かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (24)

2025年01月20日 | 脱原発

2016年12月4日

 今日のデモ集会での主催者挨拶は高速増殖炉のことだった。今や世界の原発推進国のほとんどが高速増殖炉の開発を断念している中で、文科省や経産省はまだ諦めきれないでいる。日本政府は核兵器材料としてのプルトニウムの生産を目論んでいるのではないか、そんなふうに世界から思われているだろう。唯一の被爆国としての取るべき道ではないと話された。
 「もんじゅ」が計画され、建設に着手された時代には、今よりはるかに多くの人たちが原子力の未来を信じていた。それゆえ多くの有能な人材が原子力工学を学び、当時の日本原子力研究所や核燃料・動力炉事業団に集まっていた。例えば、私が在籍していた時代の工学部では、原子核工学科は建築学科、電子工学科と並ぶ人気学科だった(当時は1年次の成績で志望学科に進めるかどうかが決まった)。
 その後、原子力船「むつ」は破たんし、大企業から独立した原子力企業も元の企業に吸収され、原子力工学の魅力は薄れていった。それとともに原子力を学ぼうとする学生も減っていき、有望な人材が集まらなくなった(これは、原子力工学科の大学院担当教授だった私の後輩から直接聞いた話だ)。
 政府は「もんじゅ」に替わる新高速増殖炉の工程表をまとめると意気込んでいるらしいが、それを実行する優秀な技術陣がいるのだろうか。優秀な人材が集まっていた時代に計画し、設計し、建設した「もんじゅ」は失敗した。その時代より人材不足であることは明らかで、金だけ出してフランスに泣きつく「行程」でも計画するのだろうか。
 そのフランスが計画する高速炉ASTRIDは地震国の日本にはまったくの不向きだと言われている。安倍政権お得意の金のばらまき損で終わるのではないか。結論から言えば、私は、85%かた日本製高速増殖炉はできないと思っている。仮に遠い将来できる可能性があっても、それまでには全原発廃炉を断行する政権が成立している可能性の方がはるかに高いと思っている。


2016年12月16日

 先週の集会で回された色紙をもって脱原発犬「チョモランマ」さんのお見舞いに伺ったとき、飼い主さんからいただいてきたお礼の手紙が紹介された。チョモさんは、今月の9日ころからはほとんど目を開けなくなったという。
 「チョモは金デモで歩くことが好きでした。雷や花火ではガタガタ震えるビビりさんなのに、デモの大きな太鼓の音は平気でした。……もう一緒に歩くことはできませんが、きっと気持ちは一緒でしょう。」
 できるだけ苦しまないように家族で看病しています、ということだった。

 チョモさんの話が出たとき、司会者が福島に残された動物のことにも触れた。「人も動物も安心して自然からの恵みを授かる日をいつか取り戻したいですね」と飼い主さんも書かれていた。

ある日 突然
町から人が消えた。
残された犬や猫や豚や鶏たち
牛や馬。
その他の動物たちは
何を思ったであろう。
言葉を話すことの出来ない
動物たちは
人っ子人いない町を
餌を求めて
あるいは人間を求めて
さまよい続けたに違いない。
いったい何がおきたのだろうと。
不思議に思ったに違いない。
そしておびえるように
鳴き声を上げたであろう。
やがて動物たちは
眼に涙を浮べて死んでいったのだ
ある日突然いなくなった
人間たちを恨みながら。
死んだ町は 今も
死んだままだ。
いつまでたっても死んだ町。
いつかは消えて行く町。
幻の町。
  根本昌幸「死んだ町」[1] から抜粋

[1] 根本昌幸『詩集 荒野に立ちて――わが浪江町』(コールサック社、2014年) pp60-62。

 


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