「思考とは何か?が、AIの成否を決定する。そして、おおよそ推理的知能と論理回路とは区別できない、推理的過程が論理回路で表現される」
論理回路に拠って知能は構成できる。小さな神経細胞のつながりが、謂わば論理回路だからだ。思考の法則をむかし考えた人がいる。彼は「思考判断の進展規則」を一心に考えた、その結論が論理回路でありブール代数であった。ジョージ・ブールは論理学から回路代数を導いたが、実際の脳神経が絡み合っている回路網は、ブールの言う論理回路に酷似しているはずだ。一つ一つの神経細胞のつながりは至極簡単な回路だろうが、それが十億・百億・千億・一兆・百兆となると、其処には判断力や空想力が出現して来るかも知れない。人は物事を判断する場合に、頭はどのような経路を踏むのか、知るとはどういう機能なのか、とか問うだろう。これは哲学の世界だけでなく、数学・神経生理学・ロボット工学・サイバネティクスなどに於いても最も核心的部分である。驚くことにブールは中学校しか公式には出ていない、数学はみな独学なのである。父親は知的な靴屋であったが、息子をパブリックスクールに出す資金的裏付けは無かったのだろう。ブールは49歳で亡くなった、とても惜しい人である。彼があと30年永く生きたとするなら、我々は新たに何事かを知ることが出来ただろう。こういう人物は結構いる。偉大なマイケル・ファラデーは当時の小学校しか出ていない。工学の演算子で有名な数学者のヘヴィサイドは病気の為に学校に通って居なかった。我々の読者の中には、「教育っていったい何なのだろうか?」と、問う人も居るかも知れないし、教育の無力感を想う人もいるかも知れない。天才に教育など必要ないなどと言うつもりはない。だが彼らの存在は小さな偶然が微笑んだ数少ない特例に過ぎないのだろうか?。教育とは何んなのだろう?私たちのような平凡人を、世の中の有用な人に変える為に創り出された制度である。少なくとも明治新政府はそういう考えで居た。有用な機能を持つのだとされているが、その力さえも段々に薄れているのではないか。私たちは恵まれすぎているのだろうか?。昨今は栄養価の高い食事や暖かい着物、高級から低級までの書物の氾濫、自分の個室にベッドと机と本棚、Standを持ち部屋には熱暑を避ける為にエアコンまで付いている。教育が教えるべき最も重要なことは、雑多な個別の知識を与えると言うよりは、各人の「思考活動の技法と成る知識と判断を仕入れる方法」を教える事である。それさえ確立されて居れば、子供は放って置いても自分から進んで学んで行くものだ。手軽なインターネットの知識は、真の知識を深く究めるには軽薄だ。其れには、矢張り死んでしまって居る偉大な人物の、著書や論文を読むこと以外に無いのだろう。また本道に反れてしまった。上記のようなことを言いたい為にこのテーマを書いているのではない。此処でのテーマは「思考の機能と本質」である。
人に限らず、あらゆる生き物には、生まれてから壊れる(死ぬ)までの時間、生命維持の絶妙なサイクル。これを可能にしている恒常性サイクル、生き物には生存の知的活動が猶予された時間である寿命がある。それ相応の運命付けられた時間である。人間ならばその間に何をするか?であろう。命が先ず生まれるには、其れなりの手順を踏まなかれば成らない。卵子と精子の受精である、次には母親の子宮に定着し酸素と栄養を補給されねば死んでしまう。母親が元気で活動しその間、受精卵は卵割を繰り返し、人ならば人として一つの個体に成ってゆく。ヘッケルが云う様に生物は子宮から出て来るまでに、系統発生を繰り返す。つまり原始的な魚から両生類、爬虫類、哺乳類と、進化の段階を繰り返す事に成る。個体はただ眠っているだけではない、原始的な生命体が発生して20億年、その期間の経験を反芻しているのだろう、そうでは無いと言える人は居ない。産まれる為に畏るべき長い時間を足った10か月で辿るのだ、幾億兆の生と死が有ったことだろう。途中の無数の死が有り、無数の生が有り、そしてあらゆる生も最後には死にゆくもの。産まれてからは、母の体温と温かみを感じて育てられた。母は何物にもまして偉大な存在だ。そして、あらゆる命は一番大きな何かの部分、乃至一部である。それを星雲と言おうと宇宙と言おうと同じこと。死に行く先を心配する必要は無い。生まれ来る元を心配する必要は無い。こういう背景を元にして、思考する自己とは何だろう。産まれて来た事を深く感謝する。母も父も偉大だった。宇宙に見開く目を与えてくれた人々に誰しも代えがたい感謝をするだろう。
講義と謂えばアンリ・ポアンカレの講義が怖ろしい。この天才は少し時間に遅れて教室にヌ~ッと現れたかと思うと、偏微分方程式論の話を始めた。ブツブツとつぶやいて、変動値を計算していたが、何かを考えている為に上の空で計算を間違えた。生意気な学生が、先生その数字が間違って居ますと指摘したのだ。そこで事件が起きた、頭にきたポアンカレは、持って居たチョークを生意気な学生に投げつけ、そんなに数字が気になるなら会計士の所に行って教えて貰え!と怒鳴った。流石に学生は青く成ったが、自分はそんな怖い講義を是非とも取ってみたい。微分方程式の内容は自習でも習得できるが、ポアンカレの黒板前での一挙手一投足は、その講義に出て居なければ味わうことが出来ないからだ。ポアンカレは、わり方早く亡くなった57歳か58歳である。死因は前立腺がんの手術だった。今の時代ならば手術ロボット(ダビンチ)を使ったダビンチ手術があり、このオペで死ぬことは無かった。ポアンカレは直感派の巨匠のひとりだった。フックス関数の発見は有名である。典型的なインスピレーション派ですね。彼は未開のジャングルを開拓し多くの踏み跡を残した。踏み跡の道の整備は、他の秀才に任せれば好いという考えの持ち主なのだろう。この人も惜しい人だ、あと30年いや20年でも好い、彼が生きていれば我々は新しい何事かを知ることが出来ただろう。ポアンカレは直感派であるにも拘らず優れた文章家でもあった。彼の四部作(科学と仮説)(科学の価値)(科学と方法)(科学と詩人)は、どう見てもインスピレーション派の巨匠を超えた名著である。
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