明けましておめでとうございます。
昨年はブログをお読みいただきましてありがとうございます。
最近は仕事が忙しくなりまして、なかなか記事をアップしておらず恐縮です。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
お正月休みでビールやワインを飲んで、ゆっくりしています。
昔の日記を読んでいると興味深いものがあったので、ご紹介します。
15年前の日記です。
「日月神示 この世と霊界の最高機密」という本を見つけました。船井幸雄先生の「180度の大激変」の中で紹介されていた内容ではないかと思い、手に取りました。目次を見ると、ユングやスウェデンボルグ、出口王仁三郎などが目に止まりました。
学生時代は社会学を専攻していたため、ユングについては学んでいましたし、当時はキリスト教徒だったため、スウェデンボルグの概要については知っていました。また、出口王仁三郎については、合気道をやっていたため、大本教の教祖であることは分っていました。「合気道開祖 植芝盛平伝」という本には、大本教の教義について理論的に書かれていました。
早速その本を購入し、自宅に帰り、読むことにしました。霊界を探訪したスウェデンボルグやビルツェ博士、スカルソープ氏などの記述は、大変興味深いものでした。彼らが体験した霊界の様子を、中矢代表が日月神示の観点から分りやすく解説してくださっているので、グイグイと引き込まれ、2時間ほどで読みきってしまいました。
その中で、特に印象に残った内容をご紹介したいと思います。
スカルソープ氏が霊界で見た光景です。『友人の家の庭にはウサギがたくさんいて、私の足のまわりで遊ぶので、踏みつけないように気をつけなければならないほどだったが、同じ庭に小さなクマもいたので、私はウサギは大丈夫なのかなと心配だったが、みんな愉快そうに戯れていた。(中略)私は犬を飼ったことがないが、霊界で印象深い体験をしたことがある。あるとき土手に座っているところへ、やや大きめの犬がやって来て、私のそばに座った。その身体に手を置いたとたん、人間に近い情愛と親しみが伝わってきた。芝生にしゃがんでウサギと戯れていた時にも、可愛がってほしがる情愛に圧倒されたことがある』
また、以下はレナード夫人の記述です。『動物でも虎だの、ヘビだのは私たちの界には棲んでいない。彼らは動物界に棲んでいて、しきりに地上の生活に憧れている。愛情に冨み、忠実性を持っている動物のみがわれわれと同居する。現に私は二匹の猫を飼っているが、多分私の若い時分に何か縁故があったものらしい。格別私は猫が好きという訳でもないのだが、どうしても去ろうとしないのだ。霊界では何人(なんびと)も動物を殺したり、喰ったりはしない』
レナード夫人の言う内容が正しいのであれば、霊界には、動物を殺したり、喰ったりする人はいないそうです。高い霊界は、この世とはまったく違う平和で愛に満たされた世界であるといえます。
最後に藤重千代子氏の「霊界旅行記」から、指導霊の老人の言葉を引用します。『人間でも花の好みによって、その人の霊格の高さ低さ醜さが判るのだ。常緑は神の座です。だから榊や樒(ルビ しきみ)が神仏に捧げられるわけなのだ。食物でも、着物でも、味の淡いもの、色の淡いものを好む者は、霊格が高いわけだな。色は霊の波調を表しているから、よく着物でも気をつけて、品のよい色を選ぶことだね。そうしないと自分の霊位を下げることになるからね』
この道を歩んでいると、トマトケチャップやマヨネーズを使った味の濃い料理よりも、ご飯と味噌汁、海苔、漬物などを好むようになる会員さんが多いのも頷けます。
中矢代表の著書は大変興味深く、賛同できる内容でしたが、以前はキリスト教の信者であったため、「生まれ変わり」については、理解できませんでした。キリスト教では地上界と霊界、天国の三階層を説いています。この世で良いことをすれば、天国に行けるが、悪いことをすれば、地獄(低い次元の霊界)に行くと教わりました。「生まれ変わり」は無く、現世が終われば霊界に行くという教義ですので、地上界を体験できるのは1回きりということになります。日月神示をはじめ神道でいう「生まれ変わり」について理解するには、1年くらいの期間を要しました。
ただ、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教同士は、常に争いが絶えず、戦争まで引き起こしている現実を見て、一神教に対して疑問を持っていた時期なので、多神教を受け入れやすかったのだと思います(日月神示では、一神、多神、汎神といわれています。「この方一柱であるが無限柱ぞ。すべてが神であるぞ。一神ぢゃ。多神ぢゃ。汎神ぢゃ。すべてが神ぢゃ、喜びぢゃ」(「春の巻」第二十一帖)」)。
その後、「日月神示 ミロクの世の到来」や「日月神示 完全ガイド&ナビゲーション」など40冊以上の中矢代表の著書を読むようになり、次第に「生まれ変わり」について理解できるようになりました。
また、「日月神示 この世と霊界の最高機密」から以下を引用させていただきます。
『「天国は霊人のみの住む処ではないぞ。そなたたちも今住んでいるでないか。霊人も現界に住んでいるでないか。現界を離れて天国のみの天国はないのであるぞ。故にこそ、現界で天国を生み出し、天国に住めんものが、死んで天国へ住める道理はないのぢゃ」(「白金の巻」第三帖)
霊界とは、現界と切り離された、遠い空の彼方に位置しているのではなく、今ここに、現界において、われわれと共に存在しているという意味が、おわかり頂けただろうか。現界に肉体を持っている時でも、人は同時に霊界にも生きている。また死後に霊界に赴いても、現界との関係は切れない。』
キリスト教では、現界がとても苦しいものであっても、良いことをすれば天国に行けると教えられましたが、上記の日月神示を読むと、地上界で天国に住んでいなければ、死んでから天国へ住むことはできないことが分ります。
現状が不平不満だらけで、生活が苦しいのであれば、天国へは行けないということになります。このことも私にとって大きな転換点となりました。まずは日月神示で言われていることを、一つ一つ実行していこうと考えました。日月神示を読み、自分の行いをチェックし、反省すべきところはできるだけ直していこうと思っています。ただ、そう簡単にはいきませんが。一歩づつ地道にいこうと思います。