『吉原幸子全詩』のI、II巻が出版されてほぼ30年を経てIII巻が発刊された。それを機に、I、II巻を再読しつつ全3巻を読み通したが、そのとき、シルヴィア・プラスの詩集の翻訳を手がけていることを知った。はじめて聞く名前だが、吉原幸子が翻訳を手がけた理由に惹かれ、検索したら仙台市立図書館にあったのでさっそく借り出してきた。
シルヴィア・プラス:1931年10月、それぞれドイツ系、オーストリア系の父母のもとにボストンで生まれた。8歳の時に父のオットー・プラスが病死。スミス女子大在学中に詩人として活動をはじめるが53年に自殺を企て、かろうじて救われる。55年にケンブリッジ大学に留学、翌56年、テッド•ヒューズと結婚する。二子をもうけるが夫の不倫に悩まされる「七年間の情熱と苦悩に満ちた」結婚生活ののち、「63年の2月に、子供たちにミルクの用意をしておいて、シルヴィア・プラスはガス自殺を果した」。 (皆見昭の「解題」による)
詩集の構成は、プラスの人生をそのまま反映しているように思われる。まず、父の死があり、それに21歳の時の自死への意志が重なる。皆見昭は「父オットーに対する想念は、エレクトラ複合(コンプレックス)の形を取って若いプラスの詩や散文作品」に表われていると述べている [p. 158] 。
あなたが死んだ日にわたしは地中に潜った、
光のささない冬眠室に。
黒と金色の縞模様の蜂たちが吹雪を避けて
古代文字を彫った石板みたいに眠っている堅い地面の中に。
その冬ごもりは、二十年間は心地よかった――
まるであなたなんて存在しなかったかのように、お母さんのお腹から
神を父としてわたしが生まれて来たかのように。
お母さんのベッドは広くて、神様の匂いがついていた。
お母さんの心臓(ハート)の下へわたしが這いこんだ時、
わたしは原罪なんかに関わりはなかった。
…………
お母さんの話では、壊疽があなたを骨まで蝕んだのだってこと。
普通の人の死に方と特に違いはしなかったって。
どんなに年を取ったって、わたしはそんなに落ち着いてはいられまい。
わたしはある不名誉な自殺の亡霊、
自分の青いかみそりが咽喉にささって錆びている。
ああ、許しを乞うてあなたの門をノックしている
あなたの雌猟犬(いぬ)、あなたの娘、あなたの友を許してやってね、お父さん
わたしたち二人ともを死に追いやったのはわたしの愛でした。
「アゼリア小道のエレクトラ」部分 (p. 45-7)
自らの自死も企図を通じて幼いときの父の死へと繋がっていく娘の心は、しかし、エレクトラ・コンプレックスと括ってよいものか、私にはよくわからない。精神分析における複合概念というものは、アンビバレントな心性を意味しているのだろうが、どうも私には「××コンプレックス」という精神分析の概念が何かを説明しているとは思えないのである。説明できない心的現象を「××コンプレックス」と名付けているのではないか。いつもそんなふうに疑っているのだ。
幼いときの父の死に自分の死のイメージを重ねるのは悲しいことだ。しかし、プラスは、父の「死」に自らの「生」を繋いでみせることもあるのだ。
そして沈黙がやってきた!
別の種類の大きな沈黙。
わたしは七つで、何もわからなかった。
世界が姿を現わした。
あなたの脚は一本で、心はあくまでプロシアのもの。
………
覚えているのは青い眼と
澄色のブリーフケース。
あの時の彼は立派な男!
黒い木のように、死が黒く 口を開いた。
わたしはもう少し生き永らえる、
わたしの朝を整えながら。
これはわたしの指、これはわたしの赤ん坊。
冷たい雲は、青白い花嫁衣裳。
「小さなフーガ」部分 (p. 77-9)
父の死から自らの生へ向かうのは、「わたしの赤ん坊」や「花嫁衣裳」だったのだろう。恋愛と結婚、そして二人の子供の出産。それらは、父の死と自死への企図、そのような死のイメージの連鎖から脱却する契機でありえただろう。しかし、後の詩から見るかぎり、あるいはただ、少しだけそれらから遠ざかっていただけなのかもしれないとも考えられるのだが。
プラスは子供たちの誕生を大げさに言祝ぐような詩句を書いてはいないが、次のような詩句は、それじたい「母」を生きることの受容であろう。
白いヒースに、蜂の羽根、
二つの自殺と、同じ家族の狼たちと、
長い空っぽの時間だけ。もうすでに、星がいくつか
けばけばしく天を彩っている。蜘蛛は自分の糸を伝って、
湖上を渡る。虫たちもみんな
いつもの住まいを捨てている。
小鳥たちが寄って行く、寄って行く、それぞれ贈り物を持って
誕生の苦しみの場へと集まって行く。
「大屋敷の庭」部分(p. 48-9)
縮こまった自分の姿勢を
忘れないでいるわたしの胎児よ。
きれいな血はあなたの中で花咲く、
可愛いルビー
目覚める時に
あなたが知る痛みは、まだあなたのものではない。
「ニックと燭台」部分 (p. 122)
きみはまもなく気がつくだろう、
きみの傍らに木のように育つ、ひとつの不在に。
死の木、色のない木、オーストラリア産のゴムの木――
稲妻に去勢されて、葉も脱け落ちた木――幻影のようなもの、
それに豚の背のように鈍い空、まったく思いやりを欠いたもの。
でも今、きみは物言わない。
そしてわたしはきみの愚かさが、
その盲目の鏡がいとしい。のぞき込んでも、
わたしの顔が見えるだけ。それをきみはおかしがる。
梯子の横木を握るように
わたしの鼻にしがみついていてもらうのは、わたしにとって嬉しいこと。
いつの日か、きみはよくないものに触れるかも知れない、
小さな子供の頭蓋骨、圧しつぶされた青い丘、畏怖に満ちた沈黙とか。
その日までは、きみの微笑がわたしの財産。
「父なき息子のために」全文 (p. 86-7)
夫への不信が詩人を苦しめ、我が子を「父なき息子」と呼ばざるをえないとしても、「きみの微笑がわたしの財産」と言い切る母親は生きることができる(と私は思う)。
だから、子を育てながら暮らすイギリスの田舎では、日々の暮らしに詩的世界を発見することもあった。それは、おそらく短い彼女の人生の中で死に煽られていない(切迫していない)貴重な時期だったのでないかとも思うのである。
今は気楽な時期、特に仕事もない。
助産婦から借りた蜜しぼり器を回して
蜜も十分手に入れた。
六つの瓶に入った蜜、
酒倉で六つの猫の目のように光りながら、
この家の中心にある窓のない暗がりの中で
静かに冬越ししている。
隣にあるのは、前の住人が残していったジャムの残骸と
空っぽに光る空き瓶の列――
何とか卿のジンの瓶。
「冬越し」部分 (p. 97)
しかし、死を人生の伴侶のように生きてきた詩人は、暮らしの中の陰影にくっきりとした死と生の陰影を心に刻み込むように見ているようだ。田舎暮らしのときどきに死の影を、いや、影ならぬ死そのものを見ている。
彼らは兎を待ち構えた、その小さな死神たちは!
まるで恋人のように待ち焦がれていた。彼らは兎を興奮させた
そしてわたしたちも深くつながった――
わたしたちの間にはワイヤーがびんと張られ、
抜けない杭が打ちこまれ、わなに似た一つの心が
すばやく動く生き物をするりと捕えると、
締めつけられて、わたしも死んだ。
「兔捕り」部分 (p. 81-2)
父の死に自らの死を重ねた想像力は、さらに死をめぐる想世界においてこれから誕生してくるものを排除できるわけではない。先に挙げた誕生を歌う「大屋敷の庭」の詩句には、次のような死のイメージが先行している。
泉は涸れてバラの花も萎れた。
死の香りが漂う。あなたの誕生の日が近づく。
梨の実は太って小さな仏陀のよう。
青い霧が湖の底を浚っている。
「大屋敷の庭」部分 (p. 48)
子供を産み、育て、暮らす、いわば喜びの生活のずっと深い奥底を「死」の強迫が実体のように流れている。それが意識の表面に立ち現れるのは、結婚生活の破綻、夫への不信なのかどうか、私にはよく分からない。しかし、それは明瞭にいわば悪しき力量を持って顕在化する。
愛こそはわたしの呪いの中心。
花瓶は再生されて、逃げやすいばらの花に
宿りを与える。
「石たち」部分 (p. 56)
わたしは三十歳の荷船、いろんな積荷を捨ててしまった、
名前と住所にくっついて離れなかつたものを。
いとしい連想の数々は、すっかり洗い流された。
………
そして今わたしは尼僧、今が一番純潔なわたし。
わたしは花など要らなかった。ただわたしが欲しかったのは
掌を上に向けて横たわり空っぽでいること。
これがどんなに自由なことか、想像もつかないでしょう。
目もくらむほど大らかな心の安らぎ、
それには名札も装身具も、何も要らない。
それは死者たちが最後に摑むもの、聖餐を受ける時のように、
このかけがえのない安らぎを飲みこむ様子が目に見える。
「チューリップ」部分 (p. 62-3)
そして、再び詩人の死のイメージは父の死へと回帰する。「小さなフーガ」という詩で、父の死を乗り越えたのではなかったか。それは私のたんなる思い過ごし、つまらない希望的観測に過ぎなかった。そう宣告するように次の詩は語りかける。
あなたはおしまい,もうおしまいよ、
あなたという黒靴に、あたし三十年も
白くなるほど締めつけられて
呼吸することも、くしゃみもできずに、
がまんを重ねて住んできた足でしたけど。
ダディ、あなたを殺さなきゃならないといつも思ってた。
そうするひまがないうちに、あなたは先に死んじゃった――
大理石みたいに重たくて、神様がいっぱい詰まった鞄、
サンフランシスコのあざらしみたいに
大きな灰色の足先一本持って
………
あなたは黒板の前に立っているわ、ダディ、
あたしが持ってる写真の中で。
足じゃなくあごについてる裂け目、
それでもやっぱり悪魔のかたわれ、
あの腹黒い男と同じ仲間ね、
あたしの可憐な赤い心臓(ハート)を真っ二つに嚙み裂いた男と。
あなたの埋葬の時、あたしは十歳(とお)のはず。
二十歳(はたち)の時に、あたしは死のうとした、
あなたのもとへぜひ、ぜひ戻ろうと試みて。
骨だけだってそれができると思つたの。
「ダディ」部分 (p. 101、104)
人はどんなふうに自死に向かうのか。こんなにも長いこと生きていながら私にはまったく分からない。自殺を考えることはないでもなかったが、試みのさらにその鳥羽口にも立たなかった身であれば、その心的なエネルギーの有り様や襞々の陰影の濃さなどというものを想像できない。
次の詩は、自死の前年に書かれたという。このきっぱりとした記述をなんといったらいいのだろう。しかし、どのように理解しようと努めても、シルヴィア・プラスの死を「一つの技術」の死と受け取ることは私にはできない。
死ぬことは、
一つの技術にすぎないの、人生のほかのすべてと同じこと
わたしはそれをすばらしく上手にやるだけ。
わたしはそれを死にもの狂いでやる。
間違いなく本物だという風にやる。
天命を受けたように、と言ってもいい。
ひとりぼっちでそれをやるのはたやすいこと。
それをやってじっとしているのもたやすいこと。
「甦りの女(レイデイ・ラザラス)」部分 (p. 127)
吉原幸子がこの詩集の翻訳を手がける動機は何だったのか。「受苦」の詩人と評せられる吉原が、受苦に満ちた短い人生を生きたシルヴィア・プラスへのオマージュであったのだろうか。そんなふうに想像してみる。