10月30日(木)晴時々曇
先週、今週と何とは無しに忙しく過ごしています。別に大した仕事をしている訳ではありませんが予定だけは詰まっている感じです。今週は今日で3日目の飲み会で体重を上げてばかりで減量が追いつきません。
ところで延び延びの日本の原風景ですが今日は久しぶりに続編を書いて見ます。前回この島の住民で一番長く生き残っているサクの知恵を二人の孫娘たちに話して聞かせているところでした。
サクはこの島の一年は梅の蕾が膨らみかけたころの新月の日を一年の初めとして次の新月までの間を1ヶ月と教えていました。そして1年の間にだいたい12回の月の満ち欠けがあること、3年一度1ヶ月余分な月があることを教えていました。そして1ヶ月ごとに変わっていく自然の現象を一つ一つ教えたのでした。これによって1ヶ月先、2ヶ月先に起こることを予測でき、生きていく為の基本となる暦の概念が出来上がっていきました。サクがこのことを発見するまでは毎年やってくる集中豪雨や台風の時期もわからず大勢の人たちが犠牲になったり、またフユの木枯らしが吹く時期には飢えに苦しむのが常でした。この暦の概念を使うことによりアキの実りはフユの食料を蓄えることになったのです。それでも貯蔵の方法がわからず結局食べられなかった物もたくさんありました。こんな経験を積むことによりだんだん長いフユも快適に過ごせるようになっていきました。ナギは海で魚を取ることを覚え、干物を作ることが得意になったし、ナオは森の胡桃を地面に埋めてフユに取り出すことや柿の皮をむいて干し柿を作ることが得意になっていました。
ある年の春の終わりの頃でした。海辺の波打ち際に二人の若者が打ち上げられているのを朝の海に出てきたナギが見つけました。二人ともぐったりとしていましたがまだ息がありました。ナギは急いで住処に戻りサクとナオを連れて波打ち際までやってきました。今までも何人か島に流れついた人はいましたがみんな死んでいました。その度にサクに言われたように浜辺の奥に穴を掘っては埋葬していました。でも今回はまだ息をしていたのでどうしたらよいのかわからなかったのでした。サクはいつものように穴に埋めてしまうように言いましたが、ナギはこの若者達を介抱すると言ってサクの言うことを聞きませんでした。しかたなくサクはしぶしぶ住処に運ぶことを承諾し、二人の若者を引きずるように住処まで運びました。ナギとナオはサクが二人を運んでいる間に若草をいっぱい摘んできて柔らかなベッドを作っていました。サクは二人の娘の作った若草のベッドに二人を寝かせると、裏の小川の水を木をくり抜いた椀に入れ二人の口にもっていき飲ませました。一人の若者はむせるような咳をして意識を取り戻しびっくりしたような顔をして三人の顔を見つめていましたが危害を加えられる心配がないと思ったようで安心した顔で眠ってしまいました。もう一人の若者はまだ意識がないようにぐったりしていました。
ナオが木苺を取りに行くと言ってナギの手を引きました。山のことは小さなナオの方がよく知っていたのでナギはナオについて森に入って行きました。ナオの秘密の場所には木苺がいっぱいありました。1時間ほどでそれぞれ蕗の葉にいっぱいの木苺を入れて戻ってきました。
今日はここまでです。この続きはまたいつか。
今月は毎週ヨットで海に出ています。今日は曇り空で北よりの風が吹き寒かったです。やっぱりもう秋なのですね。空気が澄んできて佐久島も篠島も野島も良く見えました。遠くには神島も見ることができ、これからは寒さと共に視界が良くなる季節になりました。夏は気温が上昇するので海面からの水蒸気でいつももやがかかったようになります。従って夏はヨットのシーズンと言うものの遠くにクルージングする時は海図とGPSが必須だと思います。秋でも冬でも海図とGPSは必須には変わりありませんがこの季節は遠くの島や陸地がよく見通せるのである程度事前に調べておけばなんとかなりそうです。
今日はF教授父子といつもLeiaに来るY氏のjrが女の子を二人連れてきて6名でラグーナ蒲郡にクルージングしてきました。ラグーナでは魚市場でトロの握り一貫をゲストにごちそうするのが僕流なので今回もみんなで食べてきました。あとは1時間ほどそれぞれ自由行動にしました。市場の中ではいろいろ試食できるのでそれだけでおなか一杯になってしまいます。いつもは焼肉屋に行ったりするのですが時間がかかるのとおなかが一杯であまり食べられないため若い子が多いときは自由に遊んできてもらうことにしています。
帰りは風上に向かっていくクローズドホールドなので船はヒールするし、時間はかかるのでかなり疲れます。それでも今回はゲストの二人にほとんど舵を持たせてクルーをしながらアドバイスしていたので余計疲れました。それでもYjrの連れて来た女の子もF教授の息子も強い風の中でよく頑張ってやっていました。初めて舵を持つと船がヒールする度に一種の恐怖感を味わい心配になるものですが二人とも度胸が据わってました。このくらいの風の時はあまり舵を握らせないのですが、今回は経験者が僕だけなので他の仕事もしなければならなかったのでまかせて指示だけしておくことにしました。でも勇気を持ってやってもらえばみんな必死に覚えるものなのですね。ほとんどトラブルもなく午後4時に帰港できました。
この年齢になってゴルフとヨットを連ちゃんでやっている僕はみなさんから見れば何と言う遊び人だと思うことでしょう。まぁ事実遊びまくっているからその通りなのですが自分は体の動けるうちに思い切り楽しんでおこうと言うあせりのようなものがあるかもしれません。動けなくなってからではヨットもゴルフもできませんからあと数年のことです。お金も使えるうちに使っておけばいいと言う考えです。世の中から見ればこれから訪れる老後に備えて蓄えを充分にしておくことが重要となるかもしれません。特に昨今の年金問題などを考えればそうかもしれません。でも都会で暮らそうと思わなければもっと質素な生活ができるような気がしています。現代はあまりにもお金で何でも解決しようとし過ぎです。もっと自然と共生していくサバイバルな生き方を都会人も学ぶべき時代だと思うのですが皆さんはどう思いますか。
自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の手で作る生活を遊びながらやる時間が今ものすごく必要な時代になってきたと僕は思います。コンピュータやロボットが考えたり、物を作ったりする時代だからこそ人間自身が考えたり、作ったりする世界は遊びの世界しかなくなっています。だから人間が人間らしくあるためにはスポーツや趣味の世界で自分の手足を動かすことが必要だと思います。その点農業や漁業は我々の原点になる活動かもしれません。
ヨットの話がどんどんずれていきそうなので今日はここまでです。
それではまた。明日は久しぶりにゆっくり過ごせそうです。
折角休みをとってゴルフに行って来ましたが一日中雨でした。最近雨に会ったことがほとんどなかったので疲れました。今日の雨は本格的に降ったので下も上も合羽で前半はともかく後半は濡れた合羽を再度着るのでよけい冷たく感じました。それでも前半はパー1つ、ボギー3つ、ダボ4つ、トリプル1つの50でまわってきました。コンデションの悪い中ではまぁよかったんじゃないでしょうか。問題は後半でした。4番の177yのショートで左に大きくはずしバンカー越えの30yぐらいのアプローチがちょっと小さくてバンカーに逆戻りしてバンカーから一発で出ずに二発目もあごで止まってしまい結局5オン2パットの7を出してしまい、これで今日の100切りの夢は断たれてしまいました。さらに6番ホールのミドルで池越えの50yぐらいのアプローチが40yぐらいになってしまい池ポチャ、意地になって1ペナで同じ所から再度試みてまったく同じショットで又も池ポチャで3オンの予定が7オンになって結局9になってしまい最悪でした。そのあとパー、ボギーで少し盛り返したのですが最終ホールロングの100y強の登りの4打目で手前にバンカーが大きく口をあけていたので1クラブ大きいクラブを持ち、ピン奥に乗ったと思いきやなんとグリーン奥のバンカーに入っていました。ここでもバンカーから1発で出ずに2発目はホームランとなり又もや7オンで結局9になってしまいました。この3ホールはバンカー、池、バンカーと肝心な所での寄せの同じ失敗を繰り返してジエンドとなってしまいました。雨でバンカーは硬いとか、アプローチが雨のせいで自分のいつもの距離よりも全部短かったことなど言い訳したいことはあるけれど、自分の未熟さを思い知らされた一日でした。終ってみれば108といつものパターンでした。まぁ池越えのアプローチは自信を持って思った通りに打てたのにあと1mほど足りずに2発とも池に入ったことやショートホールのバンカー越えもショートでバンカーに入ってしまったのは天気がよければ乗っていたような気がしています。ドライバーもパットもそこそこだったので、少し悔いの残るゴルフでした。
なかなか思うように行かないものですね。パー2つ、ボギー5つは今の僕としてはこの雨の中ではまぁまぁでしたがあとが問題でした。失敗の3ホールはすべてボギーが取れそうなアプローチでの失敗ばかりなので9打は余分でした。アプローチやバンカーでの同じ失敗をしないためにはどうしたらよいのかまだよくわかりません。練習場ではどちらかと言うとドライバーやミドルアイアンの練習中心でしたがもっとアプローチを練習場でやらなくちゃいけないのかもしれません。ただアプローチは平坦な練習場ではできないケースがほとんどなのでもっとゴルフをやることかもしれませんが、お金もかかるしヨットもあるので今が限界です。まぁ楽しめればいいので適当にやっていくことにします。
さて明日はYjrが女の子たちを連れて来るそうなのでヨットに乗せてあげます。いつもはY氏に手伝いをお願いするのですが、どうも父親がいっしょなのは不都合のようなので僕一人での操縦になりそうです。風が吹かなきゃいいのですが?いっしょにF教授父子も来るそうなので久しぶりに平均年齢がぐっと低くなりそうです。
それではまた。
今日は早く帰ってきてホームページの追加やらブログやらで暇つぶしです。忘れた頃にまた日本の原風景の続きです。
サクが二人の孫娘に聞かせた話の一つは自然に対する畏怖と崇拝でした。そして島の生き物との共生でした。鳥や獣は自然と言う偉大な神の使いとして常にやさしく接することでした。彼らの食糧は木の実や海草や魚貝類でしたので鳥や獣はこの過酷な自然の中でいっしょに生きていくパートナーでした。動物や鳥の異常な動きは気象の変化を教えてくれたし、彼らの食べる木の実は何が食糧となるかを教えてくれました。
もう一つの話は自然環境の厳しさによってこの島の人たちには特別の能力が植えつけられていったことでした。自然に対する観察力が研ぎ澄まされて雲の形、夕焼けや朝焼け、風の変化を敏感に感じ取る感性豊かな人たちができあがっていったのです。そしてこれらの知恵はサクがナギとナオに話して聞かせたように代々言い伝えられていきました。こうして自然を愛し森や沼の動物や鳥たちと共生し、感性ゆたかな島人が出来上がっていきました。ナギとナオも感性豊かでやさしい子でした。水や食糧が豊富なこの島では食べ物を奪い合う必要もなく、分け与えることが常であったため物を所有する欲がまったくありませんでした。ただ美しさと醜さが混在する自然の風景を素直に受け入れる人たちでした。
もう一つこの島の人たちは独特の死生観を持っていました。それは毎年多くの人が自然の猛威の犠牲となっていたことに対して素直に受け入れる感情でした。誰かが犠牲となることで自然と言う神の怒りを沈めてくれたのだと言う感謝の感情とも言えました。ナギとナオの父母も兄も自然の怒りを静めるために犠牲になったけど、魂はいつも家族の周りにいてナギとナオを見守っているとサクから聞いていたのでした。雨上がりの蒸し暑い晩にボーッと出て来る人魂も家族が見守っている証として恐がることもありませんでした。
こんな話を毎晩少しずつ聞きながらナギとナオもこの島の伝統とも言える文化を受け継いでいったのでした。
こうして長い冬も過ぎ、海辺の土手には水仙の花が咲き、小川のせせらぎにはフキノトウがつぼみを出す頃には、季節の変わる兆候や月の満ち欠けによる暦の概念、季節に応じた食べ物についてすっかり覚えてしまっていました。
きょうはここまでです。これから一つの異変が起こることによって、新しい知恵と新しい倭人の出現となるのですがこの話はまたあとのお楽しみと言うことにします。
それではまた気が向いたときに。
お久しぶりです。今週末は金曜の午後から東京に出張し土曜に帰ってきて今日はヨットでちょっと疲れ気味です。なかなかブログを書いている時間がなくて、日本の原風景も途切れ途切れで自分でもどこまで書いたかわからなくなっています。それで今日はヨットの話です。
今日は最高にいい天気でした。風も予報と違い全然ありませんでした。ゲストの3家族を迎えてのクルージングです。予報では風が強いと言うことでしたがおだやかな朝でしたので急遽釣りエサを買ってきて佐久島の周りで釣る事に。島への上陸時間を1時間遅らせて釣りました。いきなり小鯛がかかったことからみんな気合が入ってしまい島で遊ぶ時間がどんどんなくなってしまいました。それでも小鯛3匹にカレイ、アナゴ、ハゼなどが釣れて久しぶりにおもしろい釣りでした。2年前に娘さんと来たことのあるSさんもその後体調をくずしやっと回復して今回来てくれましたが釣りの方はどう言うわけかゲテモノばかりでアナゴ、ふぐ、ヒトデを釣ってました。まぁ釣れないよりはよいし、きっと楽しんでくれたんじゃないでしょうか?そのあと佐久島に上陸していつもの”ゆきや”さんでゆでだこや焼きあさりを食べて帰港です。佐久島には無人の販売所に冷凍したタコや干物があります。みなさん1匹500円の冷凍のタコを買ってきました。7月に来た時も誰か買って行きおいしかったと聞いたものですから冗談で話をしたらみんな買ってきてしまいどうだったんでしょうか?僕は自分が買ってきたことないのでまたあとで聞いておきます。
帰りはアビームで幡豆一直線ですがだんだん日が暮れてきて夕日が雲から出て来るととてもきれいでした。写真は帰りに夕日が雲に隠れている時に離れいく佐久島を撮ってみました。夕日が出ている時は逆光で撮れないので悪しからず。写真よりは実際の方が見晴らしがいいのですがどうも写真にすると暗く見えるのはどうしてでしょうか。
ヨットもそろそろシーズンが終ってしまいます。このところ毎週今年のクルージングを惜しむかのように海にでています。来週も再来週も海に出ます。それで今年もほぼ終了にします。
そんな訳であと2回はヨットの話が入ります。
それではまた。
昨日、今日と静岡の田舎に行っていました。田舎の母が木から落ちて怪我をしたのですが、80歳を過ぎても木に登ったりすることが考えられないですがまぁ打撲傷だけですみました。1週間病院であずかってもらい土曜日に無事退院してきました。一人暮らしなので一晩付き添ってきましたが生活には支障がないようなので帰ってきました。元気なのはいいことですが昔のままの行動をしても年を取ると思うように行かないことが今回身にしみてわかったことと思います。人の事はあまり言えませんが自分もだんだん無茶ができなくなってくるかと思うとちょっとさびしいものです。
ところで日本の原風景の続きを書きます。二人の娘達に聞かせた話にはこの国の文化に大きく影響した考え方が含まれています。
ある木枯らしの吹く晩のことでした。月の満ち欠けが真ん丸い月からだんだん欠けて行き、7日後には半分の月になってさらに15日後には月が見えなくなってしまい、それからまた月が三日月になって半分になって30日ぐらい経つとまたまん丸になる話が丁度確認できた頃のことでした。木枯らしが吹くようになって丁度3回目の月が見えなくなる日が睦月と言って年の始まりであること、その15日目の満月のころに草木が芽吹きはじめること。次の満月の頃には小川のふちにふきのとうが出て来ることなど自然の活動を事細かに教えていたのでした。末娘のナオは待ち遠しくていつも月を見上げながらあと何日かと訪ねていました。姉娘のナギは月の見えなくなる新月やまん丸の満月の頃には海の潮の干満が一番大きくなることを聞いてから、いつも潮の引くときに浜辺に出て行くことをせがんでいました。そして満月の頃になると一日に2回ある潮の引く時に竹で編んだかごを持ってサクといっしょに海に出かけて行きました。そして海草や貝を取ってきました。たまに魚も竹のモリで突いて取って来る事もありました。この晩も取れた魚を囲炉裏で焼いていました。サクの話は季節に応じた草木の話から森の動物や沼の鳥の話しになっていきました。森の熊や狼も人間と同じように自然の恵みを受けて生活している仲間であるからお互いの領分を侵さないように北の森には行かないようにしていること、それから沼の鳥も季節を教えてくれる大事な仲間であると教えていました。鶴や雁が沼にくる時は寒いフユの時期で鳥達が集まっているところにはどじょうがいるところであり、そこに行けばどじょうが取れることを教えてくれるし、うぐいすが村で鳴く頃には梅の花が咲きだんだん暖かくなってくることを教えてくれました。そして鳥の抜けた羽を集めると暖かなベッドができることも学んだのでした。この島に住む動物達は神様の使いで人間に季節や食べ物を教えてくれるものだと話して聞かせていました。自然と共に生きていくことがこの島の掟だったのです。こうした話の実証をとりながら自然に対する感性が磨かれていったのでした。
自然と共に生きることや自然に対する畏怖と感性はこの島の文化の原点の一つだと考えています。日本の庭園と西洋の庭園の違いは人間の手で自然を変えるのか自然のままに表現するかと言った決定的な違いがあります。我々の文化には自然は神であり人間が作り変えるべきものではないと言う考え方が根底にあるのではないでしょうか?あと二つ原点となるものがありますがそれはまた別の機会にお話します。
それではまた。ここまで読んでいただいた方ごめんなさい、でもありがとう。
10月11日(土)雨のち晴
今日の朝は雨模様でしたが天気予報では曇のち晴でしたので小雨が降る中を幡豆のマリーナに向かいました。今回は佐久島付近でゆっくり釣りをする計画です。マリーナにつく頃には雨もあがったので釣エサを買い5人で出港しました。海にでるとかなり風が強いけど帆走できない風ではなかったのでセールを上げて快調な帆走でした。かなりスピードも出たので1時間ちょっとで佐久島の近くまで来てしまいました。佐久島の東南の海面には5杯程度既に釣り船が出ていました。ここの瀬は狭いので良い位置がとれないけど水深10mぐらいのところでアンカーリングしたのですが風が強くてかつ波も強くてアンカーがききません。それでも我慢して釣り糸を垂らしたのですがまったくあたりがありませんでした。エサも取られなければあたりもない中で30分ほど釣っていたのですが、風は強くなるばかりだし、波も高くなってきたのであっさり帰港することにしてしまいました。帰りは西よりの風に乗ってランニングですが白波だらけでメインとジブをあげるのはあきらめジブだけの帆走です。風が強いのでジブだけでもかなりスピードがでます。時折大きな波が来ると波に乗ってプレーニングするのは快適ですがそのあとバランスをくずして船がローリングする場面が何回かありました。最近あまり強風下では船に乗らないので腕がさがるばかりかもしれません。
海面の白波を操縦しながらデジカメに収めてみました。人間の目で見ていると白波だらけですがこうしてカメラに収めてみると少なく感じます。多分瞬間的にはこんなものかもしれませんが次の瞬間にはまた別のところに白波が出て来るので実際には白波だらけの方が現実だと思います。
今日は釣りとしては最悪でしたがセーリングとしてはなかなかスリリングな帆走ができたと思います。もう今年も船に乗れる期間はわずかとなってしまったのであと何回釣りができるかわかりません。今年はアジが一匹も釣れてないのが残念です。今回のメンバーはおなじみのTe氏、Yo父子と釣り師のKa坊さんでした。
来週の19日もクルージングを計画してます。来週はいつも世話になっている居酒屋の大将夫妻などをゲストに迎えてラグーナ方面か佐久島方面にクルージングに行く予定です。次回のヨット編25回もお楽しみに。
それではまた。
10月7日(火)曇
今日は休暇を取り、ゴルフに行ってきましたが4日よりはよかったものの3パットばかりでライオンになってしまいました。これだけやってもうまくならないのは体がどこか悪いのかよっぽど向いていないのかどちらかでしょう。もうスコアは別として楽しむことだけでよしとします。
ところで先週まで続けていた日本の原風景ですが、なかなか言いたかったことが出て来ずに終わりにしようと思ったけどあまりにも尻切れトンボなので区切りがつくまで続けますが読んでいただかなくて結構ですのでみなさんはこの表題の時はアクセスしないでください。ただ自分のけじめのために書くだけですから。
とにかく空腹を満たすと三人は夏草を敷いただけの岩陰でぐっすり寝込んでしまいました。ずっと張り詰めていた緊張が一気に解けて翌日の太陽が真上に来る頃まで無の世界にいたのでした。最初に目を開けたのはナオでした。ナオに揺すられてナギも目をさますと二人は浜に出て砂浜に二人並んで繰り返す波を見ていました。こうして半時あまり過ぎてからサクもようやく起きて来ました。サクは二人の孫娘にこの海辺のすみかがどうなったのかと言うことや父と母、それと兄がどうなってしまったか話しました。そしてこれからどうして生きていくかを教え始めました。まづ住む場所を探したらナオは柔らかな草を取ってくる仕事、ナギは細長い木をいっぱい集めて来る仕事を言いつけると、自分は大きな石を集めて囲いを作り始めました。日が西の山影に入る頃になると食糧を探しに三人ででかけました。この島は自然の脅威にさらされていることを除けば恵みの多い島でした。崩れ残った山に行けばイバラの中にシドメ(ボケの実)があったし、土砂に埋まらなかった海には貝や海草がありました。この島ではフユを除けばふき、ぜんまい、木苺、シドメ、くるみ、アケビ、山芋が豊富にあったし、海にはハマグリ、サザエ、天草があったし、川ではうなぎやどじょうが取れました。フユをくるみの実や山芋、天草などでしのぎさえすれば食糧に困ることはまったくありませんでした。
こうしてこの島に残された三人だけの新しい生活が始まりました。サクに授けられた知恵で二人の娘達もすこしずつたくましく成長していきました。アキになる頃にはフユに備えた食糧探しも手分けしてできるようになっていました。またすみかは石の囲いも細枝の壁も草のベッドも土間の囲炉裏もすっかりできあがっていました。こうしてこの年の木枯らしが吹き始める頃まで三人は休む間もなく働きました。フユになると暖かい日だけ浜の枯れ木を集めたり、流れ着く海藻や沼のどじょう取りをしたりする以外は囲炉裏を囲んでサクの話を聞くのが日課でした。
サクの話はやがて来るハルの話や月の満ち欠けの周期と季節の関係、季節と食べ物の話ばかりでした。それでも毎晩尽きることなく続きました。
こうしてこの島に残されたわずかな人たちの中で、この三人もとにかくこれから生きながらえていく知恵だけは身に付けていったのです。ただこれだけでは毎年訪れる脅威に打ち勝っていくことは容易なことではありません。この三人の家族に新しい変化が起こったのは次の次の年の夏のことです。それまでの二年の間は特に大きな災害もなく、山の緑も所々の赤茶けた谷間を除けばすっかり元に戻っているかのようでした。
今日はここまでとします。読まなくても良いと言ったにもかかわらず読んでいただきありがとう。
おもしろくできないかもしれないけど頑張ってみます。
10月5日(日)曇
今日は早朝からヨットで釣りに行ってきました。朝6時に家を出て7時半マリーナ出港。今回はいつも手伝ってくれるYo父子は欠席で釣り師だけの四人です。Te氏、Ma氏とMi氏に僕の4人でトーノ瀬一目散。セールも上げずにエンジンだけの機走で2時間、トーノ瀬に着くと一杯釣り船が出ていて入る隙間もないほどでした。最初は一番風下に付けてアンカリングしたのですが走錨して船がさらに風下に流されて釣れたのはコチだけでまたもやボウズの予感でした。しかたないのでエンジンで船を止めながら釣る作戦に切替えて船団の中に入り込みましたが周りの船が気になってみんな落ち着いて釣ることができません。そこで風上の船が流されても船団の中に入らない位置を探してアンカリングしました。水深13mの比較的浅いところでアンカーもきちっとかかったようで、まったく走錨することもなく安心して釣る事ができました。ゆっくり落ち着いて釣り出したとたん全員が次々とチダイ、キビレを釣り上げることができました。ちなみにチダイは僕が釣り上げました。その後も次々とキビレが釣れだして久しぶりの大漁でした。僕の狙いのアジやTe氏狙いのカレイはダメでしたがキビレの大漁です。キビレは鯛の仲間だそうですが色が銀色で胸鰭が黄色がかっている魚だそうです。塩焼きにして食べると鯛のようでおいしいです。去年も会社の釣りクラブで行った時に釣った魚ですが今回は20匹ぐらい釣ったでしょうか。小さなものはリリースする余裕もありました。キビレはあたりの感覚、釣り上げる時の引きの感覚がすごく気分いい魚です。あまりにも釣れだしたので帰港の予定を大幅にオーバーして3時近くにやっと納竿、マリーナには5時すぎに無事帰りました。写真はバウで釣りをするMi氏とTe氏です。
朝早くから日暮れまでまる一日海の上にいたのも久しぶりで疲れました。天気も暑くなく寒くもなくしかも波も風もあまりなくて最高の釣り日和でした。マリーナに帰港すると同時に雨が本格的に降り出してタイミングもバッチリでした。まぁこんな日ばかりではないけど来週ももう1回釣りにチャレンジして多分今年の釣りはおしまいにしようと思います。
今年のヨットのシーズンもあとわずかです。これからは一日一日寒くなってきます。みなさんも風邪等ひかぬよう御用心ください。
(追)
失くしていたデジカメが出てきました。どこにあったと思いますか?なんとクーラーボックスの中に入っていました。8月31日のクルージング以来使っていなかったクーラーボックスを今回使ったために発見できました。ダメですね。それでホームページにスナメリの写真もアップしておきました。背中だけしか写りませんでしたが本物をご覧になるとすごく癒されます。
URLは
http://www3.ocn.ne.jp/~leia1755
です。
それではまた。
今日は久しぶりのゴルフに行って来ました。先週から車がドッグ入りしていたので練習もせずに行ったのですが、悪いはずのドライバーはまぁまぁだったのに良いはずのアイアンがトップばかりでどうにもスコアがまとまりませんでした。今年最悪のスコアを出してしまいました。もちろんコンペは最下位それでも商品はアサヒビールの詰め合せセットをいただいてしまいました。それと大波賞までもらってしまい申し訳ない気分です。最初のハーフが自分でもここ数年出したことがないようなスコアでしたし、その中に空振りが3回もあったことも多分初めてです。もうどう振ればよかったのかわからなくなってしまいました。これからコンペも誘われるままに行けないですね。もう年齢も年齢だし若い人ならいざ知らずこんな年になってもだと興ざめでしょう。もっともまだ3回は約束があるので行きますがもうヨットだけにしようかなとつくづく考えてしまいました。まぁ後半のハーフはいつものペースに戻ったので次回は間隔が短いので大丈夫だとは思いますが?
今日のコンペで参加者全員にゴルフ・ルネサンスと言う本がプレゼントされました。まだ読んでいないのですがパシフィックゴルフグループの会長である廣瀬光雄さんの著書で新しい感覚でゴルフを見ている点がすばらしいとのことでした。これから読んでみます。
明日はヨットで釣りに行きます。天気が心配ですがどうなることやら。
そこで日本の原風景はちょっと休みです。もっとも最初思っていた方向と違う方向に行きだしたのでつまらない話になってしまいそうですので早めに終ります。