新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

ガンは自分本位

2010年03月16日 07時11分49秒 | 身辺雑記

 ずっと以前、上坂冬子さんが書かれた「死ぬという大仕事」を読んだ。

 癌との闘病記とも言える内容だった。

 上坂さんは昭和5年(1930)生まれのジャーナリスト。

 北方領土に土地を購入して問題提起をし続けるなど、積極的に多くの問題にかかわり、私のもっとも尊敬するジャーナリストの一人であった。

 そんな上坂さんだったが、ガンとの闘病生活の末、昨年4月に亡くなった。享年78歳。

 卵巣に原発したガンが、肺や肝臓に転移していたのだそうだ。

 その本の中に、主治医だった猿田医師(東京慈恵医科大学付属病院)との対談があった。

 私のような病歴の者にとって、実に示唆に富んだ内容だった。

「歳をとっているから、病気はゆっくり進むんじゃないの?」

 という上坂さんの質問に対し、猿田医師は、

「腫瘍というのは、あるところを越えて加速度的に病状が進むようになると、年齢に関係なく、手がつけられない状態になる」

 と答えていたというクダリがあった。

 実は私も上坂さんと同じように、思っていた。

「高齢者のガンは進行が遅い」

 これは信仰にも似た思いだった。

 しかし猿田医師は、

「寄生虫ならば、サナダムシでもギョウチュウでも、宿主を殺さないように共生しながら栄養を奪っていきます。人間が元気でいろいろなものを食べてくれなければ、自分も栄養にありつけませんからね」 と言っている。

 上坂さんの「寄生虫は分別があるわね(笑)」 という言葉に対し、猿田医師は、

「ところが腫瘍は徹底的に自分本位で、自分だけ大きくなろうとする。ガン患者が痩せこけてしまうというのは、ご主人は栄養不足で、腫瘍だけが栄養いっぱいの状態になるからです」

 と、答えていた。

 年寄りのガンは進行が遅いというのは、まったく見当はずれだったようだ。

 私にとって、上坂さんの「死ぬという大仕事」は、とても参考になる本であった。

 最後まで、しっかりした意識を持っていたい!

 上坂さんの強い意思であった。

  人はみな死ぬる定めぞ亀鳴けり    鵯 一平

 別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

   → こちら

    

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震

2010年03月15日 14時42分38秒 | 身辺雑記

 昨日と一昨日、東北地方で地震があった。

 いずれも福島県沖。

 昨日はマグニチュード6.6で、一昨日は7.7であった。

 わが家のあたりは、かなり離れているので、さほどの揺れではなかった。

 それでも、すぐにテレビを見たいと思う揺れではあった。

 大きな地震の前触れなのか。

 それとも、少しずつエネルギーを放出しているのだろうか。

 次の日曜日は春分の日。墓参のため、そちらの方面へ行く予定だ。

 別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

   → こちら

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党の急務

2010年03月13日 06時45分36秒 | コラム・エッセー

 鳩山内閣の支持率が、30%台に下がってしまいました。

 不支持率は50%にならんとしています。

 自民党内閣時代であれば、危険水域に入った言われました。

 今はそれほどの危機感は聞かれません。何故でしょうか?

 もちろん、代替すべき政治勢力が見当たらないからです。

 自民党の旗印は色あせています。いや、掲げておりません。

 解党的出直しと言いつつ、出てくる議論は人事ばかり。

 出直しをするのであれば、結党時の綱領に戻り、論議を再構築すべきです。

 麻生さんの戦略が間違っていたと、今さら言っていてもしかたがない。

 むしろ底流には、財政問題、外交防衛問題、教育問題、農政問題などで、なんらの基本的な基軸を示さなかった自民党に、国民の不満があったのです。

 国柄がどんどん分からなくなってきたからです。不安が募ってきたのです。

 リベラルっぽいことも忘れてはいけないが、国の立ち姿を打ち立て直してほしい。

 この日本を、どのような国にするのか。

 今の政治論議には、その視点が抜け落ちています。

 夫婦別姓、外国人参政権など、危なっかしい法案が矢継ぎ早。

 民主党内閣は、自民党の対立軸として出てきたのですから仕方がないが、肝腎の自民党に、本来の理念が失せております。出てくるのは、人事と小手先のムード論。

 参議院選挙で民主党が圧勝したら、独裁的なサヨク政権となります。

 日本の国が崩壊へ向かって変化してしまいます。

 自民党の出直しを、強く期待します。

 現段階のあなた達は、結党時の綱領を打ち立てて出直してほしい。

 それが急務です!

 勝ち負けを論じるより、日本の国をどのようにすべきかを、見せてほしいのです。

 政治とカネは、政策以前の問題です。これは論外。

 対立軸を確立し、自浄作用を促すしかなさそうです。情けなし!

 別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

   → こちら

 

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日は晴れ

2010年03月12日 07時17分04秒 | 身辺雑記

Simg_2773t

 写真は昨日撮影のはだれ雪。

 天空は晴れ上がっていた。

 久しぶりに、公園へ。少しばかり風があった。

 隅のあたりには、まだ班雪(はだれゆき)が残っていた。

 散歩している老人の姿が見られた。

 残っている雪を撮っている私を、怪訝そうな顔をして眺めて過ぎた。

 みなおしなべて重装備。中にはフードをしている人もいた。風が冷たかったのだ。

 一昨日のこのブログで、「それぞれの言い分」という記事を書いた。

 熟年離婚について、軽く触れるつもりだった。

 幾人かの方に、しっかりとした重いコメントをいただいた。

 私自身は、夫と妻の食い違いを、それなりに承知していたつもりだった。

 コメントをいただいた限りにおいて、想定以上の食い違いに気づいた。

 やはり、「以心伝心」ではダメなのだ。「眼は口ほどにものを言う」も通用しない。

「敷居を跨げば、男には七人の敵がいる」 

 その代わり、敷居の内側は温かい陣内。どうやらそれは完璧ではなかった。

「敵」とは言わないが、少なくとも、「言葉が要らない戦友」 と甘えてはいけなかった。

「戦友」や「同志」とて、言葉がなければ、意思の交換はできない。

 問題点は二つ。

 一つは、「男と言えども、外で戦うだけではダメ。内側にも気を使え!」。

 もっと言えば、「敷居の内側でも、戦友とともに働け!」。

 役割分担論は、夫側の論理だけらしい。

 二つめは、「たとえ戦友でも、言葉を使わなければ、心は伝わり難い!」。

 今ごろ知っても、遅いのかも知れないが……。

 別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

   → こちら

 

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それぞれの言い分

2010年03月10日 06時56分06秒 | 身辺雑記

 何事によざず、夫と妻の間で、言い分が大きく違うことが多い。

 定年離婚という話は、そのあたりの事情があるのだろうか。

 夫は真剣に働いた。わき目も振らずとは言えずとも、そっちの方へは行かず、家族のために働いた。

 少なくても、夫自身は、そのように思っていた。

 ところが、定年になって、夫がほっと一息入れようとしたら、

「あの-……」とばかり、妻から離婚届を出されてしまった。

 こんな話は、さほど特別なことではないらしい。

 離婚届にまでは行かないにしても、主客転倒して、夫が手ひどい反発を喰らう例は多いらしいのだ。

 この際、私自身のことはさておくとして、いろいろな実例を聞かされている。

 夫の側からすれば、妻子のために働いたことは確かなのだ。

 しかし、妻の側としては、屈従の日々だった。これは夫の想像を超えた感情なのだ。

 子育てを丸投げされ、その上、当然のように思われながら、亭主の面倒をみてきた。

 場合によっては、舅・姑はおろか、小姑の面倒まで見させられた。

 妻としては、「定年までは……」と我慢してきた。

 舅・姑がほどよい時期に他界し、子供が巣立って行った。

 妻としては、解放されるのを待っていたのだ。

 夫としては、理不尽な客筋や身勝手な上司から、やっと解放されるのが定年。

「ヤレヤレ、あとは好きな趣味でも見つけて……」 

 これが定年を迎えた夫の胸の内だ。

 夫と妻の食い違いは大きい。

 さあ、どんな答えを出せばいいのだろうか。

 夫と妻、所詮は他人同士。

 しかし私は、「共に戦った戦友でもあったではないか」と思いたい。

 私の場合、あることによって、子育ての大変さを味わった。

 もちろん、子育てを楽だと思っていたわけではない。認識の狂いに気づかされたのだ。

 それは私の想像を越えていた。任せきりだったことを、大いに反省もした。

 さほどの愚痴を言われなかったことに、今はとても感謝している。

「今ごろ感謝されても遅い!」  世の妻は、そのように怒っているのかもしれない。

 

 別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

   → こちら

 

コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする