空想のねじ

好奇心のおもむくままに、チャレンジしたこと、行動したこと、感じたこと、思ったことを綴っていこうと思います。

足利の旅〜足利学校〜

2022-06-04 23:23:00 | 旅行
鑁阿寺から数分で足利学校に到着(笑)。

足利織姫神社、鑁阿寺、足利学校の位置関係はこんな感じです。

平安時代初期に創設された
中世の高等教育機関「足利学校」

足利学校は鑁阿寺から数分の場所にあります。


★足利学校
足利市観光協会公式サイトによると、創建については奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の義兼説など諸説あるそうで、現在も解明されていないそうです。

※足利市HPより

✳︎孔子像

入場料を払って中に入ると、シルバー人材のボランティアの方がガイドをするために待機していました。せっかくなのでお願いすると、ひとつひとつ丁寧に説明してくださいました。

日にちが経ってしまったので、記憶に自信がありませんが、この門が一番古いとのこと。

額の文字は書き順がわかるように彫られているそうです。色補正してみましたが、わかりますか?

★旧足利学校遺跡図書館

足利市の重要文化財です。
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写真のような洋館は、信州大学の前身でもある旧制松本高等学校の建物を連想させます。こちらもアニメの聖地といわれて一時期訪れる人が多かったようですね。私の昔の記憶では、一部図書館として開放されていたと思います。

※旧制松本高等学校(Wikipediaより)
今は現存していませんが、作家の北杜夫も住んでいたという寮もありました。
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建物の中に入って見学できます。展示されている年表を見る限りでは、小野篁公が開校したとなっていました。


そばには竹林があって、タケノコがニョキニョキ。

✳︎ 杏壇門
教壇の文字ではないのですね。孔子廟の門です。

大成殿は、孔子を祀ります。
クロバナロウバイの花がほころびかけていました。

ガイドさんにいわれて撮影したけど、なぜ撮ったのか思い出せません💦

杏壇門の向かって右の手前にある字降松。学生は質問があると、紙に書いてこの松にぶら下げたそうです。先生は紙を見つけるとそこに返事を書いてまた結ぶ。なんだか素敵な文通ですね。交換日記みたいです。

手前が足利学校の方丈(学舎)で、隣は庫裡(台所)になっています。誰でも入学できて、門をくぐった日が入学日。実際には遠い地まで旅が出来る財力や体力が必要だったことから、金銭的に裕福な家の人やお坊さんが多かったそうです。

隆盛期には3000人が学んだ足利学校
戦国大名は卜筮がお好き?

足利学校は、宣教師フランシスコ=ザビエルによってインドのゴア政庁に「坂東(関東)に大学あり」と報告されるほどでした。最も多かったときは、3000人もの学生が学んでいました。

戦国時代は儒学を中心に、易学・兵学・医学などが講義されていたといいます。特に卜筮(占い)がよく当たると戦国大名からは人気だったとか。いつ兵を出すか、退けるかなどを占ってもらっていたんですって😳。卒業生はその道の権威者として重用されたといいます。いつの時代も占いに頼って人は生きてきたんですね。

もちろん占いだけでなく、医学の発展に尽くした田代三喜・曲阿瀬道山(まなせどうざん)や渋沢栄一なども輩出しています。

ちょうどを知る、足るを知る?
なぜか3カ所に宥座之器が

方丈の中は見学できるので行ってみました。入り口には、宥座之器がありました。


バケツに水を入れて行き、ちょうどよいバランスのところで止めるというものなのですが、これがまた難しい(笑)。
孔子の説く「中庸」を体感するためなんだそうです。


方丈に2つ、旧足利学校遺跡図書館に1つありました。

とても素敵な建物なのですが、職人さんが足りずになかなか葺き替え作業が出来ないでいるとガイドさんが話されていました。
スイートオレンジの香りが庭に漂っていました。

続きます。