”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2016年01月30日 14時34分28秒 | Weblog

1月30日(土) 雨のち晴

やっと上橋菜穂子さんの「獣の奏者」4巻を読み終えた。哀しい(決して悲しいではない)物語だった。王獣を戦に使わなければならない哀しみが、人と言う獣の悲しい性とダブって二重の哀しみに包まれた感じでした。緑色の目をした少女エリンが王獣の使い手(奏者)としていく宿命と最後に解き明かされる謎と止められなかった結末にどうしようもない哀しみと言うかやるせなさが残った。この物語は母との壮絶な死別により孤児となったエリンを優しく育てていく蜂飼いのジョウンとの話がなかったとしたら面白くもなかったかもしれない。子供の時にジョウンと過ごして行く中で知り得た蜂と言う虫の生態から王獣と言う獣の生態、闘蛇と言う獣の生態の謎を解明していくところはある意味で科学者のあるべき姿を彷彿させる。ファンタジーとしての面白さとその中に人と言う獣の性を考えさせるような哀しみが大人にも十分面白くさせている気がする。
この一週間は寒くて外に出る気もなかったので、何の役にも立たない本をたくさん読んだような気がする。時間を持て余していた若い頃は推理小説やSF小説の乱読だったのが、そのうち仕事が忙しくなり時間があまりなかったのでエッセイ中心の読書になっていた。それが暇になった現在はシリーズものの小説を読むことが多くなっている。まぁまったく生産性のない本ばかりなのであるが今は心に余裕を持たせるタイミングなのだと思うしかない。無用の用と言うこともあるからそれで良いことにしよう。

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しんさんのよもやま話

2016年01月27日 23時42分42秒 | Weblog

1月27日(水) 晴

昨日は少し暖かくなったのでかねてより見たかった映画「シーズンズ」を見に出かけました。観客は少なく、少々期待外れでしたが、まぁ2万年前に氷河期が終わり寒さに耐えた生き物がどのように生き抜いてきたかを実写映像で表現するものでしたが、少々無理があったような気がします。また迫力に欠ける点やナレーターが釣瓶さんの大阪弁と言うのもちょっと場違いな感じでした。
ただ氷河期が終わり人類が農耕生活をするまでの1万年以上の間はそれぞれのテリトリーで自由に生きて来た動物達が森を開墾され住む場所を追われ始める頃から生態系に変化が起こり、環境に適合する生き物と適合できなかった生き物の変化の語りには考えさせられました。氷河期が終わってこの2万年のうち高々数千年の間に人類によって地球環境は激変してしまったことはほんとうに良かったのかどうか疑問でもあります。おかげで我々は快適な暮らしの恩恵を受けているのですが。



機事・機心の故事ではありませんが、あまり便利な道具に頼り過ぎて機械に振り回されることがないようにすべきだと言う警告なのかもしれません。人類があまりにも機械に頼り過ぎて恐怖心を忘れ、安穏としすぎたら、それは滅亡を招くことになるような気がします。

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しんさんのよもやま話

2016年01月25日 16時40分51秒 | Weblog

1月25日(月) 雪のち晴

この冬一番の寒さと言うか観測史上最大の寒波が襲来と言うことで、九州方面では大雪となったようですがここ名古屋では大雪にならず一安心。でも寒さはとてつもなく寒い。暖冬と言われ確かに例年より暖かかったのが大寒を過ぎる頃から本当に大寒になってしまうのですから自然の力には人智の及ばないところがあるんですね。そしてこの寒波が週末には一転して春の陽気になるとのことです。寒さと暑さの振幅がどんどん大きくなっているような感じですが、一体この地球にどんな変化が起ころうとしているのか気になるところです。地球の40億年の歴史には数々の気象変動が起こって絶滅した生物もあれば、進化した生物もある訳ですが我々人間は高々数万年の生物(類人猿も含めれば数100万年)ですからまぁわかるはずもないことです。人間の寿命から考えればわからないことですが宇宙時間で考えたら、この地球に氷河期が来るかもしれないし、はたまた温暖化が進むのかもしれません。杞憂と言われるかもしれませんが我々も極限の中で生きて行く術をそれぞれが身に付けて行くことも必要のような気がします。それは仮に我々の世代には起こらないかもしれませんが、いずれ起こることです。自分は結局生き残るのは原始的生活をしている者ではないかと考えています。と言うか原始的技術を持っている者しか生き残れないと考えています。そのために人間が機械に頼らず人力でできる衣食住の技術を継承していくことが大切なのかもしれません。自分は現在城巡りなどしていますが、城の石垣を見たり、清水の舞台を見て重機もない時代にどのようにして考えどのようにしてできたのか不思議に思うことが多々あります。ひょっとすると我々現代人は荘子の言う「機械あるものは必ず機事あり・・・」に陥っているのかもしれません。
余計な話でした。

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しんさんのよもやま話

2016年01月23日 15時57分22秒 | Weblog

1月23日(土) 曇

寒に入り、寒さが厳しくなってきました。当分の間冬籠りとなりそうです。毎年のことながらこの時期はバイオリズムは最低、世を憂うことはあっても、世を楽しんだことはない。他にすることがないので本はよく読む。名前が同じことからある幕末の志士の生涯を葉室麟の著作で読み直した。若い頃に(確か童門冬二の著作だったと思ったが)読んだ時とずいぶん異なった感想を持つことになった。史実は同じと言えばそのとおりであるが人としての情緒、感情の描写が「春風伝」の方が自分には良かった。また周囲の仲間に理解してもらえない苦悩を抱えながら信じる道を突き進んで行く姿とそれを影になり支えてくれる周布政之助、彼の人となりを理解し最後まで付き従った井上聞多や伊藤俊輔などなど周囲の隣人にも好感を持つことができた。多分に創作的要素も入っていたと思うが所詮は歴史なのであるから許されるのであろう。
あっという間に600ページを読み終わってしまったので、これまた昔読んだことのある「カモメのジョナサン」を完結編が揃った文庫本で読んでみた。まぁ以前も今回もなぜこの本があの当時ベストセラーになったのか自分にはよくわからなかった。でもあの当時は限界に挑むジョナサンが自分にふさわしいと同名のヨットチームに所属していた。もう着ることもないが背中に Jonathan と書かれたユニホームは今も大切に保管してある。ところでカモメのジョナサンを読んでいるとなぜか星の王子様を思い出したり、金子みすずの詩を思い出したりする。何かうまく言葉では言えない心に残るフレーズが散りばめられているような気がする。
たとえば

それは目にみえる形をとった、きみたちの思考そのものにすぎない。思考の鎖を断つのだ。そうすれば肉体の鎖も断つことになる・・・。

あるいは

憎しみや悪意を愛せないのは当然だ。きみはみずからをきたえ、そしてカモメ本来の姿、つまりそれぞれの中にある良いものを発見するようにつとめなくちゃならん。彼らが自分自身を見い出す手助けをするのだ。わたしの言う愛とはそういうことなんだ。

と言ったフレーズは心に響く。もう一つ自分の気に入ったフレーズを

・・・彼らもみんな特別、才能に恵まれたカモメかね?きみたちと同なんだ。わたしとも同じだ。ひとつ違うのは、たったひとつだけ違っているのは、彼らは本当の自分と言うものを理解しはじめていて、そのための練習を・・・・

我々は日々生活の中でたくさんの心に響くフレーズを多分聞いていることと思う。でもすぐに忘れてしまうのも自分を含めて大多数だと思う。まぁそれで良いのだと言い聞かせている。なぜなら同じことでも忘れる分だけ多く心に響くことになるのだから。こうして日が暮れて行くのもまた楽しからずやと思わなくては。

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しんさんのよもやま話(田舎暮らし編16-01)

2016年01月22日 10時03分51秒 | 趣味

1月22日(金) 晴

昨日田舎から帰って来ました。御殿場の田舎は月曜日に大雪。そして水曜日には名古屋でも雪が。名古屋は木曜日にはほとんどの雪が消えていましたが田舎ではそうはいきません。4日経ってもまだ雪がいっぱい残っています。結構重たい雪だったようで田舎の家では大変です。
畑の横に作った温室の骨組みが倒壊してしまいました。まぁ誰にも怒ることもできず泣き寝入りです。今年も正月から厳しい試練の年となってしまいました。見て下さいこの哀れな温室を。



そればかりではありません。庭木の百日紅、ヤツデ、木槿なども何本かの枝が倒壊、畑は雪が溶けずに玉ねぎ100本近くが雪で見ることもできません。



キヌサヤも冬の暖かさで成長しすぎていたので多分雪をかぶってダメになりそうです。何年経っても農作業はうまくいかないのが自分の宿命なのかもしれません。



キヌサヤの凍った雪を素手で取り除き始めたけど冷たくて指先は凍傷ぎみになったので途中であきらめました。温室の方の雪もすべて取り除いたけれど、下の玉ねぎは雪をかぶって多分こちらもダメにしてしまったようです。今年は場所を変えて計200本以上玉ねぎを植えていたけれどいったい何本生き残るのかなぁ?去年の雪では1割ぐらいしか生き残らなかったけど果たして・・・。キヌサヤは去年はそれでも結構たくさん生ったけどほとんどが種になってしまったので・・・。
まぁ毎年のことだけど自然と言うヤツは人智の上を行くヤツなので人類は何百万年も前からじっと我慢するしかない訳でしかたないことです。でも雪の富士山は美しい姿で慰めてくれるようでした。



これから更に寒くなるとの予報です。田舎での一人寝は寒くて食事を作ったり、洗い物をするのが大変なので少し暖かさが戻るまで名古屋で冬眠することにしますが、こちらも居場所を確保するのが大変です。どこか無給で雇ってくれるところが欲しい気分です。まぁこうして年を重ねて行き最後はジタバタから悟りの境地ができるのかもしれませんが・・・。

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しんさんのよもやま話(ウォーキング16-02)清水寺

2016年01月17日 12時37分35秒 | 趣味

1月17日(日) 晴

今日は一昨日の京都ウォーキングの続きです。今回のウォーキングの目的は二条城でしたが、もう一つ清水寺の舞台に立ちたかったことです。実は京都は何回も行っているのですが一番の観光スポットと言われる清水寺周辺だけは行ったことがなかった訳です。今回は京都在住の友人(東京勤務時代の仕事仲間)が案内をしてくれると言うことで事前準備はまったくなしで行った訳ですが京都の良さを存分に味わうことができました。吉田兼好の言葉に「・・・先達はあらまほしき事なり」と言うのがあったと思うがまさに実感できた日でした。

さて二条城で昼近くになってしまいましたが、昼食はとらずに行っても大丈夫だからと言う友人の言葉の意味もわからず地下鉄に乗り込み東山駅で降りた。ここからはずっと歩きだけど大丈夫かと聞かれるがもちろんと答える。
円山公園の中を通り抜け、高台寺(高台院通称北の政所、ねねが豊臣秀吉の冥福を祈り創建した寺)に寄り、ねねが通ったと言われる石塀小路を歩く。狭くて石畳と木の塀だけ小路だが風情があって良い。



ここから土産物屋が狭い坂道に立ち並ぶ二寧坂(通称二年坂)、産寧坂(通称三年坂)に入る。転んだら大変と言われているがゆっくり冬日を浴びてのウォーキングなので心配無用。途中で少し下って八坂の塔を見る。京都の写真には必ず出て来るビューポイントである。それでは二寧坂、八坂の塔を続けてご覧下さい。二寧坂と書いてあるでしょう!



おなじみの八坂の塔。八坂とは言うものの八坂神社とは違う寺なのです。



少し戻って産寧坂(三年坂)に入る。続いて清水寺の参道、どこも土産物屋ばかり、とにかく生八つ橋の試食をしてくれと差し出される。一軒目、二軒目、三軒目とにかく種類が多くそれぞれをいただきながらお茶を薦められ、もう食べれなくなった所で友人曰く、なぁ昼飯食べなくてよかったやろ。確かに。
写真は三寧坂



やっと音羽山清水寺の入り口に。



清水寺の本尊は千手千眼十一面観音菩薩。お参りを済ませ舞台に立つ。想像していた以上に高い。4階建てのビルの屋上にいる高さだそうだ。舞台から境内をぐるっと一回り。清水の舞台と京都市街を見下ろすここは絶景かな。



この舞台を支えている木は楡だそうだけど、これを留め具も無しに組んだ作りはすごいと言わざるを得ない。現代人はすぐに便利な物を使ってしまうが、現代の我々に作れと言われても仕組みもわからないではないか。現在ではわずかの宮大工しか知らない技であろうがこれから先もずっと残ってほしい技術と思う。重機もない江戸時代によくぞ作ったものだと言わざるを得ない。城巡りをしている自分は毎回こんな建造物のすごさに感服しながら人類の発展を支えた技術に敬服しているのである。
こちらは子安の塔から見た清水の舞台。う~んすごいね!桜の咲く頃はさぞかし良いだろう。



みたらしだんご屋を見たら急に食べたくなって一休み。美味しい!
清水からは茶碗坂を下って五条大橋方向に向かう。さすがに茶碗坂を登って来る人は少ないようだ。



あの牛若丸と弁慶の話を思い出しながら五条大橋を横目に鴨川に沿って南下する。友人によると何でも鴨川を渡る橋はすべて〇〇大橋と呼ぶのだそうだ。そして高瀬川を渡る橋は〇〇小橋と言うそうだ。
それから少し行くと方広寺と豊國神社に着く。大阪の陣の発端となったあの方広寺の梵鐘だ。この梵鐘に刻まれた言葉が豊臣家を滅亡に追いやったかと思うとなんか寂しくなる。まぁ言い掛かりのようにも感じるけど言葉遣いと言うものは恐いものだ。



「国家安康」「君臣豊楽」この言葉は国家安康が家康を分断している。君臣豊楽は豊臣を君主とし、徳川を冒瀆していると言うことから大坂の陣となるのだから歴史と言うのはいつ何が起こるのか不思議なもの。だから興味があることも事実。この横に唯一残る豊臣秀吉を祀った豊国神社がある。そして道を挟んで耳塚公園。朝鮮出兵で敵である明や朝鮮人の耳や鼻を削いで戦果として持ち帰ったと言われる耳塚がある。まぁ酷いことをしたものだと通り過ぎるだけにした。
更に歩いて三十三間堂に出る。もう日が陰り始めている。中には入らず京都駅に向かうことにする。



七条大橋を渡って京都駅に向かう。やや足が重いしお腹が空いた。京都駅近くのレストラン街に入り友人とビールで乾杯。ほっけの塩焼き、イカの一夜干し、つくね、・・・東京勤務時代の話やら当時の仲間達の動向やら話は尽きない。おまけに僕の城巡りにも一言。ただスタンプを集めるだけが能じゃない!そんなことわかってる。同じことを考えているのになぜかスタンプを押して回っているのが気に入らないらしい。まぁ大したことではないけど25年前はよくこんなことで浜松町の居酒屋で言い合っていたなと思い出す。何年経っても友は昔のまま。自分も昔のままなのかもしれない。酔っ払いながら京都駅で友人と再会を誓い新幹線に乗った。かなり歩いたので眠いが寝たら大変。とにかく寝ずに家路に着くことができた。
さぁ大変だ。俳句ができていない。

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しんさんのよもやま話(ウォーキング16-02)二条城

2016年01月16日 10時12分17秒 | Weblog

1月15日(金) 晴

前夜飲み過ぎで体調最悪であったが、とにかく京都の友人との待ち合わせに間に合わせるべく早朝から身支度、100名城資料を揃えて新幹線に飛び乗った。京都駅で無事友人と合流し、市バスで二条城に向かう。自分が100名城を巡り始めてから京都は案内すると言っていた友人は既に京都のテレビ局が作成した二条城の紹介DVDやらを用意してくれていた。5年ぶりぐらいに会った懐かしい友は相変わらず元気のようだ。バスの中から人目も気にせず近況を話しながらあっという間に最初の目的地、二条城に到着。
二条城は徳川家康が京都の守護と京都に滞在する時の宿泊所として構築された城であり、その後徳川家光によって改装改築された城である。高校の修学旅行で一度来たことがある城ですが、50年近く前の話なので唐門ぐらいしか記憶になかったのであるが今回改めてゆっくり見学することができた。京都の市街地の真ん中にこんなに広い敷地の城があること自体驚きである。

ここは二条城の入り口となる唐門。外国人観光客ばかりで切れ目がなくいくら待っても人物が入ってしまう。何とか唐門の前の人が写らない写真が取れました。



中に入ると二の丸御殿。ここは日本の書院建築の極致と言われ国宝である。御殿内は撮影禁止なのでとりあえず二の丸御殿全景を。二の丸御殿内を友人の解説を聞きながら歩く。一人で歩くのと異なり、自分だけならさっと通り過ぎてしまうところも彼の感想を交えた話でより詳しく見ることができたような気がする。御殿内の各居室の襖絵は狩野派の画人達によるものであるが部屋毎に同じ襖絵であってもずいぶん違うようだ。たとえば諸大名の控えの間である遠侍には威圧的で猛々しい虎の絵が、大広間が将軍を謁見する間には緊張を促すような松と鷹が、譜代大名等親藩の大名が将軍などと内輪の対面する黒書院には穏やかでやさしい松や桜が、将軍の居間となる城書院には心落ち着く山水画が、と言った具合にそれぞれの間の役割に応じた襖絵が描かれている。これは友人の解説であったがなるほど確かにと思える。こんな具合に居室を見て回るのだがとにかく広い。大政奉還をした時にはここで在京の諸大名の重臣を集めたと言われているがこの大広間の広いこと。これでは末席の諸大名・重臣には徳川慶喜の表情なんか絶対にわからないだろうと思う。さすがに世界遺産だけのことはある。



二の丸御殿を出て、二の丸御殿の庭を通って本丸御殿に向かうのであるがこの庭も広い。小堀遠州の作と言われるこの庭園は二の丸御殿の大広間、黒書院などの各部屋から眺められるように工夫されているようです。ただ残念なのは本丸へ向かう通路以外は立ち入り禁止のためゆっくり見ることはできない。写真は二の丸御殿の庭園、池泉回遊式で中々全体を撮るのは難しい。写真左の蓬莱島が大き過ぎて通路からは全体が見えないのである。



二の丸御殿の奥には内堀を渡ると本丸御殿がある。こちらは江戸時代の市中大火により焼失して、明治になって京都御苑にあった桂宮を移築したものである。宮御殿の遺構としてはこちらは完全な形で残っているようであるが非公開のため、中に入ることができないので御殿の写真だけ。



本丸御殿の奥には5層の天守閣があったのであるが、江戸時代の雷火により焼失して現在は天守台の石垣が残るのみである。天守閣も全国各地の城と同じような大きさだったと思われるが御殿が大きいのでなんだか小さく感じます。
その後本丸の内堀から出て城の外周を友人と昔話に花を咲かせながら歩く。途中江戸初期の豪商、角倉了以の屋敷の建物の一部や庭石を譲り受け、茶室を加えて昭和になって作られた清流園や工事中の展示・収蔵館を通り休息所で一休み。
2時間かかってやっと外堀を出たら既に12時近くになっていました。写真は外堀の西南に位置する隅櫓です。



さて二条城を後に次は今回のもう一つの目的である清水寺方面に向かいます。既に友人がウォーキングのプランを考えてくれていたので昼食抜きで歩くことに。彼のプランは京都らしいところを歩くと言うことで京都を味あわせていただきましたがこの続きはまた別途にします。

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しんさんのよもやま話(ゴルフ編16-01)

2016年01月12日 23時11分09秒 | 趣味

1月12日(火) 晴のち曇

冬にしては暖かいのでしょうけど、やっぱり冬は寒いですよ。着だるまになって今年の初打ちに臨んだのですが結果は予想以上に悪かったみたい。とにかくバンカーに入る度に2回以上打たないと出ないと言ったバンカー恐怖症になってしまいました。それ以外はそんなに悪くはなかったのですが困ったものです。前半は1回しかバンカーにつかまらなかったので何とかダボペースで納まりましたが、後半はなぜか3ホールもバンカーにつかまり1発ですべて出ず、おまけに出てもグリーンに乗らず散々な目にあってしまいました。こんな日もあるもんなんですね。心の中まで寒くなってしまいました。毎年この時期はスコアが悪いのはわかっていることですが、今年はほとんどがバンカーだけで大叩きでした。何と言っても1つのホールで4回目にやっとバンカーから出たのはゴルフを始めて多分初めての経験だと思います。まぁ今年も大変なことになりそうです。ゴルフもそろそろ潮時が近づいているのかもしれません。アウトドア指向の自分にとって老いると言うことは何も無くしてしまうようでちょっと心配です。

と言うことで今日は諸葛孔明の言葉を胸に刻んで寝ようと思います。

君子の行は静以て身を修め、倹以て徳を養う。澹泊(たんぱく)に非ずんば以て志を明らかにすることなし。寧静(ねいせい)に非ずんば以て遠きを致(きわ)むるなし。

意味は何となくわかると思いますので省略。

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しんさんのよもやま話(太極拳16-01)

2016年01月11日 20時12分16秒 | 趣味

1月11日(祝・月) 晴時々曇

今日は太極拳同好会の初稽古。そのわりには出席者が少なくてちょっとさみしい初稽古となりました。太極拳に通い始めてもうすぐ1年ですが中々上達したとは言えない状況です。ただなんとなく24式は出来るようになった気がします。今日は新メンバーが一人入会しました。これで自分も3番目の新人ですが、あとから入って来た人はものすごい熱心な人だったり、今回は違う流派をやっていた人のようで自分のようにまったくのド素人は入会してこないようです。もう少しほんとうの初心者が入会して来ないとこの同好会も存続が危ぶまれるような気がしています。

さて今日は祝日のためいつもの居酒屋はお休みでしたが、松坂屋の東側広場で名古屋中国春節祭をやっていると言うことで寄って来ました。たくさんの屋台が出ていろいろ販売していましたが今回はパスしました。どうも中国的な屋台を見ると食べたくなるものもあるのですが、過去の中国旅行のトラウマでちょっと心配になりステージの出し物を見るだけにしておきました。明日は元の会社のOB会ゴルフコンペなので。
在日の中国のご婦人方の合唱は何を言っているのかはわかりませんが中々良かったですよ。



ところで自分は最近暇にまかせて読書三昧の毎日です。昨年お気に入りだったTVドラマ下町ロケットはすべて原文を読み終わり、今は「蒙求」を読み出しました。蒙求(もうぎゅう)は1300年ほど前に中国で書かれた書物です。当時の中国の教育に使われていたもので、その内容は故事成語として世間に知られるようになりました。日本でも鎌倉時代に伝わり、江戸時代には教育にも使われていたようです。現代では故事成語は知っていても蒙求は知らない人が多いとは思いますが、実は夏目漱石が少年時代に愛読していたようで、彼の俳句には漢詩とともによく使われています。自分も夏目漱石の俳句を理解しようと蒙求を読み始めた訳ですが、こちらは古代中国の歴史上の人物の言行美悪を取りあげて四字句で韻語の体裁をとるため中々骨があります。「挽歌」、「伯仲」「覆水」などなど故事の原点ここにありと言ったところですかね。
さぁ明日はゴルフ、まぁ寒くてあまり気乗りはしないけど・・・。

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しんさんのよもやま話

2016年01月10日 17時47分47秒 | Weblog

1月10日(日) 晴

久しぶりにゴルフの練習場に行く。たまたま以前使っていたゴルフ練習場のプリペードカードに残球が結構あったので行った訳です。半年ぶりの練習場は冬と言うのにこの暖かさのせいか駐車場が満杯。最近たまに練習したところでうまくなる訳でもないし、年齢と共に飛距離が落ちるのを実感するだけなのでいつもぶっつけ本番なのである。昔のように今度こそはとか良いスコアを出すぞとか言った気持ちもあまり起こらないし、まぁ暇つぶし程度になってしまった。明後日には元の会社のOB会コンペに参加することになっているけど多分あまり良いスコアは期待できそうもない。ただブービーメーカーにだけはなりたくないのでちょっと練習場でスイングチェックをしたまでのこと。この冬の寒い時期と言うのはゴルフ好きで巧い人ばかり参加するのが常なのでどうなることやら。

 窮して困(くる)しまず、憂えて心衰えず 禍福終始を知って惑わず(荀子)

と行きたいものであるが中々難しいものである。

(注)荀子は春秋戦国時代末期(紀元前300年頃)の儒家です。荀子の弟子には秦の始皇帝の宰相、李斯(りし)や法家の韓非(かんび)がいます。

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