我々は、「死」を恐れている。
それは、「最後」を意味するからだ。
しかし、もし、「死」によって「肉体」は消滅(実際は少しの骨は残る)するにしても、今の体を動かしているこの根本的な「魂」が霊となって死なないとすれば?
それは、電波のように人の目には入らないかもしれないが、実際は存在するとしたら?
そして、次の世界へその「魂」が引き継がれるとしたら?
別に「死」が怖いことがなくなるのでは?
財産はなくなるが、その人が人生で身につけた知性や教養は引き継がれるとしたら、今の努力は無駄ではなくなる。
なんて、ちょっと考えたりした。
なお、こう書いたからといって、私は何かの宗教に入信したわけでもなんでもありません。
ただ、「死」が「最後」だとして、それでおしまいというのは、気持ちを萎縮させるだけ=つまり、せっかくの努力は消えてなくなるみたいな(お金持ちなら、逆に快楽主義になることも考えられますが。)と、ふと思ったので、書いてみました。
それは、「最後」を意味するからだ。
しかし、もし、「死」によって「肉体」は消滅(実際は少しの骨は残る)するにしても、今の体を動かしているこの根本的な「魂」が霊となって死なないとすれば?
それは、電波のように人の目には入らないかもしれないが、実際は存在するとしたら?
そして、次の世界へその「魂」が引き継がれるとしたら?
別に「死」が怖いことがなくなるのでは?
財産はなくなるが、その人が人生で身につけた知性や教養は引き継がれるとしたら、今の努力は無駄ではなくなる。
なんて、ちょっと考えたりした。
なお、こう書いたからといって、私は何かの宗教に入信したわけでもなんでもありません。
ただ、「死」が「最後」だとして、それでおしまいというのは、気持ちを萎縮させるだけ=つまり、せっかくの努力は消えてなくなるみたいな(お金持ちなら、逆に快楽主義になることも考えられますが。)と、ふと思ったので、書いてみました。