”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・番外編

2006年07月31日 23時19分11秒 | Weblog
7月31日(月)曇
お久しぶりです。7月28日(金)の晩から立山黒部アルペンルート、宇奈月トロッコの旅に行ってきました。いつも海中心の僕が3000m級の立山連峰に行くこと自体めずらしいことですが、感動しました。毎年年に一回インロートラベルと称し、15年前出向していた戦友たちと旅行をしています。あの頃は毎日が戦のようなもので、僕も社長といつもどなりあっていましたが、言う以上に仕事も必死でした。当時の出向仲間も本当によく頑張ってくれたものです。だから15年近くたった今でもみんな集まってくるのかもしれません。みんな年齢も違うし、出身地もバラバラですが現地に集合しており、変わらないなつかしい面々に会うのは楽しいものです。今回は二人欠席となりましたがGさんは奥様と同伴で参加してくれました。おかげでいつもは野郎ばかりで味も素っ気もない旅ですが今回は花もありでこれもまた楽しでした。
さて翌日早朝に信濃大町を発ち、扇沢までタクシーで行き、トロリーバスで黒部ダムに。僕の子供の頃、横浜市内のトロリーバスに乗ったことありますが、いつのまにかなくなったはずのトロリーバスがこんなところで生きていたのにおどろきました。でも電力に一番関係ある黒部ですから当然と言えば当然ですね。
黒部ダム駅から、はりきって展望台への階段を上りはじめたのですが、半分ぐらい上ったところで汗はびっしょり、息はハーハー、足はフラフラ、心臓バクバク、大変でした。普段の運動不足と背中のリュックの一升ビンがハンデとなって仲間からどんどん遅れてしまいましたが、なんとかたどりついたら小雨の中で、どうなることやらのスタートでした。
とにかくダムのえん堤を歩いて黒部湖駅に。昔、石原裕次郎主演の「黒部の太陽」と言う映画がありましたが、大変な苦労の元にできあがった秘境のダムもだれでも来ることができるようになったことに時の流れを感じました。黒部湖駅からはケーブルカーで黒部平に、それから大観峰までロープウェイで一気に2400mまで上がります。誰が作ったのか知りませんがすごいですね。
ここで問題ですが、ケーブルはどうして車両の下にケーブルがあるのでしょうか?わかりますか?それはケーブル下(か)だからです。
じゃあロープウェイはどうして車両の上にロープが張ってあるのでしょうか?今度はわかりましたよね。それはロープ上(ウェ)だからですね。
とつまらないシャレを聞きながら、小雨の中を一気に上り、大観峰から又もやトロリーバスで立山の真下を潜り抜けて室堂に着いたのが丁度昼ごろでした。ターミナルから出ると雨なので、すぐに立山にと言う話もあったのですが、折角来たのだからとカッパやウインドブレーカーをそれぞれ出してとりあえず表に出ると霧がどんどん晴れてきていつの間にか富山湾まで見えるほど回復して、緑の山と白い雪の立山連峰の山並みがきれいに見えてきました。やはり日頃の行いがよかったのかどうかはわかりませんが太陽の暖かさと涼しい風の中を散策することができました。久しぶりの高山の空気とあざやかな緑の景色が印象的でした。写真は噴火口とバックに見えてきた後立山連峰です。噴煙のバックにあざやかな緑の中に残雪がおわかりになると思います。
室堂からバスで美女平に移動し始めるとまた雨がぽつぽつと降り始めほんとにラッキーな室堂散策でした。
さて室堂からバスで美女平、美女平から立山までケーブルカーで今度は逆に一気におりてきました。立山で遅い昼食に立山そばをみんなで食べました。でもやっぱりそばは信州の方がおいしいと感じるうどん的なそばでした。さて立山からは富山地方鉄道で宇奈月まで約一時間半の電車の旅はほとんど人がいない電車で乗降客もいないので、持参したリュックの中の日本酒「醸し人九平次」の雄町と山田錦を7人で空けてしまい。静岡の「磯自慢」も半分近く空けてしまいました。一升五合で僕は完全にダウン。宇奈月までぐっすり寝てしまいました。
明日からはもう一つの黒部渓谷をトロッコで上がって行く事になりますが、この続きはもう一日いただいて書くことにします。今晩も昨晩同様年に1回のマージャンをやることになり、なかなかゆっくり寝かせてもらえませんが、まぁそれもまた楽しです。それではまたあした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2006年07月27日 22時24分55秒 | Weblog
7月27日(木)晴
今日は中高年のおじ様達と一杯やってきましたので休みにしたい所ですが、明日から黒部・立山の旅に出るので来週月曜までお休みにする関係上ふらふら状態で書いています。継続は金と言うけどほんとに続けることは大変です。
さて今日は昨日の続きで、如来様は終わったので菩薩ですよね。
菩薩は悟りを得て成仏を求める修行者でかつ衆生に仏の教えを導く者を言います。菩薩には本来如来の資格があるのに、成仏しないでこの世で衆生の救済にあたり続ける菩薩も創造されたのですが、その代表格が文殊菩薩と普賢菩薩です。この二人の菩薩は釈迦如来のお手伝いをする脇侍として祀られることが多いのです。文殊菩薩はすぐれた知恵の持ち主とされています。ここから「三人寄れば文殊の知恵」などと言う言葉がうまれたようです。一方普賢菩薩は実践的な修行を象徴する者として創造されました。知恵と実践修行がバランスよく備わることによって釈迦の教えを会得できると考えられています。
一般的に僕らに一番なじみの深いのは観音菩薩と地蔵菩薩ですよね。観音菩薩は正確には観自在菩薩とも観世音菩薩とも言われます。修行中の身ながら衆生のどんな困難な願いもかなえてくれるとされるのが観音菩薩です。三蔵法師が訳した「般若波羅蜜多心経」の主人公が観音菩薩です。チベット密教のダライ・ラマは観音菩薩の化身と信じられているそうです。
もう一人僕らになじみの深いのが地蔵菩薩です。地蔵菩薩は「六道」を輪廻する衆生を救う菩薩として創造されたようです。「六道」とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六つを言います。人間がこの六つの世界で生まれ変わりを繰り返すことを輪廻と言い成仏すると六道から解脱して極楽浄土に行けると言われています。日本ではさ地蔵菩薩はまよえる霊魂を救い、地獄の苦しみを代わりに受けてくれると言われています。だから現在でも交通事故で亡くなった人の霊魂を導くために、事故のあった路肩に安置するのは地蔵菩薩じゃないですか。
ここまでは仏教の仏様です。今日はこれで終わりです。週末はお休みして、来週は残った仏教の本尊として不動明王とか帝釈天とか大黒天のコメントをして神道の神様の話に移りたいと思います。ではまた来週までしばしのお別れです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2006年07月26日 23時59分49秒 | Weblog
7月26日(水)晴
今日は久しぶりに朝から夏空になりました。やっぱり夏はこうじゃないとね。でもまだあけてないようなので困ったものです。週末の立山黒部は霧の中でしょうね。まぁ温泉があるからよしとしましょう。あまり天気がよかったのであこがれのYちゃんに食事を誘ってみたらOKとなり二人のPTA付きで食べて飲んできました。なので今日のブログはかぼちゃの馬車になるかもしれません。

ところで昨日まで日本人の宗教観は神道・仏教・儒教の習合思想だと言う話をしてきましたが、今日からそれぞれの宗教の知っておくとよい常識の話をしましょう。
今日はまず仏教の話からしてみます。
仏教と言えばお釈迦様ですがお寺にはいろいろな仏像が祀ってありますが皆さんはわかりますでしょうか?釈迦如来と阿弥陀如来・薬師如来・大日如来の違いや弥勒菩薩や観音菩薩・地蔵菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩さらに帝釈天・弁財天・大黒天・毘沙門天・不動明王等々これらはみんな仏教に関係する仏様たちです。日本の仏教には13宗56派と言われる宗派があるそうです。そしてそれぞれの宗派により本尊とする仏や菩薩が異なっているそうです。
だんだんわからなくなってきたと思います。実は僕も奈良や京都に行くたびにどの仏様が何なのかさっぱりわかりませんでした。いろいろ断片的に知ることはできても体系的にはなかなか整理されたものがないので余計にわかりにくいのが現状です。そこで大胆にも自己流解釈を整理してみます。

まず仏教の開祖は釈迦ですが、釈迦は神様とか神の使いではなくほかの人々とともに同じ道を歩む同行者と考えていたので、釈迦の入寂後釈迦の教えを具体的にあらわす人格的存在として仏様が創造されたようです。ただ仏教が普及していく過程でいろいろな解釈からいくつかの仏様ができてきたようです。そして仏教では東西南北に4つ仏国土があり、それぞれに人々を導く仏がいると考えられています。南には釈迦如来、北に弥勒菩薩、西に阿弥陀如来、東に薬師如来がいるとされています。

釈迦如来を本尊とするのは多分禅宗(臨済宗・曹洞宗)や天台宗・日蓮宗などじゃないかと思います。まだ十分に確認できていないのですが。まぁどこにでもある本来の仏様のことだと思います。

弥勒菩薩は釈迦の後継者と言われ56億7000万年後に釈迦によって救済されなかった人も救済すると言われる未来仏です。従って56億年後には仏になることが約束された菩薩なんでしょう。そう言う意味で他の菩薩とはちょっと違います。京都・広隆寺や奈良・法隆寺にあります。

阿弥陀如来は慈悲と理性を兼ね備えた人格的存在の仏として人間を永久的に救ってくれると言われる仏様で浄土宗や浄土真宗の本尊です。

薬師如来は修行時代に一切衆生が欲するものは何でも得られるようにする。一切衆生の病気を治し、心身ともに健康にしてあげる。横暴な支配者に苦しめられている人々をその苦しみから救ってあげる。と言った本願を立てて仏になった仏様です。だから現実の世で利益を与えてくれるありがたい仏様と言われています。姿形はほとんど釈迦如来と同じですが左手に薬壷を持っている仏様です。日本では病気平癒の祈願をする仏様として作られたようです。奈良の法隆寺や薬師寺、室生寺にあります。但し室生寺の薬師如来は薬壷を持っていません。

この四人の仏様以外には密教系の大日如来があります。
大日如来は密教では宇宙の法則が体現されていると考えられている仏様です。そしてすべての仏様は大日如来の化身だとされています。空海が日本にもたらした真言宗の本尊です。密教の教えは7世紀頃インドで栄えたのですが、現在は日本とチベットに残っており、インドではヒンドゥー教に吸収されてしまいました。

以上が日本で言う仏様です。次は菩薩ですが、菩薩は仏様になる修行をしている仏になる一歩手前の人で我々庶民を導いてくれる存在です。この続きは明日にしますが、もうかぼちゃになってしまったけど時間を繰り上げてアップしておくことにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2006年07月26日 18時00分19秒 | Weblog
7月26日(水)晴
今日は久しぶりに朝から夏空になりました。やっぱり夏はこうじゃないとね。でもまだあけてないようなので困ったものです。週末の立山黒部は霧の中でしょうね。まぁ温泉があるからよしとしましょう。
ところで日本人の宗教観は神道・仏教・儒教の習合思想だと言う話をしてきましたが、今日からそれぞれの宗教の知っておくとよい常識の話をしましょう。
今日はまず仏教の話からしてみます。仏教と言えばお釈迦様ですがお寺にはいろいろな仏像が祀ってありますが皆さんはわかりますでしょうか?釈迦如来と阿弥陀如来・薬師如来・大日如来の違いや弥勒菩薩や観音菩薩・地蔵菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩さらに帝釈天・弁財天・大黒天・毘沙門天・不動明王等々これらはみんな仏教に関係する仏様たちです。日本の仏教には13宗56派と言われる宗派があるそうです。そしてそれぞれの宗派により本尊とする仏や菩薩が異なっているそうです。
だんだんわからなくなってきたと思います。実は僕も奈良や京都に行くたびにどの仏様が何なのかさっぱりわかりませんでした。いろいろ断片的に知ることはできても体系的にはなかなか整理されたものがないので余計にわかりにくいのが現状です。そこで大胆にも自己流解釈を整理してみます。
まず仏教の開祖は釈迦ですが、釈迦は神様とか神の使いではなくほかの人々とともに同じ道を歩む同行者と考えていたので、釈迦の入寂後釈迦の教えを具体的にあらわす人格的存在として仏様が創造されたようです。ただ仏教が普及していく過程でいろいろな解釈からいくつかの仏様ができてきたようです。そして仏教では東西南北に4つ仏国土があり、それぞれに人々を導く仏がいると考えられています。南には釈迦如来、北に弥勒菩薩、西に阿弥陀如来、東に薬師如来がいるとされています。
釈迦如来を本尊とするのは多分禅宗(臨済宗・曹洞宗)や天台宗・日蓮宗などじゃないかと思います。まだ十分に確認できていないのですが。
弥勒菩薩は釈迦の後継者と言われ56億7000万年後に釈迦によって救済されなかった人も救済すると言われる未来仏です。従って56億年後までは菩薩なんでしょう。そう言う意味で他の菩薩とはちょっと違います。京都・広隆寺や奈良・法隆寺にあります。
阿弥陀如来は慈悲と理性を兼ね備えた人格的存在の仏として人間を永久的に救ってくれると言われる仏様で浄土宗や浄土真宗の本尊です。
薬師如来は
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2006年07月25日 23時02分02秒 | Weblog

7月25日(火)曇のち晴
今日は午後から夏の空が顔をだしたけど、また隠れてしまうのかもしれませんがいいかげんにしてほしいものです。
昨日から宗教の話をしたらアクセスビュー数がガクンと落ちてます。日本人は宗教の話をすると極度に嫌がります。無宗教であることが自慢の人の多いことったらありません。実は僕もそうでした。でもよく考えると戦後の教育によってそうされてきた特異の状況なのかもしれません。世界中どこの国に行っても宗教はあります。むしろないと言っている国の方がおかしいと思います。
特に日本で発達した神道・仏教・儒教の融合思想は日本人の柔軟性をよく表していると思います。それぞれのよい面を自分達の生活環境に合わせて取り入れてきたことを考えると、欧米のように自分達の神を押し付けるために戦争をしてきた歴史とは全く違ったすごい文化だと思いませんでしょうか。堺屋太一氏の「日本を創った12人」の最初に聖徳太子の神仏儒習合思想が出てきます。日本人の宗教観・文化観は1400年前に聖徳太子の発想・実践による習合思想が根付いたため宗教が対立軸にはならなくなったと言ってます。だから僕らには宗教戦争などと言うのは多分理解できません。そういう点では極めて柔軟性に富んだ民族じゃないかと思います。
所詮宗教は僕らの生きていく上での心の拠りどころであって、人間社会での心の安定が最終的な目的のための考え方でしかないと思っています。僕達の一年間の生活行事にはあらゆる宗教の儀式が入り込んでいて、しかも何の不都合もありません。そしてその原点がなんであるかさえわからない人が多いのです。でも一応その意図することぐらい知っておくべきではないのかと思い、このブログを書いてみることにしました。僕も正直勉強したてでまだ十分に理解しているとは言えませんが、最近神社やお寺に行くと本来の神道・仏教にはないものが渾然とできあがっていて何の不思議もないのにびっくりすることが多いのです。
たとえば本来の仏教では先祖を祀ることはありません。なぜなら仏教は現世の苦悩から開放するための教えであり、先祖は関係ない宗教です。でもお寺に行くと○○家先祖代々の墓があります。多分これは仏教が中国に伝わり儒教の「孝」の教えが組み込まれたものと考えた方がいいと思います。またお寺によっては「手水舎」がありますがこれはもともと神道の禊のためのものです。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から逃げ帰った時身の穢れを海水で洗い流したと言う神話に基づき「禊」をして神様に祈るためにあるものです。
日光東照宮は列記とした神社ですが中には五重塔があります。でも五重塔は本来仏教の仏舎利塔(仏陀の遺骨を納める塔のこと)が基で空海の真言密教により世界の構成要素である地・水・火・風・空の五大を屋根に表したと言われています。いずれにしても神社に仏教の建物が入っている例です。実は江戸時代までは神社には仏教施設がいっぱい入り込んでいたといわれています。明治政府によって神道が国教となったため、本来の神社にかなり変えさせられたため少なくなったと言われています。
だからどうと言うことでもないのですが、聖徳太子以降1400年間宗教戦争もなく、日本人の生き方の知恵が民族を存続させてきたと思うと、現代人もその意味するところを知っておくことも「国家の品格」として重要なことだと思うようになりました。
今日はここまでですが明日からは神道・仏教・儒教のちょっと知っておくといいことを書いてみます。現代人の教養として僕と一緒に勉強してみませんか。ではまた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話

2006年07月24日 23時46分28秒 | Weblog
7月24日(月)雨時々曇
今日は二人の先輩達と話をしていて、最近の若い人達と子供が犠牲になる事件の多いことをどう解釈したらよいのかと言ったような話やいろいろしていました。三人の統一的な見解としては、僕らの子供の頃に比べてアメリカ流個人主義・自由主義と言う言葉に惑わされて自分創りができていないと言うことだと思います。もちろんその責任はほとんど僕らの世代にあるのですが。物事を判断するには価値観だとか人生観のような基本となる考え方のベースが必要です。欧米人はキリスト教と言う宗教的価値観が小さい頃から日曜学校や家庭で頭にたたきこまれます。その上で自由とか個人主義が成立っているのですが、僕ら日本人は戦後基本となる価値観を教えること禁止された上で自由主義だ個人主義だと言われ、経済的豊かさだけを求め、義務や制約のない自由主義を謳歌してきたつけが僕らの子供の世代に出て来たと考えるべきだと思います。
自分もこの年齢になって日本人の心の拠り所は何なのかと言ったことを考えて、いろいろ本を読んだりしています。特に戦後学校の授業から消えてしまった倫理や宗教について調べています。そこで今週から少し日本人の宗教について話をして見たいと思います。こう書くと多分大半の人は宗教は何か悪いことのように捕らえて議論したがりません。どこの国でも宗教があるのに深く考えなくしてしまったこと自体戦後のアメリカの陰謀だと僕は最近強く思います。自分達はキリスト教と言う一神教の神をばかみたいに信じてジョークも聖書を知らない人種にはまったくわからないようなものが多いのです。それをまた英語の先生は聖書がすべての原点のような話を得意になってしていると言うのが今の日本じゃないでしょうか。
神を信じない或いはキリスト教をすばらしい宗教のように言う人たちが正月には神社に初詣に行きお盆にはお寺に墓参りに行き、死んだらどこかのお寺の住職にお経をあげてもらっているのです。それだったらもっと自分の国の宗教の原点をもっと勉強しろよと僕は言いたい。
たかが宗教と言うがこれが元で今も戦争が起こっているじゃないですか。それぐらい重要なことなのに日本人は自分達のポりシィを放棄してしまっています。一説にはアメリカは日本と戦争した時に日本人の考え方が恐かったので戦後日本的な教育はすべて廃止させ、将来自分達の考え方を持たないようにしたと言われています。だから国際社会でも日本と言う国の考え方を主張したことは一度もなく、ただお金をばらまいてきただけの外交をしてきました。もっともそれによりアメリカと敵対することは一度もなかったわけです。過去に田中首相が中国と国交回復し接近していくことがありましたが、ロッキード事件をアメリカから発生させてみごとに抹殺しました。あの事件の元をよく調べてみればかなり明確なことです。
そこで僕は自分が調べてみた日本人の宗教についていろいろ話して、約1600年の歴史の中で形づくられた融合の宗教を理解してもらえたら、欧米に卑屈にならずに自分達の文化を大切にする心が生まれるのではないかと考えました。そしてそれが僕達の生き方や行動の判断基準となって行く事がこれからの日本にとって非常に重要なことだと思っています。
前置きが長くなってしまいましたが、僕は調べていくうちに日本人の伝統的宗教とは神道でもなく仏教でもなく儒教でもなく、実はこの三つの宗教を合体させた非常に合理的な宗教に我々の先祖が歴史の中で作り上げてきたものであると言う考えを強く持つようになってきました。だから正月に神社に初詣に行き、お盆に先祖の墓参りに行くことは別に日本人ではまったく矛盾しないようにできているです。明日からはこの三つの宗教の混ぜ合わせた実態を少し説明させてください。こんな記事をここまで読んでいただきありがとうございます。でもアメリカのことは悪く書きすぎましたが決してアメリカが憎いわけではありません。アメリカかぶれの日本人はけしからんと思っていますが。特に知識人とか言ってさもアメリカをよく知っているような言動をしながら神社に神頼みをしているやからのことです。
それではおやすみなさい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ヨット編(27)

2006年07月23日 20時44分12秒 | 趣味
7月23日(日)雨
今日はヨット整備にマリーナに行ってきました。先週神島クルージングあとの船内整理です。クーラーボックスの中には、氷の解けた水の中に缶ビールやらペットボトルが残っているので水を切り次回用にしまっておきます。あと先週以降降った雨水がマストを伝って船内に溜まってしまうので電動ポンプで汲み出し、ラジカセの電池の接点がさびてしまっていたのでペーパーで錆びを落としました。エンジンまわりもバッテリーの予備の方が10、4Vしかないので充電してもらうようハーバーに頼み、警報音が出なくなっている件については続いた雨で接点がおかしくなっている可能性があるので天気がよくなるまで様子をみることにしました。釣り道具の整理もしておかないとと言うことではずした針もきちっと次の時使えるようにとまいていたら針が2本なくなっていました。どっかにひっかかて多分とれたのでしょう。針とか錘とかこませかごとか袋に入れておいたけど、やっぱり整理箱が要ります。帰ってから100円ショップで丁度いい箱を見つけました。
僕の船の中は100円ショップの宝庫なんですが、ざっと思いつくままに言うと、はさみ・ペンチ・かなづち・傘・料理用ボール・ガラスのコップ・紙コップ・紙皿・まな板・タオル・・・などです。最近の100円ショップは日用品のたぐいなら何でもありますね。今日もついでに机の中の整理用の筆箱と小物(ドライバー・テープ…)用のA4サイズの底の浅い箱やら風で飛ばないハンガー・くつべらを買ってきました。100円ショップの商品ならある程度使い捨てができるので普段あまり使わないヨット内の備品にはもってこいです。そう言えば船底塗装で使う刷毛や皮抜き・カッパなどもみんなそうでした。デフレを象徴するような100円ショップの製品はきっと中国製なんでしょうね。これからの時代はTPOに応じて廉価粗悪品と高価良品をじょうずに使い分けていくと言うことなんでしょうか。そしてわが国の製品は高価良品のレベルをあげて行くことがますます重要になっていると言うことだと思います。
それではまた明日。来週は金曜から立山に行ってきます。15年ほど前出向していたメンバーで毎年一回旅行をするのですが、今年は信濃大町から黒部・立山を通って宇奈月温泉まで一緒に旅をして解散、僕は富山に出て日曜の遅くに名古屋に戻って来る予定です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(94)

2006年07月21日 23時14分57秒 | ビジネス
7月21日(金)雨
毎日よく降ります。もう子供たちは夏休みに入ったと聞きましたが、自分の子供の頃は夏休みに入る頃は夏真っ盛りになっていた記憶があるのですがここ数年はいつもこんな感じですね。真夏が短く残暑が長いパターンになっているような気がします。子供の頃の9月は涼しくて過ごしやすかった記憶があるのですが、最近は残暑が続きあっという間に冬がやってくる感じです。四季はあるものの亜熱帯的になってきているのは地球温暖化のためでしょうか。

ところで今日は飲み会があったので、手短に行きます。今週は製造業を例に今後生き残って行くためのビジネス領域(複数要因の調節によって製品の目的を達成するような製品)とそれを継承する若い世代の育成について話をしてきました。インターネットの普及により僕らは簡単にいろいろな情報を手に入れることができるようになりました。従ってなんでもネットで検索すればできないものはないと思われがちです。ただネット上で得られる技術やノウハウは単なる形式知であって、実際のノウハウの部分はそれぞれの暗黙知の領域にあること。この暗黙知を手に入れるには実践を積みながら適切な指導が必要だと言うことです。
ゴルフのノウハウがいろいろな雑誌で紹介されています。みんな紹介されたノウハウ(形式知)を真似してやっていますがそれでうまくなった人を知っていますか?多分そんなんでうまくなれたら僕はとっくに90は切っているでしょう。人一倍練習したり、プロの指導者からマンツーマンで注意されながら練習した人だけが上達していくわけですよね。仕事も僕はまったく同じだと思っています。マニュアルを見て確かにできるかもしれませんがそれだけであればこれはコストの安い国で作るべき運命にある製品でしょう。
マニュアルをみて頭でわかっていても、あるいはマニュアルどおりに作ったものでも、思ったようにできないものが多いのではないでしょうか。これは実践を積むしかない世界です。そしてだからこそ価値があり、中国でもなかなか真似できないものなのです。

昔子供の頃、木をくり抜いて船を作ったことがあるのですが中にモーター、乾電池等々部品を取り付けてラジコンの動力船を作ることでしたが頭の中ではちゃんとできるはずなのですが、まず船体が浮かんだときにどうしても傾いてしまい、そのたびに木のくり抜きを少しずつしながら、あげくのはてに手に怪我をしてしまい、傾いたままの船であきらめてしまったことがあります。これなんかはマニュアルだけではできない製品の良い例です。バランスの調整やスピードの調整やら複雑な要因のバランスをとり船と言う製品が完成するわけですが、マニュアル以外のノウハウを習得しないとビジネスにならない物のいい例だと思います。
一方僕は学生時代にステレオのメインアンプをマニュアルだけで作ったことがあります。自分で言うのも何ですがかなりうまくできました。もっともほとんどがICの組み合わせだけだったので素人でも売り物になるくらいのものができたと思います。実際当時はお金がなかったので彼女にプレーヤーとチューナーをつけて3万円で買ってもらいましたが、このような製品はマニュアルだけで出来てしまういい例だと思います。そしてこのような製品は日本が今後取り組むべきでないものです。前者のような目に見えないノウハウがある調整型の製品こそ今後日本の製造業が目指すものだと思います。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。この話はここまでです。来週はまた違う話にしましょう。明日は静岡の田舎で法事があって朝早く出掛けるのでおやすみです。ではまた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(93)

2006年07月20日 22時34分12秒 | ビジネス
7月20日(木)雨一時曇
今日は久しぶりに東京に出張し、昔の若い部下達に会ってきました。現在作っている商品の説明を聞いてもらったのですが、しばらく見ないうちにみんな目に見えるように成長したなと実感しました。この子達を東京に送り出してよかったなと感じた日でもありました。昔そんなに勉強していたかなと思うくらいよく勉強しているし、勉強したことが自信につながって言うこともテキパキしています。やはり井の中で育てるより千尋の谷なのかもしれません。
我々団塊世代はコンピューターイノベーションの中で自信を失いかけているためどうしても若い人の教育に甘くなってしまっています。昨日の話も現在日本で生き残っている製造業は複数の要因を調整しながら一つの製品として完成させるようなものや職人的な技を要する製品であって、規格化された部品の組み合わせだけのデジタル家電のような製品はコスト競争に負けて苦戦を強いられていると言った話でした。そこで日本の強い部分を若い世代に継承していくためには、千尋の谷で鍛えてやることしかないのですが、どうも甘くなってしまう傾向ににあります。
今の若い世代は環境を作ればどんどん伸びる世代だと思います。ただこの環境を冷暖房完備にする必要はまったくなく千尋の谷でいいのだとつくづく思います。心のケアだけ見守るだけでいいのかもしれません。心が充実している時はより厳しく、心が疲れた時は気分転換させるマネージメントができていれば人は勝手に育っていくような気がします。
そして僕はこの年になっても彼らに教わることが多いのだけれども、今日も若い彼らに教わることがいくつかありました。僕の方がよっぽど井の中の蛙だったかもしれません。ちょっとくやしいけれど、まあ僕みたいな自分の思いだけで動き回る人のもとで巣立っていった子らが生き生きと一人前にやっているのを見るとうれしくなってしまいます。
現在僕が開発に携わっている商品は、どうなるかわかりませんがみんな一人一人が一人称で考え、質問し、自分の考えを発言してくれたことだけで大満足です。特に前回課長クラスで同じような説明をした時とまったく違ったのでよけいにそう思うのかもしれません。
人間と言う動物は役職が付くと、人目ばかり気にして本心を言わなくなります。特に自分に自信のない者ほど素直な質問とかしなくなってしまいます。それは課長なのにあんなことも知らないと言われるのが恐いからよけいそうなってしまうのでしょう。自分も昔経験ありますがもっと勇気を出して素直な気持ちでことにあたってみると、誰も馬鹿にすることもなければ、自分にとって知らなかったことが入ってくるものです。どんなに威張ってみても所詮はどこかで化けの皮ははがれるものです。だったらありのままの自分で素直に対処した方がいいに決まってます。我々は神様でもないのだから知らないことがあって当たり前だし、役職があるからといってすべてが勝っているわけではないのだから。ただ組織の中での役割や機能が違うだけなのですから。
ちょっと話がずれてしまいましたが、若い人達には日本のいい所は何なのかと言うことをよく分析して、よいところを継承する努力を続けてほしいものです。昨日は僕の思う分析を述べただけですが、一人一人が考えて自分のできる範囲のよい点を学ぶ姿勢がこれからの日本には一番必要なことだと思います。
きょうはこれでおしまいです。お付き合いいただきありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(92)

2006年07月19日 23時09分01秒 | ビジネス
7月19日(水)雨のち晴
さて今日はビジネス編戻るわけですが、別にテーマがある訳ではありません。そこで先週までこれからのビジネスと言うテーマでどちらかと言うと心構えのような話ばかりだったと思いますので日本のビジネスについて考えてみましょう。
日本のビジネスと言うとやっぱり世界に通用するのは製造業です。ところがこの製造業も最近特に中国製品に押されっぱなしです。ところが同じ製造業でも依然として世界のシェアを独占しているような物もあれば、価格面でとてもかなわなくなった製造業とあります。たとえば金型、工作機械、特殊電球・・・・などは相変わらず強いですよね。一方家電、IT製品、繊維製品などは次から次へと安い商品が出てきて国内企業は太刀打ちできない状況です。ではどうして価格が安くなって利益が出せない製品と安定的に利益が出せる製品があるのでしょうか?価格が安くなる商品は中国をはじめとするアジアで生産されるものばかりです。特にディジタル製品はもうアメリカや日本のような賃金水準の高い国では製品化できなくなってきています。家電製品やパソコンを分解してみるとその構造がよくわかると思いますがCPU・メモリ・HDD・・・各部品がそれぞれ規格化されていてそれらをどう組み合わせるかだけでいろいろな製品ができがっています。そしてそれぞれの部品は特殊な技術ですが組み立ててできあがった製品はすぐにまねすることができるものばかりです。一方日本がいまだに強い製品をみてみると金型のような職人技への依存度が高い製品や一つの機能を実現するのに複数のモジュール間の調整を必要とするものがほとんどです。要するに機能が単一で規格化されている部品の集合体である製品は中国にはかなわないけれども、複数の部品の調整によって一つの製品となるようなものは簡単にマネできないので安定的に利益を確保できるため日本の製品が市場から追い出されるまで至っていないと言うことだと思います。
と言うことは高度な技術で提供される部品レベルの物と複数の部品を使って一つの機能実現するための調整を必要とするような物がこれからの日本の企業の主力製品でありうると言うことになると思います。従ってこれからの企業にとっての戦略は製品の機能が複数の要因を組み合わせた調整ノウハウを持つ製品に作り上げて行くことであるし、企業で働く人はこの調整ノウハウをいかに引き継いでいくかが非常に重要になってきます。
最近団塊世代が抜けるとノウハウを持った人がいなくなってしまうと言った企業のことがよく話題にあがります。そして片やノウハウをマニュアル化してあるから大丈夫といった安易な考えも平気で横行しています。確かにある程度まではコンピュータに記憶させて実現できるかもしれませんが、人間の経験による感覚やノウハウはすべて言葉で表現できるようなものではないと思います。自分が長年の経験で得たノウハウはやっぱり経験しながら伝えていくしか方法がないような気がします。その点はスポーツの世界とまったく同じような気がします。ヨットでも舵を切るタイミングとセールを引くタイミングは潮の流れ・風の強さなど複数の要因の上に成立つ感覚を言葉で表すといってもとても無理なことです。要するに暗黙知は100%形式知にすることはできないと言うことです。
きょうはここまでです。ここまで読んでくれてありがとうございます。おやすみなさい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする