取り立てて自分は、信心深くも宗教的でも無いが、宗派の草創期に於ける創始者の心根には感動する事も多い。原始宗教という物は、人間の生の情念が浮き出ている場合が多いし、また、それが哲学的な情緒の発端に成る事だってある。それは世界中の素朴な多神教の習俗に限らず、いま世界を席巻しつつある、高々2000年の歴史しかないユダヤ教とそこから派生した、ローマカトリックやプロテスタントのキリスト教やイスラム教などの、一神教の硬く重く息苦しい教義の中にも現れている。生と死の円環の中で、「存在の意味」と言うような根源的な問いは、現代の宗教産業とは何の関連も関係もない問いである。この問いは、謂わば人間の心の深奥に灯る、素朴で根源的な問いである。
我々の存在よりも、はるかに永遠の過去より太陽は輝いていたが、過っての恐竜が地球の主であった日と同じく、現在の人間も恐竜と同様である。勿論、このままの現在が永遠に続く訳がないから、人間の営為は、何れ滅び去り地層の痕跡として残るだろう。そして、後代の生物が「過去にはこの様な生物が居て滅び去った」と云う事を発見し、大々的に研究をするのでは無かろうか?。生物の進化の長い適応の歴史に於ける、人間の位置に付いて、あるいはその意味について、暖衣飽食に酔う今の人間にとっては、この問いの答え、考える者はおそらく皆無だろう。弟子は空海のエッセイ集である「性霊集に」編纂した。これは多くに人が読むべき箴言集に似ている。また秘蔵宝ヤクのなかには、「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の初めに冥く、死して、死して、死して、死して、死の終りに冥し」と。生きとし生ける生命の実相を看破している。空海は日本最大の知性の一人であり、彼の探求の範囲は深く豊かで、その見識は人間を超越している。
わたしを含めた、このおびただしい命は、なんのために生まれてきたのだろう。
今日も雨の中を車で走ると、カエルが目の前に飛び出してくる、私は、逃げて、逃げて、と避けようとして必死になるが、何匹も轢いてしまった。彼らは光に向かって飛び跳ねてくるのだ。真っ暗な夜道を歩いて居るのは、カエルのヒトも同じだ。わたしはゆえなくしてカエルの命を奪っている。
どういう訳か、昔し岩波書店の広報誌「図書」と云う物を取っていたらしい。無論、取っていたのは自分では無い、ただ家に有ったのだ。街へ出かけると、親父は必ず本屋に入り熱心に見ていたから、そこで買ったのか? 「図書」の購読者に成っていたのか?分らない。わたしは時々パラパラと捲り、面白そうな内容を見ては読み散らしたに過ぎない。田舎では、足った一軒の近所の雑貨屋で買って来た、当りクジ付きのアイスクリームや、茹で立てのトウモロコシを齧りながら見た記憶が残っている。1960年の高度経済成長以前の時代だ。長く購読していると、大抵は詰まらない記事も、記憶の残る記事も有ったと思われる。その中の記憶の底に残る幾つかの記事と、その思ったままを書いてみよう。
その中で紹介したいのは、比較的新しいとは言っても1977年11月号の図書の表紙解説「エジプトの聖マリア」である。小冊子はまるで話の中のマリアのように歳月の陽を浴びて、表紙も紙も茶色く変色し、ボロボロと崩れて仕舞うほどだ。1977年11月号と謂えば、いまから41年も前の事なのに、私の脳裏には昨日の如く、記憶として残っているのは不思議なことだ。心の奥に届く話は、永遠に新しいのだろう。分らないが、これは「イコン」ではないだろうか?、つまりローマカトリックでは無い、東方正教会、(オーソドックス)である。ギリシャ正教ともブルガリア正教、ロシア正教、とも云う正教会は、みなこの東方正教会の分派である。本拠はコンスタン・チノープルで、パック旅行でお馴染みの、四方に尖塔を持つあの建物である。
この表紙絵の解説は柳宗玄先生がお書きに成られている。元々の「修道院聖堂壁画」の解説は、先生のご著書「秘境のキリスト教美術」という岩波新書の中の一説であるらしい。私は読んだ事は無いが、我々は本物の砂漠と云う自然環境を、生まれ乍らには知らない。それは灼熱の光と闇の、生き物の無き世界であり、過酷さでは地球上で最大のものであろう。
1977年11月号の「図書の表紙絵」の解説として、柳宗玄先生が書かれた文章を紹介する。
「金儲けと享楽を旨とする今の世の中とは全く無縁の人物の像を紹介する(いや、もしかしたら、おおいに関係があるかも知れない)。この聖画はほとんど単色に近く、相当の凄みがある。」と柳先生は書かれていて、当時の暖衣飽食に満ちた、軽薄な世相に反感を持つ先生の純粋さが覗いて見える。ここからは、柳宗玄先生が図書にお書きに成られた文章をコピーしてみたい。
「あるとき(五世紀の初めのことだが)ゾスィマスという修道士が、ヨルダンの砂漠で祈っているとき、彼の前を人の影のようなものが過ぎて行くのを見た。彼はそれが悪魔の幻かと思い、大いに怖れたが、十字を切って落ち着きを取り戻してよく見ると、それは太陽の為に全身が真っ黒に灼けた裸の女で、首までしかない髪は毛糸のように真っ白だった…。
やがてゾスィマスのマントを与えられた女は、それを身にまとい、近寄ってきてその身の上話をはじめる。彼女はエジプトの港アレクサンドリアで淫乱の限りをつくし、さらに悪事を重ねるためにイェルサレムに向かう巡礼団に加わるが、ある日忽然と悟り、ヨルダン東方の砂漠に入り、そこで四十七年を過ごした…。
その間、彼女はエジプトで快楽に耽った日々を思い起こし、その心は激しく苦悶する、しかし砂漠における断食と祈りのきびしい修業によって、彼女は驚くべき能力を獲得する。ヨルダン川の水面を歩き、祈りによって空中に舞い上がり、動物と会話し、天恵のパンで飢えをしのいだ。
ゾスィマスが翌年、その約束に従って同じ谷間に彼女を訪ねたとき、そこには顔を東に向けたマリアの体が横たわっていた。そしてゾスィマスはマリアが砂の上に書き残している文字をみた。
(ゾスィマス神父よ、哀れなマリアの遺骸を埋められよ、地の物は地に返し、塵に塵を加えられよ。)」
鎌倉仏教の祖師たちの中でも、一遍はこれに似ていたと思う。彼も真っ黒に日に焼けて、ほとんど放浪して歩いたのだから…。まったく無欲のひとは社会では機能仕様がないが、欲が有り過ぎるひともまた人間以下である。大金を掴んだ人間が破滅するのは、金を得るよりも使う方がはるかに難しいことを証明している。
そしてすべてに於いて、世の中には、過ぎ去った後に成らなければ、真の意味も価値も分らないのが普通なのだ。いま事前に、その存在の価値や意味を知ろうとしても、それは無理なことなのだ。人はそんなに賢くは出来ていない。そのような叡智は無いのだから、いつも人は為したことや、為さなかった事を後悔するように出来ている。また後悔しない様な人生ならば、それは本当に生きた人生と謂えるのだろうか? 全ての悲しみは、確かにそこにある。だが後悔することで、僅かだが、全くの無明から解放されると信じたい。失う前には少しも価値を知らず、失う事によって、初めて生きて共に在ったその時間が、どんなにか貴重で幸せな時間で有ったのかを私は知った。
営業化した現代の宗教に比べて、古代の信仰はいまより純粋であった感がある。柳宗玄氏の「秘境のキリスト教美術」の口絵を見ると、「ゲレメ付近の洞窟修道院」は、なんと山形県立石寺(山寺)の岸壁に穿たれた墳墓の印象に似通っている。立石寺はもちろん仏教寺院であるが、出羽は修験道の本場であった。原始宗教という物はいずれもどこかで似通っているのが普通だ。荒野での超越するものとの対話と言う趣だが、ひとは過酷な環境の中でしか、より超越した何かとの対話は、成立しないのかも知れない。
日常を離れた不思議な経験を、するとしないとでは、人間の本質が基本的に異なってくるのは必然だろう。いままで盤石だと思って居た地面が、底知れぬ深さと豊かさを持つとしたら、これは人間が性根から変貌するのは当たりまえの事実である。自分は、どちらかと言うと理屈や合理性に傾いた人間だが、或る経験から魂の存在を信じることに成った。何でも現在の科学で解明されて分って居ると思う方がおかしい。科学は未だその本体の表面薄皮を撫でている段階に過ぎない。人間の知能は自然科学が追求することの目的地であろう。我々は自己意識と言う物の本質が、また物事の関係を理解するという合目的認識がどこに在るのかに附いて、解らない段階です。例を挙げれば、言語という外部情報と内部言語との関係さえ、ハッキリとは分かっていない。それは関連があるというぐらいの曖昧な段階にあるに過ぎない。
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