「道の駅・米沢」で朝を迎え、
江戸時代・会津西街道の大内宿へやって来ました。
昔ながらの藁葺き屋根が並ぶ宿場町です。
時代劇映画のロケ地として利用される地で、
高台にある観音堂からの展望地からは
正に映画で映し出される風景です。
前日の寒波の戻りで雪が残っていました。
大内宿を見物後、地元の人が
近くに「搭のへつり」と言う渓谷があるから
行ってみたらどうですかと言われやって来ました。
河食地形の奇形を呈する好例として、国の天然記念物地 。
渓谷地にはどこも吊り橋が掛かっていますね 。
その後、「会津若松・鶴ヶ城」へやって来ました 。
内堀と桜 。
二の丸と本丸を繫ぐ「廊下橋」と桜 。
「鶴ヶ城・天守閣」
現在の天守は1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により
再建されたもので、内部は「若松城天守閣郷土博物館」として
公開されています 。
天気が良いせいか、松の木に天守閣も似合いますね 。
本丸内の茶室「麟閣」としだれ桜 。
新島八重は会津藩の砲術師範で山本権八・佐久夫妻の
子として誕生します 。
但馬出石藩出身で藩校日新館の教授を務めていた
川崎尚之助と結婚。 慶応4年/明治元年(1868年)に
会津戦争が始まると、鉄砲を主力に戦うべきと考え、
刀や薙刀で戦うとした婦女隊には参加せず、
断髪・男装して家芸であった砲術をもって奉仕し、
鶴ケ城籠城戦では自らもスペンサー銃と刀を持って奮戦 。
(YahooJapanより)
新島八重の像 。
司馬遼太郎氏の「歴史を紀行する」の文章より 。
鶴ヶ城の展示物は撮影禁止なので見物後、
立ち寄り温泉「富士の湯」で入浴・食事後、
「道の駅・会津」での車中泊 。 明日へとつ・づ・く 。
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