今朝は昨夕の雷雨から一転、雲の少ない空が広がっている。
昨日までの気分から、少しは甦った感じがする。
昨夜考えていたこと。
振り返ってみて、嫌なことばかりの道ではなかった。
子供時代は、戦争の真っ盛りであり、戦後は窮乏生活であった。
「大変だったのでしょうね」と問われれば、したり顔をして、「ええ、食べ物もない時代でしたから……」と答える。それ以外には答えようがない。食糧が不足だったことは確かだった。
しかし、戦地に駆り出されたわけでもない。外地から引き揚げてきたのでもない。粗末な食べ物でも、食べ続けられた。
我が町が焼夷弾爆撃に遭った。だが、50メートル先の小川が、延焼を食い止めてくれた。小川のお陰で、わが家は被災しなかった。だから、厳密に言えば、戦災にも遭っていない。
昭和ひと桁生まれと言っても、私は悲惨な戦争経験者ではなかった。
大変な経験に曝された人々が沢山いる。
そんなことを思うにつけ、「私には戦争を語る資格がない!」、と思ってしまったりする。
東京オリンピック前後を機に、戦後復興から高度成長へと、日本は急速に発展していった。その真っ直中で、私たちは働かされた。産業戦士とも言われた。
いっぽう生活基盤は、どんどん改善されていった。
身体が弱かったせいか、幾度も病気をした。入退院を繰り返し、カミさんにも苦労をかけた。とは言え、職場を失ったわけではなかった。
そんなことを考えると、私には、語るべき苦労の経験が少なかった。
毎年のことだが、夏の季節、戦争に関する本を読む。先の戦争を忘れたくない。事実に近づこうという思いもある。
今年も、「学徒動員」や「回天」や「東京裁判」など関する本を読みあさった。
原爆投下の記録も読んだ。
読むほどに、自分の無為無策を責めることになる。
いつもながら、何もしてこなかった私を気付かされる。平々凡々たる炉端の幸せ。そんな一生ではなかったのか。
「昭和ひと桁生まれ」と粋がっていても、私には、声を励まして語るべき何ものもない。
仕事場に関しても然り。
後輩たちに対し、何ほどのものを残せたろうか。心痛む思いがよぎる。
よき夫であったろうか。よき父親であったろうか。これもまた、よかったはずはない。
来し方を責めゐるばかりちちろ虫 鵯 一平
ちちろ虫は蟋蟀のことで、秋の季語。
雷雨が去った後、一斉にコオロギの合唱。
近寄れば、鳴き声はピタリと止まる。姿は見せない。
昨夜は妙に浮かない気分であった。一生、こんな繰り返しなのかもしれない。
今朝は静かな秋の空気が漂っている。しかし、秋晴れとは言えない。
ランキングに参加しております。応援のクリックをお願いします。
↓ ↓