西国20番札所善峯寺と西国21番札所穴太寺へ行ってきました
連休に人が多くなることを見込みというか、たまたま休みが取れたので、27日にタイトルの2つのお寺(よしみねでら)と(あなおじ)へ行ってきました。
この2つのお寺は京都市の西のはずれと亀岡市にあるのですが、自宅からは少し遠いので、なかなか行けませんでしたが、思い切って自動車で行くことにしました。
京奈和自動車道、第二京阪道路、京滋バイパス、京都縦貫自動車道を乗り継ぎ、カーナビの指示通り行くと長岡京ICから細い道路をかなり通って善峯寺に到着しました。(たぶん大原野ICまで行って戻った方が良かったかも?)
そして、着いてから後の様子は上のフォトアルバムをご覧ください。
善峯寺は1029年に源算上人が創建した古刹であり、天皇家に保護されていたが、応仁の乱で消失した伽藍を徳川家光の側室(綱吉の生母)である桂昌院が再建したもの。
境内は10万㎡と広大で新緑に満ちていた。
階段を上ると山門があり、その上に観音堂があり、その上に「遊龍(ゆうりょう)の松」と言われる長さ37m。樹齢600年以上の国の天然記念物がある。
そこにはしだれ桜ともみじが合体したかのような桂昌院お手植えの木もある。
さらにその上には桂昌院のお墓があるが、そこからの京都の眺めは素晴らしい。
さらに、さらにと色々な見所があり、1時間半以上そこにいた。
そこから、同じ京都縦貫道を沓掛ICから亀岡ICまで乗り、あとはわずかで穴太寺(あのうじと呼ぶ人もいるが、おなおじが正しく、言いやすいようにあなおうじと言っているとのこと)へ着いた。駐車場が寺にはなく、近くの民間駐車場へ停めてすぐのところだった。
このお寺は入山料は無料だが、ご本尊やふとんを被ったお釈迦様にお会いするには別料金が必要。そこでは、見事な庭園も見ることができる。
そういうことで、2つの寺を一緒に回るのが効率的だ。
一番びっくりしたのは、穴太寺で前の職場で一緒に仕事をした人に出会ったこと。
10年以上会ったことのなかった人だが、向こうも自分のことを覚えてくれていたのは嬉しかった。
こうした出会いも寺参りにはあるのだなあと感じた次第である。
連休に人が多くなることを見込みというか、たまたま休みが取れたので、27日にタイトルの2つのお寺(よしみねでら)と(あなおじ)へ行ってきました。
この2つのお寺は京都市の西のはずれと亀岡市にあるのですが、自宅からは少し遠いので、なかなか行けませんでしたが、思い切って自動車で行くことにしました。
京奈和自動車道、第二京阪道路、京滋バイパス、京都縦貫自動車道を乗り継ぎ、カーナビの指示通り行くと長岡京ICから細い道路をかなり通って善峯寺に到着しました。(たぶん大原野ICまで行って戻った方が良かったかも?)
そして、着いてから後の様子は上のフォトアルバムをご覧ください。
善峯寺は1029年に源算上人が創建した古刹であり、天皇家に保護されていたが、応仁の乱で消失した伽藍を徳川家光の側室(綱吉の生母)である桂昌院が再建したもの。
境内は10万㎡と広大で新緑に満ちていた。
階段を上ると山門があり、その上に観音堂があり、その上に「遊龍(ゆうりょう)の松」と言われる長さ37m。樹齢600年以上の国の天然記念物がある。
そこにはしだれ桜ともみじが合体したかのような桂昌院お手植えの木もある。
さらにその上には桂昌院のお墓があるが、そこからの京都の眺めは素晴らしい。
さらに、さらにと色々な見所があり、1時間半以上そこにいた。
そこから、同じ京都縦貫道を沓掛ICから亀岡ICまで乗り、あとはわずかで穴太寺(あのうじと呼ぶ人もいるが、おなおじが正しく、言いやすいようにあなおうじと言っているとのこと)へ着いた。駐車場が寺にはなく、近くの民間駐車場へ停めてすぐのところだった。
このお寺は入山料は無料だが、ご本尊やふとんを被ったお釈迦様にお会いするには別料金が必要。そこでは、見事な庭園も見ることができる。
そういうことで、2つの寺を一緒に回るのが効率的だ。
一番びっくりしたのは、穴太寺で前の職場で一緒に仕事をした人に出会ったこと。
10年以上会ったことのなかった人だが、向こうも自分のことを覚えてくれていたのは嬉しかった。
こうした出会いも寺参りにはあるのだなあと感じた次第である。