一昨日放送のNHK歴史秘話ヒストリアをご覧になられましたか?
(ご覧になられていない方は再放送やNHK+,オンデマンドなどで見ることをお勧めします)
古関裕而さんといえば、現在の朝ドラの主人公のモデルで生涯に5000曲も作曲されたとか。
以下、私がこの番組を見て、特に印象に残ったことだけを書かせていただくことにする。
1 古関さんの出発は、「六甲おろし」(大阪タイガースの歌)のヒットにあった。(1936年)
「六甲おろし」は関西の人であれば誰でもが知っているくらい有名な阪神タイガースの応援歌である。この曲がヒットするまでに、才能は認められていたが、売れなかったそうである。
この曲、非常に歯切れがいい。その秘密は4拍子の1拍目と3拍目を強く歌うように作られているかららしい。
2 戦時中は、「露営の歌」(勝ってくるぞと勇ましくで始まる歌、1937年)や「若鷲の歌」(若い血潮の予科練ので始まる歌、1943年)のような有名な軍歌を多く作曲した。
「若鷲の歌」は長調と短調と2曲作り、予科練の人に選んでもらったという。選ばれたのは哀愁を帯びた短調。
自分の作曲した歌で、結果的に若い人を戦争に導いたことに苦しんだという。
3 戦後、一番有名なのが「長崎の鐘」(1949年)。これは、長崎の人だけでなく日本国民全体へのエールとして書かれたという。
始まりは短調だが、「なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の 鐘がなる」というサビの部分だけ長調らしい。
4 そして、最大のエールといえるのが、夏の全国高等学校野球選手権大会の歌である「栄冠は君に輝く」(1948年)である。聞くと本当に元気が湧いてくる。
今年は、コロナの影響で聞くことができなかったが、全国150か所でこの歌が演奏され、インターネットで配信されたそうである。
こうした、数々の偉大な歌以外にも大学等の応援歌、社歌なども多く手掛けられ、「モスラの歌」も作曲されたそうである。
そして、これは、この番組以外のところで知ったのだが、古関さんは楽器を演奏することなく頭だけで作曲し、一度に3曲を作り上げたとか?!
凄い!の一言。である。