カナダ 隠居生活

今まで世界をさまよい、2010年50歳、カナダにケアギバー 留学し、就職。2015年次女と念願の永住権獲得。

今年

2012-12-11 17:43:00 | ケアギバーに関する事
 昨日大変お世話になっている以前通ってた学校の先生に、クリスマスの鉢植え持ってご挨拶に行った。次の仕事の紹介や娘のビザやもちろん私のワークパーミットとこの人なしでは私のカナダの人生はありえない。
 「今年は大変なとしだったわねぇ。来年こそいい年になるように願っているわ。。」とぎゅっとハグ。え?私大変な年だったの?と言われてから気がついた。確かに。
1月2月は仕事がきついところで劇痩せしてしまった。2月から4月までは仕事が見つからず、娘の学校もワークビザがないため何もできずただただこもる日々。ようやく仕事ゲットしたら今度は洪水で引越し。。そしてその先での仕事はミスマッチ。最終日は救急車に乗せられる。。確かにネ。
でもいいこともあったかな?娘が来たこと、けんかしながらも楽しくやってたわ。ヒアリングがよくなり映画を楽しめるようになったし。今の仕事はずいぶん気に入ってるし。あと9ヶ月でオープンワークビザの申請ができるし。。

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医療費

2012-12-08 08:57:00 | 健康
 救急車代は後で請求が来るらしいが、治療費はここの州の健康保健書があればすべてただ。無論歯科治療はいっさいカバーされないので自分で保険をかけなきゃならない。日本の保健もいずれは歯科治療費カット、また救急車代はチャージの時代がやってくるだろう。救急車で来た患者は症状にかかわらず優先的に治療を受けられる。他人ごとになると万が一状況が悪くなったときなんで救急車を呼ばなかったのだという話になることが多いので責任のリスクを避けるためにも911.
 また老人ケアの政府によるサポートもまだバンクーバーのあるBC州に比べてはずいぶん援助がある。私のお給料として毎月2000㌦が支給されている。無論そこから雇用主は最低賃金を支給し差額をポケットに入れている。車椅子、手すり、酸素、コンプレッサーの電気代、お風呂を車椅子でも使えるバリアフリーに変える。これも申請できるが数ヶ月以上待つらしい。BCはバブル時代に日本が不動産を買いまくり地代が値上がり、カナディアンが家を買えなくなってしまったとBCからここに移動した雇用主がいっていた。今は中華系が不動産を牛耳りもっと高くなっている。老人ケアの援助はすくない。車椅子さえ自分で購入だ。無論私がBCで働いたら雇用主は自腹である。
 おばあちゃんはもともとBCにすんでいたが、娘達がこの州の方が援助が多いとのことで呼んだらしい。おじいちゃんも死に際にはここの州に来たらしい。治療費がただだからか。。。カナダはいろんなチョイスがある。
気候のよさ、すみやすさ、海の美しさでBCに一度住んで、経済を考えて最後はここの州という人たちを数人知っている。次の雇用主も炭鉱を退職した後あこがれのBCにすんで7年前にはこっちに戻ってきた。

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2日目

2012-12-07 16:09:27 | 日記
 今日は何もせずダラダラすごしている。尾てい骨と顔の痛みはよくなったが 左首から肩が痛い。意識のないとき壁にぶつけたといってたので首の靭帯を痛めたのかもしれない。しっかりものの雇用主が労働傷害保険に申請する?検査が山のようにあるし、あなたはカナディアンじゃないしここの仕事の最後の日だしどうなるかわからないけど、連絡するわよ。その代わりもしかしたら将来仕事を得るのが困難になるかもね。との話であった。今は問題ないから必要ないけど後の体調によってはわからないだろうなと思う。
 ここの家にはおじいちゃんの霊が住み着いてると思う。特に雇用主はいまだになくなったおじいちゃんのことをよく話してはないて感情的になる。あちこちにおじいちゃんの写真が飾ってある。時々目の錯覚で椅子のところに雇用主の頭が見えたことが何回かあり、生霊みたいでぞっとした。私の生霊もさまよっているらしく、先日の夜中の1時におばあちゃんが 大声で私を呼ぶので何事か?と思って部屋に行ったら何でこんな時間に起こすのよ。といっている。起こされたのは私だが。。。もしかしたら私の生霊が起こしたのかもしれない。お塩まいて清めなきゃ。特に階段は落ちたのは2回目だから、だれかに背中を押されたのかもしれない。
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最後の日

2012-12-07 15:46:06 | 日記
 昨日は最後の労働日であった。後任の人はとっても朗らかでいい人。カナディアンなので言葉の問題もなくすんなりおばあちゃんと意気投合。よかった安心して去れる。と気を抜いた瞬間、階段から転げ落ちた。尾てい骨を酷く打って立ち上がれないほど。みんなおばあちゃんが転んだと思っておばあちゃんの部屋に飛んでいったが実は私。こぼしてしまった紅茶が気になって拭かなきゃと立ち上がろうとしたところ、めまいがし、こりゃだめだと思いベットに移動しようとした瞬間、意識がなくなって、ベットのそばにあるガラスのランプシェードに顔を突っ込んで倒れたらしい。気が付いたらパニクッている雇用主がコール911と大騒ぎしている。意識がなくなり頭をぶつけた瞬間の痛みとかまったく覚えていない。このまま目覚めず死んでしまったら地縛霊になるだろうな。だって自分が死んだことに気が付かない。すっと意識がなくなったから。
 救急隊の男性4名が到着したことには歩けるようになっていた。顔の傷はかすりきずだが,はなとおでこが妙に痛い。意識を失ったとき思いっきりぶっ倒れたのだろう。
 救急車いらないなぁ。。お金かかるしと思ったが雇用主の絶対命令。とことこ歩いてストレッチャーに載って病院の救急室に運ばれた。沢山待つだろうと編み物を持参した。
 倒れた原因を探るために、心電図や血糖の検査やしたがどこも異常なし。自分では痛みのショックだと思う。ロボットのようにスイッチが切れシャットダウンしてしまった。はじめ血糖は低く血圧も低めだった。あとは24時間様子を見て吐き気がなければOKだろう。

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延長ビザ

2012-12-05 21:43:31 | 日記
 やっと本日娘の延長ビザが届いた。8月19日に郵送してからなんと3ヵ月半もかかったのだ。。9月26日にビザが切れてからはなんとなくすっきりしない気持ちで今までいた。私のワークビザも今は3ヶ月以上かかるらしいので、、。
娘のビザは私のワークと同じ期間の2015年まで認定された。そして小学校中高校に通ってもいいと書いてある。ただし再入国は認めないと言う私のビザにも書かれてある内容だ。私のビザが有効な限りはだいじょうぶであったが。。
今回の娘の帰国と私の離職でこのありがたいビザはただの紙切れに戻るのである。そして今度は学生ビザを取ってカナダに入るつもりだ。学生ビザは現在マニラで発行される。オンラインで申請するには16歳になってなきゃならないので郵送になる。この学生ビザは一般に高校卒業後の人のためのことがほとんどで、娘のような親の保護下にある場合はオープンステゥデントビザというものもあるらしいが、、、何を見ても娘の状況と同じものがなく苦労している。1月末には私のLMOが取れるのでそれからワークを申請と言うことだがその中に随伴家族を記入するランがあったと思う。オープンスティうでんとビザ用の。。。それでできれば私のビザと連動するので簡単だ。。。来年の冬は一緒に帰国したいものである。エンプロイヤーの手紙とワークビザがあれば再入国が可能である。
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