我々が入社した頃の初出の日は通常業務は無く、幹部の挨拶と職場毎の簡単な祝賀行事だけで早々に退社していました。
女性の多くは着飾った和服で出社していました。
その女性を何処かに連れて行くのが若い男性に課せられた務めのような雰囲気がありました。
思い出の一つは数人で平安神宮に参拝したことです。
あの広い白砂の庭が艶(あで)やかな和服で埋まり、朱と緑の華麗な神殿もこの時ばかりは色褪せて見えるほどで、写真には撮っていませんが、その光景は今でも脳裏に刻まれています。
もう半世紀以上も前のことで、何処で食事をしたかやどうやって帰って別れたかは全く覚えていません。
時移り職場も変って、初出の様子も次第に変ってきましたが比較的長い期間の定型は、全員で社長のテープの挨拶と所長の挨拶を聞いて乾杯、その後は部門毎に懇談と軽食をしながら特約店や取引先の年賀を受けたり、主な得意先や官公庁に挨拶に出掛けたりするというものでした。
その後の数日間は年始の挨拶回りが主な業務となっていましたが、先方も同様で多くは挨拶に出掛けていて不在、無人の机の上に「年賀」か「謹賀新年」のゴム印を押した自分の名刺を置いて帰って来ていました。
そして昨今は和服での出勤は証券関係に限られ、大多数の職場では初出の日から通常の日常業務に入っているようです。
虚礼廃止、効率的で合理的な行動をとらなければ厳しい競争に生き残れず、それが世間一般の行動パターンになってきているとも言えるようです。
尤もなことですが、効率が優先され余裕、潤い、情緒等の薄れてきていることも否定できません。
幸いにして現役を離れた今は無駄を省かず、この薄れ行くものと仲良く付き合って行きたいと思っています。
女性の多くは着飾った和服で出社していました。
その女性を何処かに連れて行くのが若い男性に課せられた務めのような雰囲気がありました。
思い出の一つは数人で平安神宮に参拝したことです。
あの広い白砂の庭が艶(あで)やかな和服で埋まり、朱と緑の華麗な神殿もこの時ばかりは色褪せて見えるほどで、写真には撮っていませんが、その光景は今でも脳裏に刻まれています。
もう半世紀以上も前のことで、何処で食事をしたかやどうやって帰って別れたかは全く覚えていません。
時移り職場も変って、初出の様子も次第に変ってきましたが比較的長い期間の定型は、全員で社長のテープの挨拶と所長の挨拶を聞いて乾杯、その後は部門毎に懇談と軽食をしながら特約店や取引先の年賀を受けたり、主な得意先や官公庁に挨拶に出掛けたりするというものでした。
その後の数日間は年始の挨拶回りが主な業務となっていましたが、先方も同様で多くは挨拶に出掛けていて不在、無人の机の上に「年賀」か「謹賀新年」のゴム印を押した自分の名刺を置いて帰って来ていました。
そして昨今は和服での出勤は証券関係に限られ、大多数の職場では初出の日から通常の日常業務に入っているようです。
虚礼廃止、効率的で合理的な行動をとらなければ厳しい競争に生き残れず、それが世間一般の行動パターンになってきているとも言えるようです。
尤もなことですが、効率が優先され余裕、潤い、情緒等の薄れてきていることも否定できません。
幸いにして現役を離れた今は無駄を省かず、この薄れ行くものと仲良く付き合って行きたいと思っています。