かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【書評】森達也『A3』(集英社インターナショナル、2010年)

2012年07月31日 | 読書


 
ぼんやりと鈍感に生きてきた私にも、世の中の空気が変わったな、とはっきりと感じる事件がある。


 近くから挙げれば、もちろん「3・11」大震災である。これは大地震とそれに伴う大津波という「未曾有の自然災害」だが、これに東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融という「未曾有の人災」の複合事故である。
 それから、2001年「9・11」に、ニューヨークの世界貿易センターとアメリカ国防総省(ペンタゴン)へとハイジャックした航空機とともに突入したイスラム原理主義グループ(と喧伝されている)によって敢行された同時多発テロがあった。
 もっと前には、1989~1995年にわたるオウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件に代表される一連の犯罪があった。

 そして、それらの事件、事故は、それ自体の意味というよりは、それへの応答としての社会の反応はさまざまであったけれども、その中でのもっとも歴史的に重要な意味を持つであろう反応が、いわば「愚かさ」または「蒙昧さ」によって主導されるという特徴がある。
 9・11では言うまでもなく、十字軍としての戦いを口にしつつ、イラク侵攻を命令した子ブッシュの政治判断である。イラク侵攻の口実であった大量破壊兵器もアルカイダとの関係も存在しないことが明らかになったように、いかなる正義の根拠も満たされない政治的、軍事的決断・行動であった。
 3・11の原発事故では、広大な放射能汚染地域によって国土を失い、厖大なフクシマの避難民を生みだすことで国民の生活の場を失い、かつ被爆による放射線障害によって将来にわたって国民の命が失われる事が確実に予想されるという、もっとも明確な形をとって原発の安全神話は粉みじんに崩壊した。
 にもかかわらず、野田佳彦は「私の責任において」という虚飾に満ちた前振りのもと、がむしゃらに大飯原発の再稼働を宣言する。「生産の効率優先という政策のテレオノミー(目的指向)の、露骨な貫徹」(見田宗介)はあっても、将来にわたる国土、国民の命にたいする想像力は皆無としか言いようのない決断をする。

 そして、オウム真理教事件に対しても、私たちの愚かで不正義な反応があった。それに対する批判と言うよりは、ジャーナリストらしい冷徹な観察報告として森達也の『A3』はある。『A3』は、「麻原法廷の顛末」を記したものだが、それを通じてオウム真理教事件がもたらした「私たちの側」の社会的実相をくっきりと描き出している、と私は思う。

 結論から言えば、そのような社会のありよう、歪んだ世論やそれを煽り、同調するマスコミのありようを見通す森達也のまなざしの確かさに、私は同意し、強い賛意を持つ。

 例えば、マスメディアと「私たち」はこんなふうに同期していなかったか。

 テレビを筆頭とする当時のマスメディアが、オウムを語る際に使ったレトリックは、結局のところ以下の二つに収斂する。

  (1)狂暴凶悪な殺人集団
  (2)麻原に洗脳されて正常な感情や判断能力を失ったロボットのような不気味な集団

 この二つのレトリックに共通することは、オウム信者が普通ではない(自分たちとは違う存在である)ことを、視聴者や読者に対して強く担保してくれるということだ。
 
それはこの社会の願望である。なぜなら、もしも彼らが普通であることを認めるならば、あれほどに凶悪な事件を起こした彼ら「加害側」と自分たち「被害側」との境界線が不明瞭になる。それは困る。あれほどに凶悪な事件を起こした彼らは、邪悪で狂暴な存在であるはずだ。いや邪悪で狂暴であるべきだ。 (p. 80-1)

  そうして、オウム真理教に関わるすべてのこと、すべての人を憎み、排除し、果てには抹殺することが、あたかも正義を代表するかのように「私たち」は振る舞ったのではなかったのか。テレビなどとは異なり、良質のメデイアと思われた場所においてもこうである。

 「世紀末航海録」連載終了後、『宝島30』(一九九六年三月号)で藤原〔新也〕は、「麻原と水俣病についてもういちど語ろう」と題されたインタビューに応じている。

 宝島 「しかし、ほとんどの人が麻原こそ凶悪犯罪の首謀者であると考えている状況下で『麻原=水俣病』説を展開するということは、『水俣病の人間はそういうことをするのか』という誤解を世間一般に生みかねない、そういう危惧はお持ちではありませんでしたか」
藤原 「それは短絡でしょ。その論法に巻き込まれていったら、何も書けなくなります」(中略)
宝島 「すると麻原彰晃という人物は日本近代が生み出した被差別者であり、だからこそ、そのルサンチマンによって引き起こされた彼の犯罪には文明論的なものがあるという立場になるわけですか」
藤原 「立場というより、その可能性を捨ててはいけないということです」(後略)

 オウムの危険性を煽るばかりの他のメディアとは一線を画していた当時の『宝島30』にして、このときの藤原に対しては詰問調になる。つまり正義をまとっている。ここには当時(そして以降)、メディアと社会とがオウムによって嵌り込んだ隘路の深さが、くっきりと示されている。仮に麻原が水俣病だからといって、「水俣病の人間はそういうことをするのか」などと思う人はまずいない。麻原の視力に先天的な異常があつたからといって、「目が不自由な人は犯罪を起こしやすい」などとは誰も発想しない。もしもいるならばバカと言えばよい。その演繹は明らかに間違っている。 (p. 113-4)

  正義の仮面をかぶった「私たち」の排除の論理は、麻原彰晃の子供たちや信者をこの社会からの排除へと向かう。たとえば、自治体は住民票の登録を拒む。大学は入学許可を取り消す。この二つの出来事は明確な憲法違反である。親のゆえを持って為す、ということは中世における一族郎党をすべて罰する、ということと同等であって、憲法を持ち、刑法を持つ近代国家では許されていない。

 三女が入学を拒絶されたのは和光大だけではない。同年には文教大学が、さらにこの前年には武蔵野大学が、入学を一方的に取り消している。
 
出自によって入学を取り消す。これは明確な差別だ。しかしあらゆる差別問題に取り組むはずの部落解放同盟を含め、ほとんどの人権団体はこの事態に抗議しない。異を唱えない。声をあげない。反応しない。まるですっぽりとエア・ポケットに入っているかのように、明らかな異例が明らかな常態になっている。
 
オウムは特別である。オウムは例外である。暗黙の共通認識となったその意識が、不当逮捕や住民票不受理など警察や行政が行う数々の超法規的(あるいは違法な)措置を、この社会の内枠に増殖させた。つまり普遍化した。だからこそ今もこの社会は、現在進行形で変容しつつある。
 
要するに問題はここだけにあるわけじゃない。そこにもあるし、あそこにもある。そこら中にある。 (p. 146)

 もはや、大学は近代知を代表していない。大学知識人は、マスメディアに煽られる大衆と変わるところはない。もちろん、多くの論者が大学知識人はとうの昔に社会への影響力を失っていると主張していることは承知している。しかし、ここで起きていることはそれ以下の事象である。同じ職にあったものとして忸怩たるものがあるけれども、起きた事実は消えない。

 そして、愚かな私たちが獲得したのは、「団体規制法」という法である。私たちはあたかも、嬉々としてこれを受け入れたのではないか、と思えるほどである。

 しかしそれから二年後の一九九九年、組織の存亡を賭けた公安調査庁は最後の手段として破防法棄却の理由となった「将来における再犯の明らかなおそれ」を適用要件から除外し、団体規制法と名称を変えた新たな治安予防法の成立を再び目論んだ。
 
オウム新法との別名が示すとおり、この法は明らかにオウムを対象に制定された。つまり「法の下の平等原則」(憲法一四条)や、「信教の自由」(憲法二〇条)への侵害であり、恣意的な立入検査が行われることで「住居の平穏」(憲法三五条)や「プライバシー権」(憲法一三条)にも抵触する。さらには「適正続き」(憲法三一条)違反であり、無令状での立ち入り検査は「令状主義」(憲法三五条)に抵触し、事後的な立法によって二度目の応訴を余儀なくさせる「二重の危険の禁止」(憲法三九条)違反にも該当する。つまり多重に憲法を逸脱している。破防法とほぼ同様に(あるいは破防法以上に)問題点が多くある法律だ。
 
でも団体規制法は成立した。その背景には明らかに世論の変化があった。この法案が上程された一九九九年あたりから、自治体によるオウム信者の住民票不受理や、オウムの子供たちの就学拒否などが、当たり前のように行われるようになっていた。つまり「オウムを排除するためなら何でもあり」的な意識が、事件直後の一九九五年より明らかに強くなっている。  (p. 76-7)

  この法律は、オウム真理教にのみ適用し、彼らを排除するのに有効だと私たちは思い込んでいたのではないか、「私たち」には適用されるはずがないと。たかだか1000人規模の集団のために国家が法を作ったと信じられる知性をいまさら疑ってもしょうがない。事実としてそれはあった。
 もちろん、公安調査庁は1億すべての国民に適用する。なぜなら、それこそが「法の下の平等」なのだから。恥ずかしくなるほど、平明な事実である。

 さて、森達也が麻原裁判に対して一貫して主張したことは、裁判の過程で「人格が崩壊した」ように見え、裁判の継続に耐えられないと思われる麻原彰晃に対して、刑事訴訟法第314条を適用して裁判を延期し、麻原に治療を施したうえで再開すべきだということである。
 それが、一連のオウム事件の真実の解明に近づく道ではないか、と主張するのである。

 念のために書くが、麻原に対しての刑の免除や減刑をすべきと主張するつもりはない。ただし治療すべきとは主張する。近年の精神医療の進展はめざましい。症状がこれほどに急激に進行したということは、適切な治療さえ行えば劇的に回復する可能性が大いにあるということを示している。ならば治療してある程度は回復してから、裁判を再開すればよい。きわめて当然のことだと思う。ところが精神鑑定が為されない以上はいつさいの治療が望めない。病状は進行するばかりだ。
 だ
からやっぱり不思議だ。なぜ精神鑑定の動議すらできないのか。なぜ検察も弁護団も裁判所も沈黙してきたのか。なぜこれまで裁判を傍聴してきたメディアや識者やジャーナリストたちは、麻原の様子がどうも普通ではないとアナウンスしてこなかったのか。 (p. 37)

  八四%の人たちに共通するもうひとつの見解は、「これ以上裁判を続けても真相など明らかになるとは思えないから早く結論を出すべきだ」とのレトリックだ。テレビのニュースで観たほとんどの被害者遺族たちも、みなこれを口にした。
 確かに僕も、仮に麻原彰晃が正気を取り戻したとしても、法廷の場で事件の真相が解明されるという全面的な期待はしていない。その可能性はとても低いと考えている。
 
でもだからといって、手続きを省略することが正当化されてはいけない。「期待できない」という主観的な述語が、あるべき審理より優先されるのなら、それはもう近代司法ではない。裁判すら不要になる。国民の多数決で判決を決めればよい。国民の期待に思いきり応えればいい。ただしその瞬間、その国はもはや法治国家ではない。 
 
例外は判例となり、やがて演繹される。人は環境に強く馴致される生きものだ。例外はいつのまにか例外として認識されなくなる。だからこそ司法は原則を踏み外すべきではない。 (p. 272-3)

 そう主張する森達也は、当然のように批判を受ける。一つは、麻原に人格障害を認めないという立場から為される。心神喪失状態の犯罪を罪に問えないという刑法に依拠しているらしいのだが、刑法と刑事訴訟法を取り違えて(故意にかもしれないが)いるだけのことである。
 そして多くの批判は、「私たち」の正悪二元論から為される。敵に有利なことをひと言でも言えば敵である。敵でなければ味方である。絶望的な単純さが人を弾劾するのである。宗教学者・島田裕巳をめぐる人民裁判とでも呼ぶような攻撃がその愚昧な犯罪性を明証している。そして、「私たち」は正義を貫徹しているという幻想に酔いしれる、という深い病に侵されることになる。

 当時も今も、私は、「私たち」に困惑し、ある絶望をもって「私たち」として存在している。時代が進み、知が啓かれていけば、社会はよくなる、という啓蒙主義的な幻想はとっくの昔に捨てているけれども、社会がどんどん「悪い場所」になっていくとも思っていなかった。辛いことではある。
 森は次のように言う。

 サリン事件以降、メディアによって不安と恐怖を煽られながら危機意識で飽和したレセプターは、やがて仮想敵を求め始める。治安状況における意識と実態との乖離を、何とか埋めようとする。検察や警察など捜査権力の暴走は加速し、厳罰化は進行し、設定した仮想敵国への敵意は増大する。こうして冤罪はこれからさらに増えるだろう。自分たちは正義であり、無辜の民であり、害を為す悪を成敗するのだとの意識のもとに。 (p. 492)



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