”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(09-26)

2009年12月29日 21時14分56秒 | Weblog
12月29日(火)晴

今年最後のゴルフに行ってきました。そして今年最後のブログです。

天気も良く風もあまりなくて冬のゴルフとしては申し分ない日和でした。それなのにスコアは全然ダメでした。ドライバーはOBもなくまずまずでしたがアプローチとパットが最悪でした。アプローチは距離感が一つも合わずにショートとオーバーを繰り返すし、パットは3パットが6つ、4パットが一つで1パットはゼロと言うスコアがまとまらないパターンに陥ってしまいました。パーが1つ、ボギーが4つだけなのにトリ以上が8つもあってはどうにもなりませんでした。オリンピックは一つも取れず久しぶりにいっぱい取られてしまいました。そしてスコアは115も叩いてしまいました。

冬のゴルフはむずかしいと言われますが、それ以上にグリーンの傾斜が強く、初めてのコースではまったくわかりません。おまけに2段グリーンではほとんどピンと逆につけてしまい3パットを繰り返すありさまでした。他のメンバーもほとんど3桁だったのでグリーンがむずかしかったのでしょう。今回は恵那の明智ゴルフ倶楽部ひるかわゴルフ場でしたけど、このゴルフ場は多分夏でも涼しそうな山の上にあります。こんな寒い時でなく暖かい時に来たいものです。でも多分そう言う季節には料金もきっと高いのでしょう。食事もドリンクも付いて1万円もしないのですから何も文句を言えません。麓は天竜川の鉄橋から視る景色も良いし、栗きんとんの川上屋もあってなかなか良い所です。恵那峡も近くにあるようなので、多分ドライブで来たら楽しめそうです。今年は毎回初めてのゴルフ場が多くて、どこに打ったらいいのかわからずにやっていましたが、その中で4回も100を切ったのだからまずまず楽しんだと思います。来年は5回以上を目指します。

ところで今年は今日が最終回になります。今年一年ブログを読んでくださった方々に深く御礼申し上げます。一週間で1500PVを越えるアクセスをいただいたことが続けていく大きな励みになりました。ほんとにどうもありがとうございました。
明日から静岡の田舎で正月を迎えます。来年は多分1月3日に再開する予定なので、来年もよろしくお願いします。皆様にとって来年もよい年でありますようお祈り申し上げます。
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しんさんのよもやま話

2009年12月28日 20時37分33秒 | Weblog
12月28日(月)曇のち晴

今日で今年も仕事納めです。もっともいつの間にか仕事納めと言う気分にはならなくなっています。古いヤツと言われるかもしれませんが早めに仕事を切り上げて、わずかなつまみとビールで一年のけじめを付けた時代がいつの頃からなくなってしまったのかわかりませんが、機械のごとく淡々と仕事を終えまた来年と言うだけになってしまったような気がします。まぁ自分も今更一人気を吐いたところでしかたない話ですし、大したこともしていないので人に言うほど権限もありません。

そんな訳で淡々と今年の仕事も終わり、多分来年も淡々と仕事に入ることでしょう。年金はまだもらえないので働かなければと思いつつも、来年は自分自身のチェンジをすることになりそうです。まぁ自然体であるものを受け入れながら水の如く処していくだけです。

ところで明日は今年最後のゴルフコンペに行ってきます。寒いので好スコアは期待できませんが、せめて10Xではラウンドしたいと思います。明後日は静岡の田舎に帰ります。今年も自分で年越そばを打ちます。そろそろ自分でいろいろなものを作ったりしてスローライフに備えようとしています。決して田舎に広大な土地がある訳ではありませんが自分達が食べるものを作るぐらいの土地はあるので、これからは自給自足的な生活に慣れなくてはなりませんが、かなり不安です。40年以上も田舎を離れて暮らしてきた人間が馴染めるのか最近特に考えてしまいます。

明日の支度があるので今日はこの辺で。

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しんさんのよもやま話

2009年12月27日 20時19分49秒 | Weblog
12月27日(日)晴?

昨日の夜から今日の夕方までコタツで年賀状書きでした。もちろん睡眠も食事も取っていますが、ずっと同じ姿勢で書いていると腰が痛くなり、体のあちこちが動きにくくなるのは年を取ったせいなのでしょうか?昨年もらった賀状から喪中挨拶のあったものを除き、一人ひとり思い浮かべながら書いていきますが、中々筆が進みません。それでも153枚書きました。ちょっと整理が悪いので全部書いた訳ではありません。住所が変わっているはずの人や疎遠になっている人などは、年賀状をもらってから書こうと思い少し楽をしました。僕は年賀状を書き始めてからずっと自筆でコメントを書くことにしています。印刷だけで宛名だけのものが多いのですが、少しでも心を伝えたいと思ってやっていることですが、これが結構大変です。だんだん手抜きになって来ていますがそれでも必ず自筆の一文は書くようにしています。別に誰も気にする訳でも無いのですがバカな性分です。

そんな訳でちょっと疲れています。ほんとうはまだまだ出したい人もいるのですが、住所を調べて書く気力もなくなっているので最近は去年来たものだけに書いています。それも少し省略して。でもありがたいことに年齢とともにだんだん少なくなってきたので毎年少しずつ楽になってきています。そのうち仕事をやめたら半減するのかもしれません。まぁ人間の付き合いなどはその程度のものだと思います。

さてところで今日はおいしい日本酒の話です。実は昨日、知り合いの蔵元から頼んであった「あらっぱしり」と言う生酒が届きました。19度と日本酒としては強い酒です。10日間しかもたない酒で年に2回しか発売されません。かなり切れ味するどいいい酒です。酒の苦手な人はちょっとフルーツで割るといいかもしれません。6本も買ってしまったので2本を家に置き、今日1本はお世話になっている人にあげたので、残りの3本を今年最後のゴルフに持って行くつもりです。

実はこの蔵元の社長さんには僕が三重に勤務していた当時、大変お世話になった方で、ヨットが趣味の方です。当時ヨットを乗りに五ヶ所湾の志摩ヨットハーバーまで行っていたのですが、その蔵元の社長さんがハーバーの理事さんでご自身でもセーリングクルーザーを所有しており、レンタルヨットもメンバー扱いにしていただきました。おかげで一日2000円でディンギーを借りたり、所有している船に乗せていただいたりして大変お世話になりました。当時はまだディンギーしか乗っていなかったのですが、ここでの体験が元になり、セーリングクルーザーを乗るようになったのです。そう言う意味で現在のように船を持つようになった恩人ともいえる方です。
たまたま、今年はその社長さんに蔵開きに招待していただいたのですが、所要で行けなかったのですが、暮の25日に「あらっぱしり」を販売する連絡を受け購入することになりました。

もう来年の晩秋までない酒だそうですが、もし来年飲んでみたい方は三重県の久居にある油正さんと言う蔵元なので訪ねてみてください。三重の酒は伊賀とよく言われますがどうして久居には2軒も蔵元があります。もう一軒の社長さんともロータリークラブで昔知り合いでしたので蔵の見学などさせていただいた覚えがあります。ただ僕はあまりお酒が強くないので、味見はできますがたくさん飲めません。したがっておいしい酒を少しだけ飲むのが好みです。たくさん飲まれる方はもったないのでワンカップ大関の方がいいと思います。

それではまた。
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しんさんのよもやま話

2009年12月26日 17時31分46秒 | Weblog
12月26日(土)晴後曇

改めて昨日の話を思い出しながら書いています。でも多分昨日と同じ文章にはなりません。僕の場合一気に書いてしまうのでその時の気分によって言い方がかなり変わってしまいます。昨日の夕方に仕事上の先輩方が3人来ていただいたのでコーヒーを飲みながら楽しい一時を過ごさせていただきました。今年最後の対話になりましたが、ありがたいことです。そんな話の中で倭国(日本)はいつどうやってできたのかの話になりました。

結論的に言ってしまうと日本と言う国と天皇と言う言葉は天智天皇、天武天皇の時代からです。それ以前は倭国と言う都市国家が北九州から瀬戸内海沿いに大和まで点在していました。16代の天皇である仁徳天皇の時代ぐらいから大和朝廷と言えるぐらいに難波の王朝が強大になり、それ以前は華僑を中心とした都市国家がいっぱいあったようです。その中で中国との交易の代表になっていたのが邪馬台国の卑弥呼だったようです。魏誌倭人伝の誇張した表現を割り引いて想像すると邪馬台国は下関から広島付近の都市国家だったと想定されるようです。ただ倭国を治めていたと言うよりは中国との交易の代表者として利用されただけのようです。

日本の弥生文化は紀元前500年ぐらいからと言われています。そして秦の始皇帝が中国を統一したのが紀元前200年ぐらいのことです。そして始皇帝は朝鮮半島のつけねに楽浪郡をおき倭国との交易の拠点にしました。と言うことは既に始皇帝が統一する以前に倭国と中国は交易をしていたと思われます。このことから想像するに弥生文化は朝鮮半島から対馬、壱岐、北九州・出雲と漂着した中国人が定住し始めた結果発生した文化と考えるとうまく符合します。でも最初は少数の華僑が交易のために倭人(縄文人)と交渉する場所を港の近くに確保して、そこから外には出ようとしませんでした。そう言った港の周りがいくつかの都市国家になっていきました。始皇帝が不老不死の妙薬を求めて徐福に童男・童女100人を連れて旅出させたのも多分倭国だったと思われます。そして彼らも倭国のどこかに住み着いて都市国家を作ったと僕は考えています。

そこでそんなに古い時代から船はあったのでしょうかと言う疑問がでてきます。ではいったい船はいつ頃からあったのでしょうか?

世界で一番古い船は紀元前4000年ぐらいに既にあったとされています。それは古代エジプトの陶磁器や墓の壁画に葦を束ねて作った船が描かれていることから確かだと言えます。ただその頃の絵からはもっぱらナイル川で乗られていた帆船だったようです。地中海に出られる船になったのは紀元前2500年ぐらいからだと言われています。どうしてか?と言うと海では波が強いので波きりの工夫がされている船かどうか見極める必要があります。紀元前2500年頃の船には船首と船尾をマストを経由し綱で結んだ船が出現しています。こうすることによって船首が高く保つことができるので波を被ることは少なくなるわけです。

こう言うことから紀元前500年ぐらいには中国でも当然船はあったでしょうし、特に中国の揚子江流域の呉や越の人達は船を得意とする民族でしたから南アジアばかりでなく当然東アジアにも華僑として進出できたわけです。

話のあらすじはおおよそこんなことを書いていました。その他にも日本書紀についての話や倭国が統一されていく過程での難波王朝、播磨王朝、越前王朝にも話は及んでいましたがかなり長くなってしまうのでこの辺で今日は終わりにしておきます。
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しんさんのよもやま話

2009年12月25日 21時37分29秒 | Weblog
12月25日(金)晴

せっかく書いたブログがアップに失敗してすべてパァになってしまいました。今日はかなりの力作だったのですが残念です。今日はショックで書き直す気にはなりません。

歴史上最古のエジプトの葦船の話から倭国(日本)と中国の関係の話にまで及んだ僕の歴史観を書いたつもりだったけど消えてしまってはどうにもなりません。

おやすみなさい。
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しんさんのよもやま話

2009年12月24日 22時31分07秒 | Weblog
12月24日(木)晴時々曇

今日はクリスマスイブですが、みなさんはどんなイブでしたか?
僕は何もなくいつもと変わらないただの晩でした。子供が小さかった頃はケーキを買って帰ったり、家ではごちそうを作っていたりしたこともありましたが最近では何もなく、プレゼントの交換などと言ったしゃれたこともしなくなってしまいました。まぁクリスチャンでもないので別にそれでもいいのですが、ちょっと寂しくもあります。孫でもいたらまた少し変わるのかもしれません。

ところで今日も船の話を一つ。御存知のように世界一周を初めてしたのはスペインのマゼランですが、マゼラン自身は確かフィリピン諸島で戦死してしまいましたので正確にはマゼランの船団が初めて世界一周をしたと言うべきでしょう。ちょっと補足ですがマゼランはポルトガル人なのですがポルトガル王からは世界一周の航海を認めてもらえず、スペインのカルロス1世の支援で世界一周の航海に出ることができたので一応スペインのマゼランと書きましたので誤解の無いようお願いします。

さてマゼランの船団が世界一周を終えてスペインに戻ってきた時、毎日つけていた航海日誌の日付と実際の日付が1日ずれてしまっていました。どうしてずれてしまったのかわかりますか?
マゼラン達はスペインから大西洋に出てマゼラン海峡を通り太平洋に出て西回りに地球を一周しました。

多分皆さんは何となくわかったと思いますが太平洋には日付変更線があるので、日付変更線を越えたことで一日づれてしまったわけです。それでは実際の日付はどうなっていたのでしょうか?

日付変更線は経度の基準となるイギリスから180度反対側の太平洋上にあります。東に経度15度行くごとに1時間時計が進みます。逆に西に経度15度行くごとに1時間時計は遅れます。従って西から東に日付変更線を越える時は一日プラスしないと時間がずれてしまいます。逆に東から西に日付変更線を越えると1日マイナスしなくてはなりません。
言っている意味がわかりますでしょうか?イギリスから東に180度行くと時計は12時間間進んでいます。一方西に180度行くと12時間遅れています。そうすると日付変更線上で時計を合わせるためには、西から東に越えると12時間遅れている時間が12時間進んだ時間に変えなければなりませんから24時間(1日)プラスしないと1日ずれてしまいます。
地球は西から東に自転しているのでイギリスが12時だとすると経度が西に15度言ったところはまだ12時にはなっていませんので11時なんですね。一方東に経度15度の所はすでに12時を過ぎて13時になっているわけです。これから考えていった方がわかりやすいかもしれません。

いずれにしてもこの日付変更線の概念がなかった時代の話ですから、マゼランの船団がほんとうに世界一周したのかと大騒ぎになったのもうなづけます。ちなみにマゼランの船団が世界一周したのは1522年のことでした。

ちょっと頭が混乱してしまったかもしれませんが、実は自分でも説明しようとすればすれほど混乱してきてしまいました。ひょっとしたらプラスとマイナスが逆かもしれませんのであとはみなさんで考えてください。

ちょっと頭が混乱してきたので今日はこれまでです。

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しんさんのよもやま話

2009年12月23日 19時31分05秒 | Weblog
12月23日(祝・水)晴時々曇のち雨

久しぶりにゴルフの練習に行って来ました。目標を達成してから、いつでも100が切れる気分でいましたがその後スコアは悪くなる一方なのでもう一度謙虚にスイングする練習をしてきました。29日に今年最後のゴルフがあるので寒い中ですが少しでもいい気分で今年を締め括りたいものです。

さてところで今日も船の話を一つ。帆船の船首には必ずと言っていいほど天使とか猛獣の像が取り付けられているのを御存知でしょうか?

大航海時代の帆船は現在よりも性能も悪く、天気予報もない時代でしたから航海に出ることは命がけでした。そこで神の加護によって航海の安全を脅かす魔物から逃れるため、船乗りは船首に像を飾ったようです。これをフィギュアヘッド(船首像)と言います。蒲郡でも毎年見かける海王丸は笛を持った可憐な女性の像がつけられています。多分神の加護を受けるために天使をモチーフにして現代風にしたのだと思いますが、格好いいですよね。

神の加護を受けるために天使をモチーフにしたものの他に龍とか獅子などの猛獣をモチーフにした帆船も多くあるようです。こちらは敵を威嚇する意図が強い帆船だったようです。もし日本が大航海時代のメンバーだったら仏教の神様たちが飾られていたかもしれません。弁才天や吉祥天なんかもいいですし、相手を威嚇するためには不動明王とか毘沙門天なんか最適のような気がします。残念ながら当時の日本は鎖国をしていたし、近海を航海する程度でしたから艪を漕ぐ船がほとんどで帆船と言えそうなのは北前船ぐらいかもしれません。

そう言えば北前船は北海道から日本海を南下して下関から瀬戸内海に入り大阪に昆布等の海産物を運んでいました。そこで西日本では昆布でだしを取るのが一般的です。逆に関東は南の海で取れたカツオを鰹節にして鰹だしが一般的になったようです。北の海産物が西日本のだしになり、四国沖で取れた鰹節が関東以北のだしになっているのはちょっとおもしろいですね。そう言えば都昆布なども大阪ではみなさん食べているようですが関東ではあまり食べないように関西人には函館の昆布と縁が深いのは北前船の影響です。
北前船が日本海側を通ったのは黒潮が強かったからかもしれませんね。潮の流れと言うのは結構強くて、風があまりない時にはヨットが前にまったく進まないこともあります。

今日の話はフィギュアヘッドの話でした。それではまた。
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しんさんのよもやま話

2009年12月22日 22時00分49秒 | Weblog
12月22日(火)晴時々曇

今日は冬至です。ゆず湯入りましたか?僕は明日の朝入ることにします。と言うのも今日が最後の忘年会でかなり酔っ払っています。昨日も今日もで結局6回の忘年会で今年も一応締めました。でも仕事は28日まであと3日残してます。最近は2次会まで行く元気がないので比較的早く帰って来る事ができます。

ところで今日はタバコのの値上がりの話です。ヘビイスモーカーなので一本5円の値上げは結構きつくなりました。少し節煙することになりそうです。ただタバコは有害だからと社会正義のように言う人達がいますが、「水清くして魚住まず」と言うようにあまりにも有害だ有害だとと言っていると人間はどんどん弱くなっていくような気がします。若い人達がインフルエンザにかかりやすいのも弱くなっている証拠だと思うのは僕だけなのでしょうか?現在の年寄りが長生きするのは若い時に今のように衛生管理されていない中で体が強くできてきたからだと思います。従ってあと10年もすると平均寿命はどんどん縮まっていくような気がします。

人間には適応能力と言うものがあります。人類が誕生していままで種を守って来れたのはこの適応能力のおかげだと思うのですがどうでしょうか?現代の神経質さはガラス張りの保育器で成長しているようなもので、大災害とか自然の脅威にさらされた時ほんとうに種として生き延びられるか心配になってしまいます。ひょっとして猿の惑星ではありませんが先進国のプチブルは滅んでスラム街の人達だけが生き延びるのかもしれません。要はそのくらい先進国の人間は弱くなって来ているような気がしてなりません。科学技術が発達しすぎると、それを謳歌した人達は滅び、科学技術のない人達が生き残るのでしょう。

そう言うことを示唆した映画やマンガがいっぱいあることはきっと僕だけ出なく多くの人達が感じていることなのです。「猿の惑星」、「ウオーターワールド」などの映画、「海皇紀」のようなマンガはまさにそんな世界を描いています。あまり潔癖にものごとを捕らえずに少々清濁併せ呑むような政策が必要だと思います。

今日は酔っ払っているのでもう終わりにします。
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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(09-41)

2009年12月20日 21時04分44秒 | 趣味
12月20日(日)晴

少し暖かくなったけどマリーナは冷たい風がビュンビュンでした。今日は2週間ぶりにマリーナに来て見ました。この前セールは全部外したのでマストとブームだけの枯れすすきのようなものですが、船底に溜まったビルジを出す必要があったので名古屋から蒲郡まで出て来てしまいました。予想通りビルジがいっぱいでした。この冬も船に乗る予定はないので、思い切って船を陸に上げてもらうことにしました。今年は座礁とかいろいろあったせいなのか、それとも老朽化が始まったのか、例年よりエンジンルームのビルジが多いので、乗らない時期は陸に上げておくことにしてしまいました。

暖かい季節ならともかく、この寒さで船底の水出しはつらいので陸に上げて月に一回様子を見にくることとしました。3月には船底塗装を行うので、それまでしばし船の中も乾かしてながら陸で作業をすることになりそうです。陸に上がると船に乗るには3,4mほど高いところに登らないと入れませんが、昔はいつも登っていたので大丈夫でしょう。一度船底塗装中に落ちて、救急車で運ばれたことがあり、その時は左鎖骨骨折と左手を5針縫う裂傷を負ってしまったことがありました。それ以来一年中桟橋に係留してましたが船底に水が溜まるようになってはビルジの汲み出しのために毎週来るようになってしまいますのでしかたありません。

セールの方もジブセールを2枚共、修理見積り通りに補修することにしました。これで僕の船のセールはメインもジブもすべてツギハギだらけになってしまいます。今更新品を購入してもしかたないので壊れた時が寿命と考えることにしました。ヨットレースをしないかぎり、ツギハギも勲章のようなものです。もっともスピンネーカーだけは2枚共新品同様です。ほとんど使ってないからですが・・・。オーニングもみんな取ってしまいました。メインセールのオーニングは修理にもって行こうと常滑まで行ったのですが、肝心のお店が休みでお願いできませんでした。

そんな訳で今年の冬は人間ドックに入ったようなリハビリ状態です。従って来年の春まではヨットのない生活に入ります。Leiaももう若かりし頃の溌剌さがなくなってきたので、休養を十分とってまた来年の春に会う事にしましょう。
それではまた。
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しんさんのよもやま話

2009年12月19日 18時16分36秒 | Weblog

12月19日(土)雪のち晴

今朝はうっすらと雪化粧になりました。歯医者の順番を取りに出かけた時にはまだ雪が降っていました。順番の時間まで2時間ほどあったので、雪の降る中を散髪に行き、帰ってくる頃までには雪も止み晴れ間が出ていました。太陽の光にあたるとなんて暖かいのかと改めて感じずにはいられません。地球上の生き物は太陽の恵みの元に生存している訳で、太陽が消えてしまったとしたら植物も動物も絶えた暗黒の世界になってしまいます。
そう言う意味で古代の人間が太陽を崇拝し、祀ったことは、当然の結果であり、一番自然なことでした。その後いろいろな神様や仏様が出てきて崇拝の対象が変わってきてしまいましたが、我々は太陽の下でしか生きられないのですから、太陽が燃え尽きてしまうまでに別の太陽系に移り住むことができる知恵を持てるかどうかに地球上の生物の未来はかかっています。
そうなるまでにはまだまだ時間はありますが、世界中が力を合わせて宇宙開発に取り組んだり、今の地球環境を維持する活動は重要なことです。しかしながら人間はどうしても目先の利益しか視ることができません。みんなわかっていながら、COP15も先延ばしぐらいしかできません。所詮人間は目の前に危機が迫らない限り協力しあうことはできない動物です。自分も昔そうでしたが試験の前の一夜浸けでしか勉強しなかったのと同じようなことです。

さてところで今日の船の話ですが、船は古代エジプトの葦の船が最初と言われていますが、それよりずっと昔にアフリカの洞窟で人類と言う生物が誕生しました。多分その頃は水に浮かぶ丸太に掴まって川を渡ったりしていたのでしょう。そう言う意味で船の概念は人類発足とともにあったのではないでしょうか?現代の遺伝子工学から判明していることは、アフリカの洞窟から出てきた人類が何百年、何千年と言う時間をかけて世界中の至る所に生息する動物となっていったことです。そのためには当然河や海を越えて行く必要があっただろうし、何千、何万の犠牲の中で種を増やしてきたことになります。そして地上の1気圧の世界においては覇者と言えるようになりました。これからは気圧の壁を破る船が必要になってきました。ゼロ気圧の壁を越えようとしているのが宇宙船であるし、何百気圧の壁を越えるのが潜水船です。

宇宙船はまだ月までしか到達していませんがいずれ有人の宇宙船が太陽系を離れることがあるのかもしれません。そう言えば来週の月曜日にはロシアの宇宙船ソユーズが打ち上げられますね。国際宇宙センターに行って滞在することになるそうです。日本人の宇宙飛行士野口さんが行くことになっているのでニュースでもよく取り上げられていました。

一方地球の海の底に行く潜水船は、
まだ6500mぐらいまでしか到達できていません。日本の「しんかい6500」ですよね。でも海の深さは1万mもあるのでまだまだ越えられない気圧の壁があります。まぁ1万m潜ってみても何もないかもしれませんがひょっとすると地球ができた古代からのゴミが溜まっているところがあるのかもしれません。

いずれにしても、未だ道半ばですが、地上の1気圧付近はすべて行き尽くした以上、人間の冒険心はゼロ気圧地帯を越えてはるか遠くの未知の世界と何千気圧の海底の世界に夢を見るのは自然なことかもしれません。その昔海の果ては断崖絶壁の滝のようだと思っていた世界が丸くて世界一周できるようになったように、果てしない宇宙と思われている銀河系も時空の歪みを利用して簡単に行ける時代がくるのかもしれません。

未知の世界へ旅立つ乗り物はすべて船と言う話でした。
それではまた明日。

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