3月20日、道の駅「からり」での朝、今日は朝から雨、
雨の中を見物するのも嫌なので、近くのコインランドリーで
洗濯をし、車の中を整理と寝転んでのTV視聴 。
夕刻からビー玉位の雹(ひょう)が振り出し、
急遽、屋根の在るガレージへ避難 。
3月21日、昨日と同じ、道の駅「からり」で朝を迎え、
過去に見物した事がある松山城へやって来ました 。
彼岸桜は咲いていましたが、ソメイヨシノは
咲いていませんでした。今年は例年並み、気象庁も予測外れ 。
ロープウエイで登城 。
関ケ原の後、1603年(慶長8年)10月、加藤 嘉明が、
この地を「松山」と呼ぶ事とし、松山という地名が誕生 。
日本三大連立式平山城の1つにも数えられています。
隠門読櫓の石垣と石落とし口 。
大手門跡からの乾櫓と天守郭 。
戸無門からの小天守 。
太鼓門と奥の翼櫓 。
馬具櫓前からの小天守と天守郭 。
日当り、風当り等で桜の咲く度合いが違い、ここは八分咲き 。
一の門前の小天守 。
三の門南櫓前より天守郭 。
天守郭へは展示品を見ながら登城 。
内部の展示物は撮影可能と禁止とがあり、見物 。
初代城主、加藤 嘉明の甲冑 。
総螺鈿十字槍 の螺鈿部 。
総螺鈿十字槍の全容(下から2段目) 槍と刀の陳列 。
国重要文化財 「萬翠荘(ばんすいそう) 」
萬翠荘は、旧松山藩主の久松家(別邸) が大正11年に建築 。
本格的なフランス・ルネサンス様式の意匠をもつ様式建築 。
貸し切り催しが開催されていて見物は断念 。
「坂の上の雲ミュ-ジアム」 内部は撮影禁止と言う事ですが、
展示物は少なく、写真と文書資料ばかりで、
ゼネコン建物の象徴の様でした。
見学後、 宇和島の遊子水荷浦の段畑 (ゆすみががうら)、
内子町・八日市の重要伝統的建造物保存地区、松山城と歩いて、
松山の三越デパート・レストラン街での夕食後、疲れたのか、
我が家の女将さん、「ホテルに泊まりましょうか」と
急遽、松山城近くの「ホテル・ビスタ松山」に空きが有り、宿泊 。
ホテルで入浴後、睡眠・爆睡 。 明日へとつ・づ・く 。
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