■兄弟の血(上・下)/アンデシュ・ルースルンド&ステファン・ドゥンベリ 2018.12.10=2
そこで、まず過去を掘り出す。それから、存在しないものを奪う。
存在しないものを奪う。そのために、史上最大の奇襲をかける。
「存在しないものを奪う」とは、何を意味するのか全然分からない。
分からないままに、随所に出てくるこの言葉の謎を求めて、読み進めると、下巻のこの辺りから少しずつ分かってくる。
システムの欠陥は目端のきく者の利益になる。いつだって通用する原則だ。貨幣の価値の永続性について、人々が当たり前だと思っていること----国の中央銀行が発行した貨幣や硬貨には、永遠にその額面どおりの価値がある、とする暗黙の了解が揺らいだことは前にもある。ほんの数年前、ベルギーでのことだ。..........
刑務所の内にも人生はある。
刑務所というのはそういうものだ。犯罪というただひとつの共通点を分かち合う中で、人脈が何倍にも広がる。次なる犯罪の温床。参加者はすでに集まっている。それどころかいっしょに閉じこめられているのだ。
けど、ひとつだけ言っておく。刑務所の区画。あそこでは、他人とほんとうに深く知りあうことができる。時間はたっぷりあるし、いっしょに閉じこめられているからな。
生きている限り、人生は続く。
「黒い糸だな、ブロンクス」
ブロンクスは黒い鉄扉が閉まらないようにがっしりとつかみ、憎悪の笑みに顔を向けると、小声で答えた。
「なんの話かわからない。いずれにせよ、どうでもいい。今日の用はもう済んだ」
「生きてるあいだはな、レオ、毎日が……新しい糸だ。人生の絨毯に織りこむ糸だ」
「三百六十五本の糸だ。毎日。毎日」
「たいていの糸は灰色だ。なにも起こらない、退屈な日。食ってクソして寝るだけだ。だが、たまにな、レオ、赤や緑の糸が現れる。好きなことをやった日だな。逆に、おれがおまえたちの家に行った日みたいに、糸が真っ黒になることもある」
巧みな嘘は、かならず真実から始まる。隠したいことをほんとうに隠せるのは真実だけだ。聞き手に嘘を信じこませたかったら、その嘘にじゅうぶんな真実をまぜこまなければならない。
家族間の問題。
「母さん……痛い?」
「痛いに決まってるだろ、フェリックス。そんなこと訊かなくていい」
「痛いわよ」
母さんはうめき声をあげながら、上半身を少し起こそうとする。もっとよく見ようとしているのかもしれない。
「でも、痛みにはいろいろあってね。見えないところが痛むこともあるのよ」
感情は消えるものではない。憎しみは有害なウィルスのごとく体内に潜伏し、ある日なんの前触れもなく、思考のすき間で膨張し、爆発する。
激しい怒り。前回ここを訪ねてきたときには吐き気に変換された。あまりにも長いこと閉じこめてきた、意識して退けてきた、怒り。なぜって、危険だからだ。怒りは、衝動を抑える力を削ぐ。向こう見ずな行動へと人を駆り立てる。そのせいで二度と人生が元に戻らなくなるような行動へ。
強すぎる愛情を抱いている人は、ときに心を閉ざさずにはいられない。
そしてふたたび心を開くと、感情が襲いかかってくる。悲しみは記憶を養分にして育つ生き物なのだとわかる。
「訳者あとがき」を読むと、このミステリが書かれるきっかけとなった背景がよく分かり興味深い。
最後までぼくの心に残った言葉があります。
「おれが変われるなら、
おまえだって変われる」
『 兄弟の血(上・下)/アンデシュ・ルースルンド&ステファン・ドゥンベリ
/ヘレンハルメ美穂 鵜田良江訳/ハヤカワ・ミステリ文庫 』
そこで、まず過去を掘り出す。それから、存在しないものを奪う。
存在しないものを奪う。そのために、史上最大の奇襲をかける。
「存在しないものを奪う」とは、何を意味するのか全然分からない。
分からないままに、随所に出てくるこの言葉の謎を求めて、読み進めると、下巻のこの辺りから少しずつ分かってくる。
システムの欠陥は目端のきく者の利益になる。いつだって通用する原則だ。貨幣の価値の永続性について、人々が当たり前だと思っていること----国の中央銀行が発行した貨幣や硬貨には、永遠にその額面どおりの価値がある、とする暗黙の了解が揺らいだことは前にもある。ほんの数年前、ベルギーでのことだ。..........
刑務所の内にも人生はある。
刑務所というのはそういうものだ。犯罪というただひとつの共通点を分かち合う中で、人脈が何倍にも広がる。次なる犯罪の温床。参加者はすでに集まっている。それどころかいっしょに閉じこめられているのだ。
けど、ひとつだけ言っておく。刑務所の区画。あそこでは、他人とほんとうに深く知りあうことができる。時間はたっぷりあるし、いっしょに閉じこめられているからな。
生きている限り、人生は続く。
「黒い糸だな、ブロンクス」
ブロンクスは黒い鉄扉が閉まらないようにがっしりとつかみ、憎悪の笑みに顔を向けると、小声で答えた。
「なんの話かわからない。いずれにせよ、どうでもいい。今日の用はもう済んだ」
「生きてるあいだはな、レオ、毎日が……新しい糸だ。人生の絨毯に織りこむ糸だ」
「三百六十五本の糸だ。毎日。毎日」
「たいていの糸は灰色だ。なにも起こらない、退屈な日。食ってクソして寝るだけだ。だが、たまにな、レオ、赤や緑の糸が現れる。好きなことをやった日だな。逆に、おれがおまえたちの家に行った日みたいに、糸が真っ黒になることもある」
巧みな嘘は、かならず真実から始まる。隠したいことをほんとうに隠せるのは真実だけだ。聞き手に嘘を信じこませたかったら、その嘘にじゅうぶんな真実をまぜこまなければならない。
家族間の問題。
「母さん……痛い?」
「痛いに決まってるだろ、フェリックス。そんなこと訊かなくていい」
「痛いわよ」
母さんはうめき声をあげながら、上半身を少し起こそうとする。もっとよく見ようとしているのかもしれない。
「でも、痛みにはいろいろあってね。見えないところが痛むこともあるのよ」
感情は消えるものではない。憎しみは有害なウィルスのごとく体内に潜伏し、ある日なんの前触れもなく、思考のすき間で膨張し、爆発する。
激しい怒り。前回ここを訪ねてきたときには吐き気に変換された。あまりにも長いこと閉じこめてきた、意識して退けてきた、怒り。なぜって、危険だからだ。怒りは、衝動を抑える力を削ぐ。向こう見ずな行動へと人を駆り立てる。そのせいで二度と人生が元に戻らなくなるような行動へ。
強すぎる愛情を抱いている人は、ときに心を閉ざさずにはいられない。
そしてふたたび心を開くと、感情が襲いかかってくる。悲しみは記憶を養分にして育つ生き物なのだとわかる。
「訳者あとがき」を読むと、このミステリが書かれるきっかけとなった背景がよく分かり興味深い。
最後までぼくの心に残った言葉があります。
「おれが変われるなら、
おまえだって変われる」
『 兄弟の血(上・下)/アンデシュ・ルースルンド&ステファン・ドゥンベリ
/ヘレンハルメ美穂 鵜田良江訳/ハヤカワ・ミステリ文庫 』