走り負け

2011-11-12 10:00:00 | Autobiography
大宮に戻ったおいらは、旧知の仲間との微妙な距離感に悩んでいた… 1981 年の秋の事。
小学校も高学年になれば習い事をやっているヤツもいて、『あの頃』みたいにみんなで集まって…なんて、できなくなっていたし。

おいらは転校したこともあり、文化圏が違ったこともあり、ひとつの事に打ち込めずにいた。
転校前の大宮時代は野球クラブ、泉ではテニスクラブに通った事もあったが、それぞれ転校やクラブの移転というおいら自身ではどうすることもできない理由で止めなければならなくてさ。

足が速いことだけは…まだ自信があった。

そんな時、市内駅伝大会の選手募集があった。
大宮公園内の周回コースを1人 1km で8人で走る。
2ヶ月びっちり練習して選手を選考するらしい。
対象は5・6年生で、1km 3 分 30 秒で走れる走力が基準。

十分走れるつもりでいた…のだが…。

実際に走ってみると… 4 分 15 秒位が精一杯。
5年生で限定しても、4 分の壁を切れるヤツが2~3人いたが… 3 分 30 秒なんてとんでもない。
上位の方は6年生ばっかりで、200m トラックを 5 周…周回遅れになる勢い。
これが悔しくってさ…でも、小学校時代の1年間の差は大きく、6年生に歯が立たないのはなんとなく理解できた。
そんなことよりも、同じ学年でおいらよりも速いヤツが 10 人以上いることが悔しくってさ。
練習したよ…かなり苦しかった。

結局、その年のベストタイムは 3 分 47 秒と記憶している。
多分ね…同じ学年の平均的な走力から考えれば『かなり走れる方』だったハズだが、学年という括りの中でも 11 位。
8人がレギュラー2人が補欠…補欠にもなれない…。

おいらが出来ることを『もぎ取られた』気分だった。

できないことはいっぱいあったけれど…自信のあることの挫折は…子どもながらに痛かった。

ブログ村投票ボタン blogram投票ボタン 人気ブログランキングへ