ワインを飲み焼鳥を食ひ 遠からず我と別れむ教へ子ばかり (p. 312)
高野公彦の短歌は安心して受容できるようだ。おそらく、私(たち)が立っている地平とほとんど同じ地平に立っていて、そこから文学的な高み(視座)へ誘ってくれるからであろう。冒頭に掲げた歌も、職業のすべての時間を大学で過ごした私にとって、少しは苦笑もし、少しは切ない気分を思い出させるのである。
ワインと焼鳥という組み合わせは学生ならではあるけれども、私は酒を一緒に飲みながら遠からずやってくるであろう別れそのものを自覚的(感傷的)にはあまり思っていなかった。それなのにこの歌によって、この私にもあの何十回もの学生との別れの前にはこのような感覚に襲われていたのだ、と思えてしまうのだ。いわば、あまりにも自然な感傷なので時間を超えて再生(再創造)するらしいのだ。
この歌集の「あとがき」に、「平成七年から平成十年までの作品の中から五五〇首を選び、この集を編んだ。『天泣』につづく第九歌集である。題名の《水苑》は「すいゑん」と読む」 [p. 341] とある。
平成7年といえば、1月17日の「阪神・淡路大震災」があった年である。
巨鳥のつばさが空をおほふかと思ふまで寒し神戸燃ゆる日 (p. 30)
徹夜明けの五時ラーメンを煮て食へり神戸くづれてなほ燃ゆるころ (p. 31)
私の平成7年1月17日は、関西で大きな地震があったという一報を聞いてから、朝6時頃に車で家を出ることで始まった。つくばで開かれる研究会に出席するためである。院生も含めほぼ研究室の全員が車に乗り合わせて高速を走った。途中のサーヴィスエリアで地震のニュースを見るのだが、ほとんど情報が届かないのだった。研究会には関西からの出席者もいたのだが、連絡がつかないまま変則的に研究会は終ったのだった。
阪神・淡路大震災には大きなショックを受けたのは事実だが、仙台に住む私は二年前の〈3・11〉によって、阪神・淡路大震災でどんなにショックを受けたにせよ他山の石にもなっていなかったのだとしみじみ思い知らされることになる。
東北地方太平洋地震による〈3・11〉東日本大震災は、地震による被害、津波による被害、そして東京電力福島第1発電所の炉心溶融にいたる大事故の三重苦をもたらす。地震と津波は、それがどんなに甚大な被害であっても地球上で生きようとする人類が避け得ないものである。
しかし、原発事故は、知性ある人類であれば避けられたものだ。経済的発展を目指すということが反知性的な側面を持つことの象徴的な事例だろう。大学院修士課程まで「原子力工学」を学び、ある絶望をもって「物理学」に転じた私は、学び収めたことが何の役にも立たず、呆然と事態を見ているだけだったことにあらためて絶望しているのだ。
歌人は、原発事故を予感しているかのように、不安感を滲ませながら原発を詠うのである。
わだつみのいろこの宮にほとりして原発はあり人居らぬ白 (p. 18)
とびとびに原発のある豊葦原瑞穂国よ吃水ふかし (p. 19)
人体にピアス増えゆくさまに似て列島に在る原発幾つ (p. 166)
桔梗(きちかう)の花のつゆけき秋の日も遠方(をちかた)に焦げくさき原発 (p. 168)
花のなき花瓶のなかのくらやみに蚊の声こもる久保山愛吉忌 (p. 179)
原子炉にとほくつながる電線が街路樹の葉のそばを走れり (p. 250)
多くの人々が抱いていた「原発」が存在することへの「故知らぬ不安」こそ、正しく未来を予感するものであった。ただし、原子力工学を学んだ私の不安は故知らぬものではない。根拠のある不安であり続けたが、それを社会化することには力がなかったのだ。
大震災や原発事故に思い至るような歌にばかり目がいってしまうのだが、私の日常の感覚、話題に繫がっていて共感できる歌も多いのである。
たとえば、私は犬が好きで「イオ」という牝の老犬を飼っている。そういう犬好きの心を次のような歌が打つ。
路地多き浦安ゆけばふるさとの犬の顔した犬歩みくる (p. 29)
犬居らぬ奥まで照らし犬小屋を一伽藍とす秋の夕日は (p. 162)
路地の犬に「ふるさと」を見る目、犬の不在を存在論的に見る目に惹かれる。
「役人が日本の川を殺してゆく」川下り人野田知佑言へり (p. 26)
仙台の市街を流れる広瀬川の河畔に住まう私は、ヤマメ釣りとアユ釣りを趣味としてしょっちゅう川に入っている。長良川河口堰建設に反対する野田知佑の共鳴していた。何よりも野田知佑の文章、語り口が好きで彼の本はかなり読んでいた。
あるいは、老いた私は両親も二人の兄も喪っている。年を経たものは、当然のことながら喪失の時を否応なく迎える。
鏡張り試着室にて喪服着る もうすぐ来べき父の喪のため (p. 259)
戻り来て喪服しまへばふるさとは遠し父亡きことさへ遠し (p. 266)
これはもう書評などではない。高野公彦の短歌にかこつけたただの思い出話である。高野公彦の短歌を選んで並べただけでそうなってしまう。しかし、それは高野公彦の短歌の価値である。このように我が身に引きつけて受容する短歌が多くて、しかもその文学的審級は私の感覚をすくい取ってくれるように働いている。
個人的な事柄に結びつけて短歌を選ばなくても、優れている歌は多い。いや、秀歌だとかそうでないとかというつもりも資格もないが、次のような歌がとても好きである。
家ごもり心は街をさまよひぬ牛蒡の煮ゆる甘き香の中 (p. 16)
傷のある木の幹立てりゆつくりと傷を閉ぢゆくひかりと時間 (p. 20)
衰老の我を思ひてそののちの無をこそ思へ椿に小雪 (p. 54)
影もちて街谷(がいこく)とベり蝶といふ白い小さな二曲屛風よ (p. 95)
ポケットの中の荒野に手を入れて冬の青山通りに立てり (p. 123)
たましひの四方のとびら開け放ち春の驟雨をゆつくり歩む (p. 246)
しかし、歌人は次のようにも詠い、このような文章を書いている人間を刺すのである。
誤解もて歌褒められて砂少し入りたる靴で歩む心地す (p. 162)