前回のブログで香川県(讃岐)の偉人 「坂出塩田の父」久米通賢について書きました。
今回は讃岐を代表する特産品だった「砂糖」「塩」「綿」が「讃岐三白」の一つの
「砂糖」を産業化した向山周慶(さきやま・しゅうけい)について調べました。
東さぬき市白鳥町にある向良神社です。
江戸時代の人、向山周慶さんと関良助さんから
一字ずつとって、神社の名前がつけられました。
向山周慶さんは白砂糖の国産化に日本で初めて
成功した人で 関良介さんは薩摩の人で、医者の
向山周慶さんが関良助を助けたことに恩義を
感じた良助が国禁の砂糖キビの苗を持ちだし、
周慶のもとへとどけ、砂糖きびが讃岐の国に
根づいたと伝えられています。
その砂糖が和三盆といわれて、
独特の風味が今でも重宝がられています。
向山周慶の記念碑 関良介のお墓
向山周慶は1746年に讃岐国大内郡湊村
(香川県東かがわ市湊)生まれ
1819年に74歳で死去。
讃岐糖業の始祖として白砂糖作りを確立し、「讃岐糖業の父」と称される。
高松藩医・池田玄丈について医術を学んだ。
その頃、第5代高松藩主・松平頼恭は、砂糖生産に注目し、玄丈に研究を命じていた。
16歳で周慶は、玄丈から砂糖精製の研究を託され、以後30年間にも及ぶ苦難の歳月を経て、
1790年はじめて白砂糖の精製に成功した。
1803年白砂糖の製法を確立し、大坂で讃岐の和三盆糖として名声を高めた。
向良神社にある顕彰の碑に書かれている碑文の写真と、
その内容をWORD → PDF → JPG画像にしたものです。
左の写真は屋島の四国村に展示されている砂糖を
作っていた小屋を紹介しているものです。
今ではこのような小屋は残っていませんが、
「和三盆」づくりが東讃の方で残っているよう
です。
最近は通りませんが、志度から大阪に帰るときに国道11号線に和三盆のお店(ばいこう堂)があり、
立ち寄ったことがあります。
とても上品な感じのする甘さのお菓子で、私の口に合うようなものではなく
たまにしか食べることはありません。
和三盆の作り方と お菓子の写真をインターネットで調べてPhotoscapeで編集しました。
2012-2-10の
ブログ :
讃岐弁の話ーその2
に餡入り餅の雑煮のことを
書いています。
日本の各地でいろんなお雑煮が
ありますが、私が子供の頃には
甘い餡の入った餅のお雑煮が
普通で 母親が皆の希望を
きいては 白いのが何個
赤いのが何個とたくさんの
お雑煮を作っていました。
昔 砂糖が高級品だったころに
せめて正月くらいは甘い餅を
食べたいということから
始まったようです。
2012-1-10のブログ : 讃岐の食べ物の話ー1 志度のカキ焼き
2012-1-10のブログ : 讃岐の食べ物の話ー2 白方のカキ