さきほど、『麒麟が来る』の最終回が終わりました。
最初からわかっていたことですが、テレビで初めてわかったのは、光秀が信長を討ったのは1582年6月2日の早朝だということでした。なぜか、夜だとばかり思っていました。
さて、この大河ドラマ、コロナの影響等で1か月以上終了が遅くなりましたが、なかなか良かったと思います。
明智光秀が歴史に残した足跡を単なる反逆者として扱うことなく、信長の育ての親ともいうべき存在だったこともわかりました。
そして、光秀は信長を必死に助けてやってきたのに、最後はどうしても対立せざるを得なかった状況もよくわかりました。
どこまで、事実かはわかりませんが、自分の思い込みを正すのに役立ったと思います。
秀吉は漁夫の利ともいうべき形で天下を統一するものの、その後、家康に負かされるのは『麒麟』は家康だったということでしょうか?