12月27日(日) 晴
今年もあとわずか。明日からは御殿場の田舎に行くつもりです。母がホームに入所したので今年は行かなくても・・・と思いたいところですが、田舎の町内会の支払いや新年のお寺さんへの挨拶やらを母に代わってやらねばなりません。まぁ田舎の近所の事故当事者とは口も聞きたくない程、頭にきていることもあるのですが・・・。大げさに騒がれたおかげでこちらは大変なことになっているのですが・・・困った人達です。
振り返れば浮き沈み極大の一年だったかな
今年は1月に母が圧迫骨折して病院通いからホームにロングのショートステイの交渉と走り回り、落ち着いく間もなく叔父が亡くなり、ドタバタの正月になってしまいました。2月は少し平穏を取り戻し、3月にはヨットの整備やら四国一周城巡りで楽しみ、4月は南ドイツを巡り最高潮に達したものの中部国際空港に着くや叔母の訃報に接し、旅の疲れを癒す間もなく御殿場に行くことになりました。5月に入ると田舎で野菜の植え付けを終え中旬には名古屋から茶摘みに来てもらい賑やかになったものの5月末には子供の頃一番お世話になった伯母が亡くなり悲しみも味わったわけです。6月は姪の結婚式で華やかさを取り戻し、7月は千葉で東京時代の仲間とゴルフをし、帰ると御殿場の田舎に三重時代の女性陣が遊びに来てくれてまたまた最高潮になりました。その後もいろいろな方達がヨットに遊びに来ていただき7月、8月、9月と夏を満喫できました。きゅうりもなすもスイカもズッキーニも順調に収穫でき少しはお裾分けもできたかと思います。ところが10月になると母の救急搬送、入院、手術でまた田舎にいて病院に毎日様子伺いに行くことになってしまいました。母の不測の事態にも備える準備までしました。途中一度名古屋での太極拳発表会に戻りましたが、母の退院まで田舎暮らし。その間シルバーさんにやってもらえなかった屋敷脇の土手の草刈りをしたのが原因となってツツガムシ病を発症し、39℃の高熱にうなされやっとのことで名古屋に戻り、11月上旬まで寝たきりでした。病が回復すると宝塚観劇に始まり、岡山吉備路の旅、天空の城竹田城ツアーと大いに楽しんで最後はヨットの納会で大いに盛り上がりました。12月に入るとまたもや田舎の急坂で事故を起こし人生最悪の事態に陥りました。まぁ今年はなんと良かったり悪かったりの多い年だったのか自分でも不思議なくらい浮いたり沈んだりしました。そして一年を積分すれば結局の所一定と言うことなんでしょうけど、もう来年はもう少し浮き沈みの少ない年であってほしいものです。
ここまで書いて気付いたこと。御殿場の田舎は恐い。40数年ぶりの田舎では見知らぬ人ばかりの中で一人で暮らすことの恐さを思い知らされたと言えます。くやしいけど難民に国を占領されてしまった心境かも。まぁ母がいる限り生活パターンを変えることもできないけど、来年は新幹線を使うことが多くなりそうです。とりあえず明日からは車で行くことになりますが早めに帰って来ることにします。