”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2024年08月30日 22時47分45秒 | Weblog
8月30日(金) 雨時々晴

 日本三大がっかり

台風の影響が長々と続いています。まぁあまり経験したことのない台風の遅さに行動が制限されている人が多いと思います。自分も静岡の田舎が少し心配なのですがまだ台風一過とはならずに名古屋で引き籠り状態になっています。
ところで「日本三大がっかり」はご存じの方が多いと思いますが、どこが一番がっかりしたでしょうか?自分は高知の「はりまや橋」が広い通りの脇にちょこんとあって、しかもあまりにも短い橋でちょっとがっかりした記憶があります。はりまや橋を見て思い出したのがブレーメンの音楽隊象です。昔ドイツに出張した時ハノーバーに宿が取れなくてブレーメンに3日ほど宿泊したことがありました。宿の近くの交差点の角にちょこんとあって最初は気が付きませんでした。はりまや橋を見た時そんなことを思い出したのです。まぁ札幌の時計台も思ったより小さくてちょっとがっかりですが、その由来を知っているとまぁそれなりに価値があるように思います。かのクラーク博士が提唱して札幌農学校の演武場に付けられたそうなのでそれなりの価値があるように思いました。残りの長崎のオランダ坂はあまり記憶に残っていません。石畳の坂は結構いろいろな所にあって、あまり違いがわかりません。もっとも江戸時代オランダ人等異国の人たちが歩いた坂と言うことだと思いますが現在においてはオランダと言われてもちょっと歴史を知らないとわかりませんね。自分はまだ平戸のオランダ商館跡の方が建物が残っているためと平戸が最初の異国との通商の地であることから自分はオランダ坂よりは見る価値があるように思いました。
まぁ個人的な感想ですがやはり観光と言っても結局はその地の歴史を把握して行かないとつまらないものにもなってしまうと言うことなのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2024年08月28日 22時14分52秒 | Weblog
8月28日(水) 曇

 ぎんぎんじょ

未だに上陸しない台風10号は日本列島の各地に大きな影響を与えているようです。これから日本を縦断するような状況ですでにあちこちに大きな影響を与えている訳ですが今後上陸したら更に大きな被害を与えそうでちょっと心配です。
ところで今日は表題の「ぎんぎんじょ」の話をしたいと思います。
肥前(佐賀)は戦国時代豪族の竜造寺氏が勢力を保っていました。その竜造寺氏の臣下に鍋島清房、伸昌の親子がおり、竜造寺氏の要となっていました。
竜造寺周家(ちかいえ)の妻の慶誾(けいぎん)は夫が戦死し、子の竜造寺隆信を跡継ぎとし、自分は妻を亡くしていた臣下の鍋島清房に再嫁し鍋島一族を竜造寺家から離れないように企てました。清房の子の伸昌の嫁に彦鶴を迎えました。伸昌の最初の嫁は敵対する大友氏に寝返った家の出であったため離縁していたため、若くして夫を亡くしていた彦鶴と縁組がされた訳です。まぁこの彦鶴はたいそう肝の据わった女性で「うわなり打ち」に対しても迎え撃たずに一人で対応した話が伝わっています。「うわなり打ち」とは離縁された前妻が親しい女人を語らって箒やすりこぎなどを手に後妻を襲撃して嫌がらせをすることです。この風習は平安時代からあったそうで戦国時代は特に盛んになっていたそうです。まぁこの一件に彦鶴は何も抵抗せずただ台所などが打ち壊されるのを見守り、女たちが荒らし終わったころに茶や菓子を出して接待したのです。それも3回も同じようにしたため前妻は涙を流して口惜しやと嘆いて立ち去ったそうです。この話を聞いた継母の慶誾は彦鶴に「うわなり打ち」をいたす女子は婚家を去らねばならなかった上に迎え撃たれもせずかつて己が使った台所を打ち壊すのは虚しいばかりだと言い、迎え撃ってやるのが女子の情だと叱り、これから心得ねばならぬことは「ぎんぎんじょ」じゃと言ったそうです。まぁこんな戦国時代の中での話に出て来た「ぎんぎんじょ」とはどんな意味があるのでしょうか?
「ぎんぎんじょ」は漢字で書くと「誾誾如」です。そしてこれは孔子の論語に出てくる言葉です。孔子が自分の弟子について記した言葉に
閔子弿(びんしけん)側に侍す。誾誾如也(ぎんぎんじょなり)子路、行行如也、子貢、侃侃如也(かんかんじょなり)
とあります。弟子の閔子弿は君子人で穏やかで慎み深い。子路は武骨で剛強だ。子貢は温和でいつもにこにこしていると言った意味です。
つまり誾誾如とは穏やかで慎み深いと言う意味です。なぁ慶誾尼は嫁の彦鶴におだやかで慎み深くあれと言いたかったのです。
まぁこの鍋島伸昌はのちに竜造寺家にとって代わり鍋島藩の元祖となる訳ですけど妻の彦鶴にはかなり面白い話がいくつかあります。まぁ最高の傑作は豊臣秀吉に名護屋城に呼び出された時のことでしょう。秀吉は朝鮮に出兵した時に唐津に名護屋城を作り、そこに出兵した大名の細君を呼び出す悪い癖があったようですが、彦鶴はそこで秀吉を大笑いさせる工夫をして何事もなく無事佐賀に戻ってきたのです。まぁ九州女の大胆不敵さを見せ付けた一件ですが継母の慶誾尼をも感心させたそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2024年08月24日 22時57分03秒 | Weblog
8月24日(土) 晴

 男のロマンは女のフマン

昨日御殿場の田舎から名古屋に戻りました。田舎での滞在中に高校の同級生たちとゴルフをしてきました。まぁ同級生たちはこの年齢になってもレギュラーティーでティーショットを打つほど元気な人たちばかり。まぁ名古屋では後期高齢者になるとゴールドティーで打つことが多いのでこちらはいつも圧倒されてしまいます。それといつもやるゴルフ場は自分には向いていないと言うか変なトラブルばかり起こります。今回もロストボールが2つもあって、ちょっとクシャクシャになってしまいました。最近自分の目が悪いこともあるけどOBではないところでボールが見つからないとなんかやる気がなくなってしまいます。まぁ暑くて体調的にも不十分だったけどあまり楽しくないゴルフでした。
まぁ前日田舎の畑で汗びっしょりになりながら畑を耕したり、茄子、ピーマン、トマト、鷹の爪などの収穫をしたりで慌ただしく過ごして疲れもピークでしたが。この暑い中で庭の百日紅だけは未だに元気に散っては咲き続けていました。

そして昨日は静岡が豪雨で東名の一部区間が通行止めと言うことで国道は大混雑。いつもより2時間も長く車に乗ることになり、しかも渋滞のため休憩もできず最悪の帰りになってしまいました。そんな訳で昨日は家に戻ってすぐに寝てしまいました。
ところで僕が過去を振り返りながらしみじみ思ったのは「男の浪漫は女の不満」と言うことかな。自分はヨットや山の話はしゃべりだすと長くなってしまう傾向にあるけど、それは最初はともかく女性にとってはどうでも良いことのようです。現実世界はあまり考えずに夢見る気持ちを持ち続けているのが男としたら女性は現実だけを見ている傾向にあるのかもしれないと思ったのです。まぁ異論もあると思うけど単なる一般論としてはある程度当たっているような気がしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2024年08月18日 22時53分46秒 | Weblog
8月18日(日) 晴

 ピアノコンサート

今日は暇にまかせて知立のピアノコンサートに行ってきました。たまたま知人の妹さんと姪御さん2人が出演すると言うことでチケットもいただいてしまいました。まぁちょっと厚かましくなってしまったかもしれませんが僕にとっては優雅な気分で楽しむことができました。演奏はプレリュードとエチュードと言うことでしたがまぁ前奏曲と練習曲と言うことでしょうか?まぁ作曲家はショパンとかドビュッシーとかガーシュウィンとかラフマニノフの名前は知っていたけど聞いたことは無い曲ばかりでしたがなんとなく作曲家の特徴のようなものは感じられてよかったです。それになんか演奏者の特徴のようなものがピアノの音に出てくるような感じがしました。まぁ一人の演奏者だけのコンサートではわからないことですが大勢の演奏者の音を聞いているとその人の特徴がなんとなく音に出てくる感じがわかります。優しさ、繊細さ、豪胆さなどの感じです。まぁ最近あまり音楽も聴かなくなってしまっていたので久しぶりに良い演奏が聴けて良かったです。
さて明日からは御殿場の田舎に行ってきます。今回は高校時代の同級生たちとのゴルフコンペに参加し、ついでに畑の様子を見てきます。暑くて草取りもあまりできずに結構荒れているかもしれません。まぁうまくいっていればナス、ピーマン、トマト、スイカが収穫できそうですがどうでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2024年08月14日 22時49分21秒 | Weblog
8月14日(水) 晴

 綾の鼓

相変わらず暑い日が続いています。たまには雨も降って欲しいものです。今日は汗びっしょりになりながらゴルフの練習に行ってきました。まぁ来週、御殿場の田舎で高校時代の仲間とゴルフをやる予定なのでちょっとうまく打てるのか確認の練習です。年齢と共にスコアは右肩下がりなのであまり良くはないのですが、ゴルフは好きなスポーツなので打てれば下手でも続けたい。まぁヨットがなくなって中々戸外で遊ぶことはできなくなったのでゴルフは唯一の楽しみなもです。
ところで今日は前回書いた葉室麟氏の小説「千鳥舞う」の中で出てくる「綾の鼓」の話で思ったことを書いてみます。
まぁ人は誰しも人生においてどうにもならない恋情抱いたり後悔をしたことがあるのではないでしょうか?そして白楽天の長恨歌の一節を夢見ることもあるでしょう。「天に在っては願わくは比翼の鳥と作(な)らん。 地に在っては願わくは連理の枝と為らん。」まぁそんなことを思ってもたいていの人は時と共に忘れてしまうでしょう。でもそうならずに一心に想い続ける人もいる訳です。綾の鼓を打ち続けた老人源太もその一人です。その昔斉明天皇が新羅との戦いのために出陣し、九州博多の朝倉と言う所に橘広庭の宮を造られ宴をしたと伝えられている。「綾の鼓」はここを舞台にした宮に仕える女御と庭掃除の老人源太の悲恋の哀話を題材とした謡曲なのです。老人源太がこの女御に恋焦がれていることを聞いた女御は綾絹の布でできた鼓を源太に渡し、その鼓で打ち鳴らした音が聞こえたら願いを聞いてあげると言ったのです。それを聞いて源太は毎日四六時中一心不乱に鼓を打つのですがいっこうに音がでることはありません。元々女御は「この恋は成らん(鳴らん)」と意味を込めたつもりでしたが源太は恋い慕うあまり鼓を打ち続けたのです。でもいっこうに鳴らないことに悲嘆して池に身を投げてしまった。と言う話です。その後女御も源太の霊に攻められて身を投げてしまうことになります。
まぁ人生にはどうにもならないことがあると言うことでしょうか。
葉室麟氏の小説にはこんな話を随所に入れながら小説を進めていくものが多いのです。まぁ登場人物の心情を和歌、漢詩、謡曲などを織り込んで表現すること多く、そんなところが自分は結構気に入っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2024年08月12日 23時28分07秒 | Weblog
8月12日(祝・月) 晴

 ラッコのカスタネット

今日は科学館でモノづくりのボランティアに参加。今日は「ラッコのカスタネット」と言うテーマの工作を子供たちとやってきました。牛乳パックを使ってラッコを作りペットボトルの蓋をお腹の部分と手の部分に付けて、打つとカスタネットになると言うものです。

ラッコの絵を描いて、切り抜いてお腹にペットボトルの蓋を入れて、両手を揃えてホチキスで留めて、ペットボトルの蓋に押し込んで、手の部分を押すとカスタネットになると言う工作でした。実はラッコにひげを付けるところが少々やっかいなのですがまぁみんな一生懸命親子でやってくれました。まぁ単純な工作ですが小さい子には結構気に入ってもらったようです。昔はどこの水族館にもいたラッコですが現在は日本には3匹しかいません。いずれラッコを見ることができなくなってしまうかもしれませんね。
さて今月の私の科学館でのボランティアは一応終了しました。もっとも来月には小学校の準備会や生涯学習センタなどの予定が入っていますがとりあえずしばらくはゆっくりできそうです。
ところで最近私は好きな葉室麟氏の時代小説を読み返しています。実は葉室麟氏の小説はほとんどすべて購入しているので暇つぶしに取り出しては読み返しているのです。彼の小説には武家社会を舞台にした名作が多いのですが芸術家の小説もいくつかあります。そしてこれらの中には女性を主人公にした小説も多々あります。中でも女流画家を主人公にした「千鳥舞う」は私のお気に入りの小説の一つです。簡単に紹介すると悲哀と苦悩の恋愛小説とでも言ったら良いかもしれません。この小説の中に出てくる白楽天の「長恨歌」の一節や世阿弥の謡曲「綾の鼓」の話などはなかなかです。機会があれば紹介したい話です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2024年08月08日 21時47分21秒 | Weblog
8月8日(木) 晴

 壁のぼりロボット

相変わらず暑い日が続きます。暑い日だからなのか、夏休みだからなのか今日も科学館は子供達で混雑しています。今日は午後から我々のボランティアグループで子供たちと科学工作を実施します。無償の工作なのであまり高価な材料は使えません。今回は「壁のぼりロボット」の工作を子供たちに作ってもらいました。

まず人形のロボットを作ってもらい、タコ糸を左右に引くことによってロボットが上昇していく遊びです。まぁ子供たちは目、鼻、口を書き、服をいろいろな色で塗るのに夢中で結構時間がかかってしまいましたが完成した人形がうまく登っていくと喜んでくれました。まぁ単純な工作ですがうまく登るための工夫が張り合わせた人形の中に仕込んだストローの付け方にあることを知ってもらえたと思います。
今年は小学校への出張授業に加えて、科学館で自主的に行っている工作のボランティアも多く実施しています。自分は7月に2回、8月も2回実施する予定です。次回は8月12日に牛乳パックでラッコを作ってもらう予定ですがさてどうなることやら。子供たちに楽しんでもらうことが一番なのですが、こちらも結構楽しんでいます。もっとも次々と来る子供たちに上手にできるようそれぞれの子供に合わせて教えていくのはその時は良いのですが終了して片付けをするころには結構疲れます。まぁ年のせいかもしれませんが?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2024年08月07日 21時59分51秒 | Weblog
8月7日(水) 晴

 老い行く者へ

昨日御殿場の田舎から名古屋に戻って来ました。今回は2泊3日と言う比較的短い滞在になりました。まぁ今年は御殿場でも毎日異常な暑さで結構大変なのです。名古屋では3LDKに3台の空調があるのでどの部屋に居ても涼しく過ごすことができますが田舎の家では部屋数は多いのですが空調は2台しかついていません。そのうちの1台は今ではほとんど使うことがない部屋なので実質1台と言うことになります。従って台所などには空調がないので扇風機を使いながら調理したりしていますが熱風がくるだけなのですぐに汗だらけになってしまいます。そんな訳であまり長居はできないことや畑に出てもすぐに全身汗びっしょりになって十分な作業ができません。まぁ年齢も高齢であるし。少々畑は荒れても無理をしないように注意しています。まぁその割にはナスやピーマン、トマトはたくさんできていて収穫するだけで結構大変なのです。もっとも留守中には弟に適当に収穫してもらっているのでお化けナスやピーマンはすくないのですが見落としで巨大化したナスやピーマンがありました。
田舎に居る時はほとんどレトルトの食事なので名古屋に戻って少しホッとしています。
以前昔のメモを見つけた話をしましたが、そこにはわかれゆく人へ、老い行く人へ、遠ざかって行く人へと言う短文がありました。その中から
老い行く人へ
春夏秋冬、季節のいとなみに同化するがよい
自然のいとなみに意志はない。
自分のあるがままを楽しんでいくことだ。
やがて遠い時空に戻るまで。
まぁこんなことが書かれていたけど春夏秋冬の季節がなくなりつつある現状に少し戸惑いを覚えています。
さて明日は科学館で子供達相手に科学工作を楽しんできます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2024年08月01日 16時24分33秒 | Weblog
8月1日(木) 晴

 柚子は9年で花が咲く

久しぶりのブログになりました。先週末は御殿場の田舎に行き家の補修工事に立ち合い、支払いを済ませて日曜には名古屋に戻りました。とにかく田舎も今年は暑くてどうにもなりません。特に今回は空調のある部屋の補修工事だったので扇風機で暑さを凌ごうとしましたが熱風を浴びる始末で大変でした。
まぁ今週は毎日病院通いになってしまいました。名古屋に滞在する時に予約を入れているのでどうしても集中してしまいます。まぁ今回は特に3週間前に熱中症になりかけた後遺症のようなものに悩まされていたので思い切って病院に行ったこともあって昼は暑い中を出歩き、夜は遅くまでオリンピックとちょっとハードになってしまいました。
そんな中で昔読んでいた本を読み返しています。「柚子は9年で花が咲く」とは言葉通りのことですが、一般には桃栗3年柿8年のあとに続く言葉です。葉室麟氏の「柚子の花咲く」と言う小説があります。簡単に言えば師を慕い尊敬した子供たちが大きくなって師の汚名を晴らすと言った小説です。その中で師がどんな教育をしていたのかと言えば「徳は孤ならず、必ず隣有り」と言った孔子の教えだったような気がします。まぁ簡単に言えば己の信じた正しい道をまっすぐに生きていれば孤独ではない。必ず手を差し伸べてくれる人がいる。と言ったことでしょう。あまりへつらいもせず不器用な生き方でも必ず見ていてくれる人がいて支えてくれる仲間ができるものです。師とは人を良く見て是は是、非は非として真正面から向き合い、じっくり人を育てることではないでしょうか?まぁ昨今のいじめ問題等をみているとそんな熱血教師は存在し得ないのかもしれません。残念ながら真正面から向き合うと問題にされる世の中になってしまったとも言えるし、真正面から向き合うことを避ける人が多くなったとも言える。まぁいずれにしても現代の教育と言うのは難しい問題になっているように思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする