初めてのフィールドでのファシリテーター
そこは修学旅行生を大量に受け入れ
いわゆるハイエレメント(PA)を体験する。
僕にとってハイエレメントはグループワークの集大成であり、チームビルディングのひとつのアクティビティと考えるのだが。
そのハイエレメントは地上でフルボディハーネスをつけて安全器具に繋がれれば、個人的にハイエレメントに登っていけるという「アスレチック」である。
そのアスレチック施設としての「暇つぶし」の活動をグループ活動として担当する。
そこにはハイエレメントでの個人のチャレンジにおける「チャレンジバイチョイス」は皆無である。
泣き叫ぶ女子
大量に吐き出される出荷工場のような光景
PAJはこの光景をどんな風に見ているのだろうか?
あまりにビジネス化したそのシステムに僕は
「色んな考え方があるから」
と評して、その場所でのファシリテーターを行う事で指導者としてのスキル低下の不安を感じた。
仕事の後、そんなファシリテーター同士で話になって「どんな風な考え方でそのシステムに向き合えばイイか」をコーヒーを飲みながら雑談した。
しかし僕が驚くのは、修学旅行などの団体がそのアスレチックに大量に申し込んでいるという事実である。
「新しい体験」「レクリエーション」
カヤックやラフティング、農家民泊、そしてハイエレメント
みたいなメニューのひとつとして商品化
思い出に残ればイイじゃん!という教員達のニーズも見えてくる。
ややこしい人間関係つくりとか、チームビルディングよりも、カラッと遊んで帰ればイイ
そう考えるのも無理はない。
僕たちが「チームビルディング」と考えるプログラムの弱さはここにあるかもしれない。
グループによって効果も楽しさも違う。
そして下手をすると課題解決でのモヤモヤを持ったまま終了してしまう可能性もある。
レクリエーションとするにはあまりに酷な結果を生むというリスク。
だったら絵的にも保護者に報告しやすいハイエレメント全員参加プログラムの方が分かりやすくて説明もしやすい。
そこに教育的効果なんて求めていないのだ。
PAJはひょっとしたらビジネスの方針を施設建設(ハード)にシフトしていくのかもしれない。
ハードを売ること、ファシリテーター養成をすること、ハードとソフトのバランスが取れていないのだ。
実際僕が尊敬するファシリテーターの人達はPAJの人達ではない。
PAJの講習を受けた後、独自の進化を遂げたファシリテーターばかりである。
意識の高い指導者向けファシリテーター養成講座とその活躍の場(稼ぐ場)を生み出すこと
それが今本当に必要な事なのかもしれない。
そこは修学旅行生を大量に受け入れ
いわゆるハイエレメント(PA)を体験する。
僕にとってハイエレメントはグループワークの集大成であり、チームビルディングのひとつのアクティビティと考えるのだが。
そのハイエレメントは地上でフルボディハーネスをつけて安全器具に繋がれれば、個人的にハイエレメントに登っていけるという「アスレチック」である。
そのアスレチック施設としての「暇つぶし」の活動をグループ活動として担当する。
そこにはハイエレメントでの個人のチャレンジにおける「チャレンジバイチョイス」は皆無である。
泣き叫ぶ女子
大量に吐き出される出荷工場のような光景
PAJはこの光景をどんな風に見ているのだろうか?
あまりにビジネス化したそのシステムに僕は
「色んな考え方があるから」
と評して、その場所でのファシリテーターを行う事で指導者としてのスキル低下の不安を感じた。
仕事の後、そんなファシリテーター同士で話になって「どんな風な考え方でそのシステムに向き合えばイイか」をコーヒーを飲みながら雑談した。
しかし僕が驚くのは、修学旅行などの団体がそのアスレチックに大量に申し込んでいるという事実である。
「新しい体験」「レクリエーション」
カヤックやラフティング、農家民泊、そしてハイエレメント
みたいなメニューのひとつとして商品化
思い出に残ればイイじゃん!という教員達のニーズも見えてくる。
ややこしい人間関係つくりとか、チームビルディングよりも、カラッと遊んで帰ればイイ
そう考えるのも無理はない。
僕たちが「チームビルディング」と考えるプログラムの弱さはここにあるかもしれない。
グループによって効果も楽しさも違う。
そして下手をすると課題解決でのモヤモヤを持ったまま終了してしまう可能性もある。
レクリエーションとするにはあまりに酷な結果を生むというリスク。
だったら絵的にも保護者に報告しやすいハイエレメント全員参加プログラムの方が分かりやすくて説明もしやすい。
そこに教育的効果なんて求めていないのだ。
PAJはひょっとしたらビジネスの方針を施設建設(ハード)にシフトしていくのかもしれない。
ハードを売ること、ファシリテーター養成をすること、ハードとソフトのバランスが取れていないのだ。
実際僕が尊敬するファシリテーターの人達はPAJの人達ではない。
PAJの講習を受けた後、独自の進化を遂げたファシリテーターばかりである。
意識の高い指導者向けファシリテーター養成講座とその活躍の場(稼ぐ場)を生み出すこと
それが今本当に必要な事なのかもしれない。