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奇妙な一致

2024年01月22日 11時00分31秒 | 電子計算機の未来

 久し振りで岡潔のエッセイと読んで見ると色々な話題が書かれている。この人はいったい何を言いたいのだろうといつも思う。そして分かった様な分からない様な、不思議な気持ちにさせられる。彼は数学を専攻しその頭脳は突出しているが、生涯の論文数はたぶん15篇は無いと思う。この偉大な数学者にしては驚くほど少ない。遣り始めた分野は完璧に仕上げるという姿勢なのだろう。例えば18世紀のスイスの数学者レオンハルト・オイラー生涯で確か800篇以上の論文を書いた。オイラーは溢れる発想を論文として書き、あとの仕上げは後輩に任せるという姿勢だ。それで無ければ800篇の論文は書けない。確かに是は異常に多い例だ。普通の人は多くて200篇、平均100篇ほどだろう。物事を深く究めたら50篇が精々だろう。

岡先生はその代わり多くの著作を為された。春宵十話から何冊かのエッセイをお書きに成られた。簡単なことばで非常に深い事を言い、書かれた著書を読んだ印象は春の空気の如く清々としている。優れた数学者でこれほど多くの著作を出された人は居ないだろう。書かれる文章は透明感があり深い事を言って居られるので即座にはその趣旨を判断できない面がある。後年浄土宗の仏教者山崎辨栄上人に帰依して信仰の道を歩いた。数学者が仏道に入る?それは個人の精神生活だからあれこれを詮索するのは野暮な事だ。辨栄上人の人格が素晴らしかったに相違ない。岡潔が主張する中で一番に凡夫が不思議がるのは、人は死なない、という言葉であろう。我々の肉体が土に帰るのは誰が見ても現象としては正しのだが、人は死なないという言葉にはなにかそれとは違った意味が付与されているのだろう。

ところでこのコトバとおなじ事いう人物がいるのだ。それは交流電流の開拓者二コラテスラだ。最近では電気自動車のメーカーの名前にも採用されている。このアメリカ国籍のユーゴスラビア人はエジソンと争った稀代の発明家でもあった。エジソンも多くの発明、蓄音機、電灯、通信機械、他色々な発明をしている。その発明をめぐってテスラとの争いもあったらしいが、代表的な例では、直流電流か交流電流かの争いが有名であろう。私見としては直流電流よりも交流電流をつかった方が、熱エネルギーの減衰や危険性から言えば優れている。テスラが一度生まれた人間は死ぬ事がない。という趣旨は、どう言うことなのかを深く知りたいものだと思うし、同じく岡潔の言う人は死なないという事の認識と観念を知りたいものだと、この二人を想起するたびに思い出す事柄なのです。

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