2月11日付けの日刊ゲンダイに五木寛之氏が標記の見出しで」「流されゆく日々」というエッセーを書いてあった。このエッセーは8886回目で同紙の看板コラムである。
私は、「青春の門」の頃から五木氏のものはよく拝見している方だと思うが、このエッセーの中で、五木氏は「こうすれば健康になる」みたいな、「これ一つですべてうまくいくというような説得には首をかしげたくなる」と書いていました。「なにをどうしようと完全な健康などない。老化は避けられない」との見解です。
「それを受け入れながら、やるべきことはやる。できるだけ体を動かすとか、暴飲暴食はつつしむとか当たり前のことをする」のが健康法だと言っています。
つまり、健康は努力しても必ずしも得られるものではないということを悟ったうえで、やれることはやる。というのが最善だということみたいです。
この連載の8881回目に五木氏は「スティーブ・ジョブズ氏は現代の英雄でした。しかし、そんな彼も健康だけは思うがままにはなれませんでした」と書いていました。
「健康という最大の財産」「明日の保証はない」
「きょうこのとき、という幸福を求めることを刹那的と批判できない。」
実は、「そこにこそ現代の幸福はあるのかしれない」と述べています。
五木氏のように、現代の鬱の闇を鋭く見つめる賢人にさえ、こう言わせる現代という時代。
将来が見えない中で、我々は遠くを見る(アラン)と同時に近くも見なければならないということかもしれません。
元気な人こそ、「ええ!」と思わず叫びたくなるような急死をすることがあります。
でも、一つ一つ着実に、生ある間生きていくしかないのではないでしょうか?
したいことを決めて、するしかないのではないでしょうか?
仮に今晩死ぬとしても。