遅いの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。
 敵が、「宇宙そのものである私」と争おうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争おうという気持を起こした瞬間に、敵はすでに敗れているのだ。そこには、速いとか、遅いとかいう、時の長さがまったく存在しないのだ。
 合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。
ではいかにしたら、己の邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?
それには、まず神の心を己の心とすることだ。それは上下四方、古往今来、宇宙の隅々までに及ぶ、偉大なる「愛」である。「愛は争わない。」「愛には敵がない。」何ものかを敵とし、何ものかと争う心は、すでに神の心ではないのだ。これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。宇宙と調和できない人間の武は、破壊の武であって、真の武産(たけむす)ではない。
 だから、武技を争って、勝ったり負けたりするのは真の武ではない。真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己の心の中の「争う心」に打ち勝つことである。与えられた自己の使命を成し遂げることである。しかし、いかにその理論を難しく説いても、それを実行しなければ、その人はただの人間にすぎない。合気道は、これを実行してはじめて偉大な力が加わり、大自然そのものに一致することができるのである。』

 「宇宙そのものである私と争おうという気持を起こした瞬間に、敵はすでに敗れている」と植芝盛平は述べています。また、「勝つとは、己の心の中の争う心にうちかつことである」とも言っています。宇宙そのものになることができれば、無敵だということです。

 


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「ワンネスの扉」を久しぶりに読んでみました

2022-02-11 10:39:16 | 日月神示の実践

  220210ワンネスの扉

  


先週フランスのジュリアンさんの夢を見たので、久しぶりに「ワンネスの扉」を読んでみました。

ジュリアンさんは40代前半のフランス人です。女性の名前かと思いましたが、男性でした 笑
フェイスブックで友だちになり、何度かやり取りしました。
一昨年日本に来られる際に、東京で会うことになっていたのですが、コロナで来られなくなってしまいました。
来年くらいに来ていただけるといいのですが。

「ワンネスの扉」はジュリアンさんが日本語で書かれた本です。
日本語の他に、台湾語や英語も習得されています。

印象に残った箇所を引用します。

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ワンネス体験のはじまりは、愛だ。愛は感動を生み出す。胸がいっぱいで涙を抑えられない。その愛はハートをつらぬく。アンプを調節すると音楽の周波数が飽和するみたいに、人間である自分がこの愛で飽和状態になる。ハートが愛で満ち溢れる。この愛が、人間である僕の殻を破り、それを超える次元の体験をさせる。

 この愛から学んだ一番大切なことは、「私はあなた、あなたは私」。他者との区別はない。それは頭で理解するコンセプトではなく、身体で感じる体験だ。「私はあなた、あなたは私」という感覚が身体に浸透すると、見ず知らずの他人を見ても自分が見える。人が体験している人生に深い感謝が湧いてくる。皆が一つの生命体のように、互いの体験を重ね合わせているのがわかる。




僕たち一人ひとりが創造者で、つくり出したいものを念じて宇宙へ送り、宇宙は鏡のようにそれを実体として映し返す。そのプロセスは一から十まで時間がかかるが、最初のステップは「思い」だ。思いは漠然とした雲となり、それがだんだん形ある実体となっていくことで物質的な次元で具現化される。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人間は神の分け御霊なので、「私はあなた、あなたは私」ということです。
これは釈迦の悟りでもありますが、ジュリアンさんは宇宙との体験から導き出しました。


また、「思い=意識」がだんだんと形ある実体となり、物質的な次元で具現化されると言われています。思いは現実化するということですね。ジュリアンさんはその過程を何度も見ることで、理解したそうです。

良い思いの種を魂の畑に蒔けば、物理空間で良い結果が現れるということになります。
この法理法則を体験し、実感している方も多いと思います。

今日も良い思い、良い言葉を発せればと思います。



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