「あの時のあの○○の味が忘れられない」というような経験は誰にでもあると思います。
反対にすっかり忘れていたのに、何十年ぶりかにあるものを食べた時、あっ!この味、昔食べたことがあると懐かしく思い出すこともあります。
その食べ物そのものの味が微妙に変わっていることもあるかも知れませんが、味そのものは変わっていなくても、昔は美味しく感じたのに今はそれ程とは思わないもの、またその反対に昔は別に美味しいとも思わなかったが、今は美味しいと思って食べているものもあります。
私の場合前者は魚肉類や卵などで、後者は豆腐や野菜類などです。
何故このようなことを書く気になったかというと、先日「晩三吉(おくさんきち)」という大きな梨を貰って食べたら酸味と甘味が適当に混じり合って、それなりに美味しかったのですが、その梨を見た瞬間、食べた瞬間思い出したのです。
子供の頃は固い長十郎梨が全盛で、それが梨の味でしたが、何かの時にこの晩三吉を食べ、そのみずみずしさと甘さに感激したことがあったのです。
もう一つ梨にまつわる思い出があります。
今では品種改良が進み、幸水や豊水などという糖度の高いものが出回り、「二十世紀」は影が薄くなっていますが、学生時代、元大阪市立大学教授・伊勢田穆君の下宿で、彼の実家から送られてきた「二十世紀」を何人かで一緒にご馳走になった時のあの味は感動ものでした。
反対にすっかり忘れていたのに、何十年ぶりかにあるものを食べた時、あっ!この味、昔食べたことがあると懐かしく思い出すこともあります。
その食べ物そのものの味が微妙に変わっていることもあるかも知れませんが、味そのものは変わっていなくても、昔は美味しく感じたのに今はそれ程とは思わないもの、またその反対に昔は別に美味しいとも思わなかったが、今は美味しいと思って食べているものもあります。
私の場合前者は魚肉類や卵などで、後者は豆腐や野菜類などです。
何故このようなことを書く気になったかというと、先日「晩三吉(おくさんきち)」という大きな梨を貰って食べたら酸味と甘味が適当に混じり合って、それなりに美味しかったのですが、その梨を見た瞬間、食べた瞬間思い出したのです。
子供の頃は固い長十郎梨が全盛で、それが梨の味でしたが、何かの時にこの晩三吉を食べ、そのみずみずしさと甘さに感激したことがあったのです。
もう一つ梨にまつわる思い出があります。
今では品種改良が進み、幸水や豊水などという糖度の高いものが出回り、「二十世紀」は影が薄くなっていますが、学生時代、元大阪市立大学教授・伊勢田穆君の下宿で、彼の実家から送られてきた「二十世紀」を何人かで一緒にご馳走になった時のあの味は感動ものでした。