新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

ちちろ虫

2008年09月08日 09時33分01秒 | 写真俳句・エッセー

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来し方を責めゐるばかりちちろ虫

 

 今朝は昨夕の雷雨から一転、雲の少ない空が広がっている。

 昨日までの気分から、少しは甦った感じがする。

 昨夜考えていたこと。

 振り返ってみて、嫌なことばかりの道ではなかった。

 子供時代は、戦争の真っ盛りであり、戦後は窮乏生活であった。

「大変だったのでしょうね」と問われれば、したり顔をして、「ええ、食べ物もない時代でしたから……」と答える。それ以外には答えようがない。食糧が不足だったことは確かだった。

 しかし、戦地に駆り出されたわけでもない。外地から引き揚げてきたのでもない。粗末な食べ物でも、食べ続けられた。

 我が町が焼夷弾爆撃に遭った。だが、50メートル先の小川が、延焼を食い止めてくれた。小川のお陰で、わが家は被災しなかった。だから、厳密に言えば、戦災にも遭っていない。

 昭和ひと桁生まれと言っても、私は悲惨な戦争経験者ではなかった。

 大変な経験に曝された人々が沢山いる。

 そんなことを思うにつけ、「私には戦争を語る資格がない!」、と思ってしまったりする。

 東京オリンピック前後を機に、戦後復興から高度成長へと、日本は急速に発展していった。その真っ直中で、私たちは働かされた。産業戦士とも言われた。

 いっぽう生活基盤は、どんどん改善されていった。

 身体が弱かったせいか、幾度も病気をした。入退院を繰り返し、カミさんにも苦労をかけた。とは言え、職場を失ったわけではなかった。

 そんなことを考えると、私には、語るべき苦労の経験が少なかった。

 毎年のことだが、夏の季節、戦争に関する本を読む。先の戦争を忘れたくない。事実に近づこうという思いもある。

 今年も、「学徒動員」や「回天」や「東京裁判」など関する本を読みあさった。

 原爆投下の記録も読んだ。

 読むほどに、自分の無為無策を責めることになる。

 いつもながら、何もしてこなかった私を気付かされる。平々凡々たる炉端の幸せ。そんな一生ではなかったのか。

「昭和ひと桁生まれ」と粋がっていても、私には、声を励まして語るべき何ものもない。

 仕事場に関しても然り。

 後輩たちに対し、何ほどのものを残せたろうか。心痛む思いがよぎる。

 よき夫であったろうか。よき父親であったろうか。これもまた、よかったはずはない。

      来し方を責めゐるばかりちちろ虫   鵯 一平

 ちちろ虫は蟋蟀のことで、秋の季語。

 雷雨が去った後、一斉にコオロギの合唱。

 近寄れば、鳴き声はピタリと止まる。姿は見せない。

 昨夜は妙に浮かない気分であった。一生、こんな繰り返しなのかもしれない。

 今朝は静かな秋の空気が漂っている。しかし、秋晴れとは言えない。

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コメント (24)
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