先の連休には2冊の小説を読んで、4体のプラモデルを組み立てました。3日間の成果としては良いほうだと思うので満足していますが、本の内容には少々不満です。
1冊目。
「十角館の殺人」
たいへん有名な作品です。購入したのはかなり前なのですが、登場人物が互いに探偵のニックネームで呼び合うのがどうにも恥ずかしいというか痛々しいというか、冒頭で萎えて読み進めることができなかったのですが、今回はなんだか落ち着いて読めました。どんでん返しのインパクトで有名な作品ですが、私は事前情報を仕入れずに読んだのでオチを楽しむことが出来ました。古い作品のせいか割と正統派。ストロングスタイル。ラスト間近までにミスリード含めて情報はほぼ出揃い、私は見事に引っかかったので終盤で「なんだと?!」と驚愕。え、それはありえなくね?というトリックを「ありえる」ように見せかける段取り説明に入ってからは、ああ、あれはそうだったのかーと納得。同時にこんな細かく事件の仕組みを考えないとならない推理小説家という人種に気の毒な気分が湧いてきました。あとがきにもありましたが、常に読者の裏をかくことを期待されるうえ、先人のアイデアを使うとパクリと貶され、ミスリード満載や情報を不足させたままのオチだとこれも卑怯と非難されるのです。
昔のPSのギャルゲーで「Lの季節」というのがあって、学園内で起こる事件の犯人は異世界の魔王だったという酷いシナリオで、これギャルゲーだからいいけど、推理小説でやったら総スカンだなと呆れたものです。今はそういう反則手もアリとして支持層があるそうですが、普通は読者の信用失ったらもう本は買ってもらえません。作者が読み手の裏をかくことに意識が向きすぎて、予測を裏切ろうとして期待も同時に裏切っちゃって、誰も得しない展開ばかり続けて終いには見放される、という事例がいくつもあるので、物語を書く人は大変だとしみじみ思います。
この本は当たりの部類。わりと直球剛速球なトリックもの。最初に途方もない嘘をかましておいて最後にひっくり返す展開。よく読めばところどころにちゃんと正解のヒントもあります。これがデビュー作かよ。登場人物の掘り下げとかはそれなりですが、全編パズル的に組まれた技巧作品。よく出来たびっくり箱なのですが1回しか使えない使い捨てギミックなので2回読む必要はありません。どういう真相なのだろうという先への期待で引っ張るタイプなので、オチが分かって読む話ではありません。ページのほとんどはなんだか癖のある少々嫌な感じの登場人物達がいがみ合う描写に使われているので、文章自体が楽しいわけではありませんし。
この無難なタイトルがかえって良かったと思います。
以前に叙述トリックがすごい小説としてどこかで紹介されていた「ハサミ男」。正体不明の殺人鬼ハサミ男が獲物を横取りされて真相を追う、というあらすじ紹介なのですが「正体不明だったら男かどうかわからんだろ」とか思ってたらそれがオチで使われるトリックでがっかり。ハサミ男の正体は女。うん最初から読めてました。
こないだ映画になった「ドラゴンタトゥーの女」は宣伝文句が「誰がハリエットを殺したのか?」でしたが、そもそもハリエットは死んでない、という酷いネタバレをふたばのスレで見てがっかりしたこともありました。ミステリ・サスペンスの類は最初の嘘がでかいほど仕掛けを大きくできるけれど、その嘘が露骨なミスリード誘いや前提崩しだと失望度も比例して増えます。
もう1冊。
「血まみれの月」
キチガイ殺人鬼を天才刑事が追う話。異常事態を異常人材で解決するのってなんだか面白そうです。自分の想像を超えた常識外の対応が見れると期待するものです。
これは期待ハズレでした。
問題その1。文章が読みにくいです。海外小説は訳者の文章センスも大きく影響されますが、この本はあとがきで「作者は文章が下手です」と言われてました。多分それは訳者のいいわけではなく事実でしょう。短い文章を積み重ねるタイプですが表現やら語句の配置がイマイチです。文章そのものの並び配置を訳者が入れ替えしすぎては内容の意味が変わるので、おそらく元々がこういう味気ない文章。質より量の文章。描写が丁寧なわけでもなく心情が豊富なわけでもなく、それはもうわかったということを何度も書くような記述の薄味を文字数で補うようなスタイルで、個人的には苦手です。
問題その2。話の進みが遅いです。全4部構成ですが犯人と刑事が向き合うのが3章から。そこ以前の2部は異常殺人鬼と変人刑事の個々のエピソードで、話は交わりません。このパートが不要とまでは言わないけどプロローグで1/10に削っても十分だと思います。そして肝心の3章に入ってもなかなか主人公二人は向き合わない。確かに刑事と犯人が向き合ったら逮捕か射殺で話が即終了してしまうので仕方のないことですが、犯人側が極めて用意周到に動くため、刑事側がなかなか的を絞れず動きが取れません。
問題その3。登場人物がキモい。主人公刑事は天才的な刑事という設定なのですが、この人、閃き型なのです。いきなり脈絡なく犯人のイメージが湧いて唐突に動くから周囲の理解がなかなか得られません。閃き型主人公としては程度はかなりマシなほうで、一応捜査データと睨み合う場面も多いのですが、これって要は作者がこいつにしか情報与えないよという制限方式でして、逆に言えば主人公を天才にするために周囲を馬鹿に描くという、手法としてはかなり低級な部類に入ります。なのでキチガイ描写はしつこいけれど論理的な展開はぞんざいでどいつもこいつもボンクラに見えて感情移入を阻みます。狂人殺人鬼は超ナルシストストーカーでありがちなわかりやすいキチガイテンプレートをなぞっているため、だいたい行動は予想通りでそれ程キャラは立っていません。なので刑事側に力をいれたのか主人公刑事も変人です。悪い方向で。すぐに頭に血が上って叫ぶし、冷静に殺害現場を捜査したかと思ったら、別の場面ではキチガイルームで悲鳴を上げて逃げたり、家族関係も一方的な依存が見えるし、そのうえ女性にはだらしないという40歳の大人とは思えない程に落ち着きがありません。主人公キャラとしてはかなり残念な出来で、愛嬌のある悪漢という描き方でもありません。単に作者が狂気設定を持て余して異常な行動が散発しているだけに見えます。しかも先に書いたように事件解決の糸口を論理的に組み立てるのではなく、閃きという形で作者からの啓示を受ける巫女のように得るので、ちっとも頭脳明晰に見えません。コイツ自分で頭使ってないじゃん。頃合がきたから作者がぶっちゃけてるだけじゃん。作者はかっこいい主人公と考えているのかもしれないけど、描写力量が足りていません。
で、これだけ悪口書いてるけど感じたキモさのまだ半分くらいです。キモさの本体はホモ臭いこと。変態殺人鬼も狂人刑事もどちらもホモレイプされて狂っちゃった人です。悪いのは全部ホモ。若い頃にホモに襲われて精神が不安定になっちゃった二人がだんだんお互いを意識し始め、互いのテリトリーを侵しつつ、最後には殺し合う話です。実際の作者の性癖がどうなのか知りませんが、ホモセクシャルが胸糞悪く書かれていて、元々ホモネタが嫌いで苦手な私はますます話に乗れず、殺人鬼はもちろん刑事にも感情移入が出来ず、結局キモいからさっさと殺し合って終わってくださいとうんざりしながら終盤を読み進めました。登場人物の誰にも共感できませんでした。誰も好きになれませんでした。チンピラ汚職警官が自殺する場面だけは「こんな舞台からはさっさと退場したいよなあ」と理解できました。このチンピラ汚職警官が学生時代に犯人をホモレイプしたせいで、そいつが変態殺人鬼にクラスチェンジしちまったから、元はといえばコイツが事件の元凶なのですが、こいつ自身がその後の人生を嫌々生きてきたらしき事情が書かれていたので、あっさり死んだけどそれはそれでいいや。
刑事モノを書くのが難しいのはわかります。犯人のエピソードを派手に書くほど刑事は後手に廻り、なかなか良い活躍ができません。構造上仕方ありません。それでも新宿鮫の1作目、ダーティハリーの1作目は、犯罪者のヤバさとキレた刑事の激突がいい感じに書かれてたと思います。
今月はあまり買い物予定が無いのですが、昨日ふと思い立ちCDを買いに街に出ました。
「THE IDOLM@STER MASTER ARTIST 07 三浦あずさ」
このCDに収録されている「隣に…」という1曲のために買いました。
今までアイマスなんて手を出した事はないし、今後も絶対手は出さないシリーズ。でもこれだけは別。
きっかけは前日に見たニコニコ動画のある動画。
コレ。有名傑作動画。
「アイドルマスター 隣に・・・ 三浦あずさ (MA07販促)Ver.Final」
中の人が超絶に歌が上手いのは知っていました。君望ラジオとかで昔ぶいぶいいわしてたそうです。でもなこれは歌唱技術がどうとかいう話ではありません。もちろん歌のメロディも良いし、動画の作りも素晴らしい。でもそれ以外の話。面倒な話は止めます。私はこの動画を見てボロボロ泣いてます。ポリゴンデータに音声乗せて動かしてるだけのゲームのキャラクターなのに、まるであずささんの心の悲鳴が聞こえるようです。
この動画作成者の方はもうこの世にはいらっしゃいません。38歳の若さで亡くなられたそうです。
この歌、亡くなった大切な人を想う歌詞なんですよ。この作成者がプロデューサーさんになって、手塩にかけて育てて鍛えて立派に成長したあずささんがトラブルも乗り越えて見事に一曲歌い上げる内容。最初はうまくいかなかったけれど、プロデューサーと二人三脚でここまできて、苦労時代も回想しながら映像が流れて最後にサビで大盛り上り。
でも、今観てるとまるで葬式の弔辞のようです。ずっと一緒だった半身をもがれたような悲しい歌。こんなに頑張って、こんなに成長して、でも一番近くで見ていて欲しい人はもういない。いつもすぐそばで自分を育ててくれた人が、支えてくれた人がいない、もう会えない。
やられた。たかがファン動画とか考えなしに見たら号泣。動画の中のあずささんの歌う姿が故人に向けたものにしか見えない。作り物のハズなのにその製作者への思慕の想いが溢れ出している、まるでこのあずささんが嘆き悲しみ、本当に気持ちを遠い向こう側に届けようと全力で歌い上げてるいるように見えます。そうとしか見えない。彼の育てたあずささんが彼を想って歌い続けてるとしか思えない。
話が出来すぎだろ。
動画が上がった時点で素晴らしい出来。でもそれが製作者の夭折によって作品を枠を超えた意義を持ってしまった。現実とストーリーがシンクロしてこんな異様な傑作が生まれてしまった。
動画のラストに手を振るあずささんが妙に寂しそうに見えてしまうのは、私だけではないと思うます。
「THE IDOLM@STER MASTER ARTIST 07 三浦あずさ」
このCDに収録されている「隣に…」という1曲のために買いました。
今までアイマスなんて手を出した事はないし、今後も絶対手は出さないシリーズ。でもこれだけは別。
きっかけは前日に見たニコニコ動画のある動画。
コレ。有名傑作動画。
「アイドルマスター 隣に・・・ 三浦あずさ (MA07販促)Ver.Final」
中の人が超絶に歌が上手いのは知っていました。君望ラジオとかで昔ぶいぶいいわしてたそうです。でもなこれは歌唱技術がどうとかいう話ではありません。もちろん歌のメロディも良いし、動画の作りも素晴らしい。でもそれ以外の話。面倒な話は止めます。私はこの動画を見てボロボロ泣いてます。ポリゴンデータに音声乗せて動かしてるだけのゲームのキャラクターなのに、まるであずささんの心の悲鳴が聞こえるようです。
この動画作成者の方はもうこの世にはいらっしゃいません。38歳の若さで亡くなられたそうです。
この歌、亡くなった大切な人を想う歌詞なんですよ。この作成者がプロデューサーさんになって、手塩にかけて育てて鍛えて立派に成長したあずささんがトラブルも乗り越えて見事に一曲歌い上げる内容。最初はうまくいかなかったけれど、プロデューサーと二人三脚でここまできて、苦労時代も回想しながら映像が流れて最後にサビで大盛り上り。
でも、今観てるとまるで葬式の弔辞のようです。ずっと一緒だった半身をもがれたような悲しい歌。こんなに頑張って、こんなに成長して、でも一番近くで見ていて欲しい人はもういない。いつもすぐそばで自分を育ててくれた人が、支えてくれた人がいない、もう会えない。
やられた。たかがファン動画とか考えなしに見たら号泣。動画の中のあずささんの歌う姿が故人に向けたものにしか見えない。作り物のハズなのにその製作者への思慕の想いが溢れ出している、まるでこのあずささんが嘆き悲しみ、本当に気持ちを遠い向こう側に届けようと全力で歌い上げてるいるように見えます。そうとしか見えない。彼の育てたあずささんが彼を想って歌い続けてるとしか思えない。
話が出来すぎだろ。
動画が上がった時点で素晴らしい出来。でもそれが製作者の夭折によって作品を枠を超えた意義を持ってしまった。現実とストーリーがシンクロしてこんな異様な傑作が生まれてしまった。
動画のラストに手を振るあずささんが妙に寂しそうに見えてしまうのは、私だけではないと思うます。
長いこと放置していた積み漫画を崩す作業に入っています。
1年以上かけて続いた女神編が終わった「神のみぞ知るセカイ」19巻で一端区切りが付くのですが、これこのまま終わってもいいんじゃないの?素晴らしい完成度なのでここから続いていくうちに冗長になってグダグダになって転落、とか要らない心配をしてしまいます。ここまでの出来を見る限り、失敗は全くない計算され尽くした構成なので多分大丈夫だと思うけど、こんなにキレイに第1部完をやってしまうと今後のクォリティ維持のプレッシャーが大変なものではないかと余計な気遣いをしてしまいます。そのくらい19巻の締め方は素晴らしかった。読んでいて圧倒されました。私は割と本読みな方なので本を読んで圧倒された経験は今までに数度はあります。でもそれはまだまだ成長途中の若い頃の話。20歳になるまでに読んで圧倒された本が3冊ありますが、逆に言えばそれ以降は無い。無かった。ある程度人生経験も踏んでもう不惑と言われる年代に入った今年になって、こんな衝撃を食らうとは思っていませんでした。泣けるとか感動とかそういう枠ではくくれないインパクト。要するに、と頭でまとめようとしても何かが溢れ何処かが抜けてしまい、言葉に置き換えれない一枚絵。一枚絵と言ってはいけない。ここにくるまで何百というコマを使って描かれた「ちひろ」というヒロインの心情の行き着いて溢れ出した気持ちを描き出した最後の一枚絵。
たぶん、ここで私がどれほど言葉を重ねて書いても、近似値にはなれどあの絵の表現・説明にはならないのでもう止めます。
あのね、みんな翼が生えているのよ。自分以外は。好きな人は人知れず世界を背負って戦ってたのよ。みんなの運命も関わってたのよ。自分以外は。
だから惨めだとかそんな小さい話では無いのよ。彼女は図らずも凡人の身で世界の裏側を覗いてしまって、そこで出来ることをして、実際結構大事な役目を果たしてます。でもだからこそ自分の想いが届かないことがよく理解できるわけで。そして最後の涙はそれだけではない。言葉にはならない。
さて、積み漫画崩しの続きです。
「電波オデッセイ」
永野のりこの芸風は理系オタ男がちょいダサ可愛い女の子に惚れて四苦八苦するのが一貫していて、これもそのカテゴリなのですが、若干毛色が変わっていて主人公の女の子が現実の辛さに頭がブッ飛んでしまうとこから始まります。この作者、この作品とすげこまくんでやりたいことやり尽くして気が済んだらしく、以降あまり作品描いてないようですが、その分これらの作品には念がこもっています。キモくてダサくてヘボくてどろどろの暗黒の思春期をのたうちまわりながら過ごす、うんざりしそうな重いテーマを馬鹿馬鹿しくふざけて描くという珍しいスタイルなので、好きな人は大好きだけど合わない人にはとことん合わない漫画だと思います。元の発行部数が少なかったらしくしばらくレアもの扱いだったのですが、去年復刊されたのを買いました。私、これの元版の1,2巻は持ってたのですが売っぱらっちゃったのですな。なんというか他の永野作品と比べて重いし、話の進みも遅い。なので一度は切った作品。
で、読み返してどうだったかというと、「へっ」と鼻で笑ってしまいました。
多分、世間一般的な視点ならば内容的にはかなり良いのだろうと思うのですが、そう感じるだろう大多数には私は入らない。「みんな以外のうた」とか「永遠の仲間はずれの国」とか、入口からして既に狭いこの作者の作品世界において、さらに除外されてしまいました。要約すれば「貴方に幸せを」な話。この作者はデビュー時点で既に母親だったらしく、子を想う母の気持ちが根っこに込められていて、どんな人も祝福されているのよ、あなたは愛されているのよ、というテーマが読んでいくうちに現れて来ます。パッと見はマッドで怪獣でサイエンスだからそんな重たい漫画に見えないけど。
主人公たちは色々悩み苦しみ傷つくけど、それでも前を向いて進んでいきます。いろんなトラウマあるけれど、内面的に成長していくわけですが、これがそのなんというか個人的にはちゃんちゃらおかしい。
私個人に限って言えば、過去のトラウマは内面的成長ではなく、外部から力づくでぶちのめして克服してしまったので、実は愛されていたとか、廻りも辛かったとか、どうでもいいのです。別に親が愛さなくても、周囲が悩まなくても、子供は餌さえ食えれば勝手に育つからな。いちいち「私のこと好き?」とか「私のこと大事?」とか「私のこと覚えている?」とか気にしてても腹は膨れないぞ。辛い過去とかトラウマとか誰だってあるけど、今の御時世に大事に抱え込むようなものではないので、過去を知る人間とは縁を切り、恥だの未練だのは捨ててもあまり困らない。昔の知り合いなどどうでもいいし、おそらく向こうにとってもこちらなんぞどうでもいい。
過去にいろいろ人に言えない事をやってきた私ですが、それを今どうこうしようとかちっとも考えてないし、そういうのはとっくに関係整理して処分したし、服薬で一度システムダウンしたところから復旧した今現在の私は自分の脳みそにいかに快感を多く与えるかしか興味ありません。とことん分解してしまえば、脳というタンパク質の塊に神経を通じて「楽しい」という信号を送る作業を延々続けているだけなのです。こいつは結構グルメで贅沢だから同じ信号を続けて送っていると飽きて反応しなくなるので、多種多様な手段で手を変え品をかえ楽しませてやらないとダメなのです。そんな作業に追い立てられているのだから、トラウマとか悩みとかめんどくせえわ。自前のパーツがボロボロ壊れていってるのに「自分は愛されているのか?自分は何になりたいのだろうか?」とかのんびり悩んでる暇無いからな。このどんどん弱っていく頭のタンパク質の塊の微弱な電気信号が消えるまでにどれだけ遊べるかという問題で、他人の顔色伺ってる余裕ないわ。自分の部屋に未知の楽しさを埋没させたまま消えたくないじゃない。だからとりあえずは漫画読んで、プラモ組んで、力尽きて寝るのです。
なので、この漫画は主人公達にまったく共感できずに終わりました。お前らの悩みなんてどうでもいいわ。虐められてる?それがどうした。親に愛されない?だからなんだ。成人するまであと数年の我慢だ。虐めてくる奴はやり返せ。そんなわかりやすい攻撃、正当防衛の良い口実じゃないか。殴るという行為は単純なだけに効果は大きい。体格差は武器でカバー出来る。棒の一本あるだけでかなり違うから手始めに一人メッタ打ちにしてみればいい。各個撃破で根気よく全部やれば世界は変わる。未成年の間なら十分通用する。成人してからでもいいけどやるときは徹底的に。徹底的に。世間じゃまずオススメされないけれども、愛してくれない親を恨んで悩むくらいなら、親もボコっちゃっていいのよ。歴史を調べてみると親族同士で殺し合いなんて珍しくないから身内にコイツ殺してぇとか感じるのも割と普通のこと。ウチの親族も仲悪いしな。
他人とどう関わろうが、仕組みの中に収まって暮らしていれば生きていけるから今は良い時代です。多分親の世代では社会が不便すぎて共同作業が避けられなかったと思うので、私のような奴は生きていけなかったのでしょうけど。
1年以上かけて続いた女神編が終わった「神のみぞ知るセカイ」19巻で一端区切りが付くのですが、これこのまま終わってもいいんじゃないの?素晴らしい完成度なのでここから続いていくうちに冗長になってグダグダになって転落、とか要らない心配をしてしまいます。ここまでの出来を見る限り、失敗は全くない計算され尽くした構成なので多分大丈夫だと思うけど、こんなにキレイに第1部完をやってしまうと今後のクォリティ維持のプレッシャーが大変なものではないかと余計な気遣いをしてしまいます。そのくらい19巻の締め方は素晴らしかった。読んでいて圧倒されました。私は割と本読みな方なので本を読んで圧倒された経験は今までに数度はあります。でもそれはまだまだ成長途中の若い頃の話。20歳になるまでに読んで圧倒された本が3冊ありますが、逆に言えばそれ以降は無い。無かった。ある程度人生経験も踏んでもう不惑と言われる年代に入った今年になって、こんな衝撃を食らうとは思っていませんでした。泣けるとか感動とかそういう枠ではくくれないインパクト。要するに、と頭でまとめようとしても何かが溢れ何処かが抜けてしまい、言葉に置き換えれない一枚絵。一枚絵と言ってはいけない。ここにくるまで何百というコマを使って描かれた「ちひろ」というヒロインの心情の行き着いて溢れ出した気持ちを描き出した最後の一枚絵。
たぶん、ここで私がどれほど言葉を重ねて書いても、近似値にはなれどあの絵の表現・説明にはならないのでもう止めます。
あのね、みんな翼が生えているのよ。自分以外は。好きな人は人知れず世界を背負って戦ってたのよ。みんなの運命も関わってたのよ。自分以外は。
だから惨めだとかそんな小さい話では無いのよ。彼女は図らずも凡人の身で世界の裏側を覗いてしまって、そこで出来ることをして、実際結構大事な役目を果たしてます。でもだからこそ自分の想いが届かないことがよく理解できるわけで。そして最後の涙はそれだけではない。言葉にはならない。
さて、積み漫画崩しの続きです。
「電波オデッセイ」
永野のりこの芸風は理系オタ男がちょいダサ可愛い女の子に惚れて四苦八苦するのが一貫していて、これもそのカテゴリなのですが、若干毛色が変わっていて主人公の女の子が現実の辛さに頭がブッ飛んでしまうとこから始まります。この作者、この作品とすげこまくんでやりたいことやり尽くして気が済んだらしく、以降あまり作品描いてないようですが、その分これらの作品には念がこもっています。キモくてダサくてヘボくてどろどろの暗黒の思春期をのたうちまわりながら過ごす、うんざりしそうな重いテーマを馬鹿馬鹿しくふざけて描くという珍しいスタイルなので、好きな人は大好きだけど合わない人にはとことん合わない漫画だと思います。元の発行部数が少なかったらしくしばらくレアもの扱いだったのですが、去年復刊されたのを買いました。私、これの元版の1,2巻は持ってたのですが売っぱらっちゃったのですな。なんというか他の永野作品と比べて重いし、話の進みも遅い。なので一度は切った作品。
で、読み返してどうだったかというと、「へっ」と鼻で笑ってしまいました。
多分、世間一般的な視点ならば内容的にはかなり良いのだろうと思うのですが、そう感じるだろう大多数には私は入らない。「みんな以外のうた」とか「永遠の仲間はずれの国」とか、入口からして既に狭いこの作者の作品世界において、さらに除外されてしまいました。要約すれば「貴方に幸せを」な話。この作者はデビュー時点で既に母親だったらしく、子を想う母の気持ちが根っこに込められていて、どんな人も祝福されているのよ、あなたは愛されているのよ、というテーマが読んでいくうちに現れて来ます。パッと見はマッドで怪獣でサイエンスだからそんな重たい漫画に見えないけど。
主人公たちは色々悩み苦しみ傷つくけど、それでも前を向いて進んでいきます。いろんなトラウマあるけれど、内面的に成長していくわけですが、これがそのなんというか個人的にはちゃんちゃらおかしい。
私個人に限って言えば、過去のトラウマは内面的成長ではなく、外部から力づくでぶちのめして克服してしまったので、実は愛されていたとか、廻りも辛かったとか、どうでもいいのです。別に親が愛さなくても、周囲が悩まなくても、子供は餌さえ食えれば勝手に育つからな。いちいち「私のこと好き?」とか「私のこと大事?」とか「私のこと覚えている?」とか気にしてても腹は膨れないぞ。辛い過去とかトラウマとか誰だってあるけど、今の御時世に大事に抱え込むようなものではないので、過去を知る人間とは縁を切り、恥だの未練だのは捨ててもあまり困らない。昔の知り合いなどどうでもいいし、おそらく向こうにとってもこちらなんぞどうでもいい。
過去にいろいろ人に言えない事をやってきた私ですが、それを今どうこうしようとかちっとも考えてないし、そういうのはとっくに関係整理して処分したし、服薬で一度システムダウンしたところから復旧した今現在の私は自分の脳みそにいかに快感を多く与えるかしか興味ありません。とことん分解してしまえば、脳というタンパク質の塊に神経を通じて「楽しい」という信号を送る作業を延々続けているだけなのです。こいつは結構グルメで贅沢だから同じ信号を続けて送っていると飽きて反応しなくなるので、多種多様な手段で手を変え品をかえ楽しませてやらないとダメなのです。そんな作業に追い立てられているのだから、トラウマとか悩みとかめんどくせえわ。自前のパーツがボロボロ壊れていってるのに「自分は愛されているのか?自分は何になりたいのだろうか?」とかのんびり悩んでる暇無いからな。このどんどん弱っていく頭のタンパク質の塊の微弱な電気信号が消えるまでにどれだけ遊べるかという問題で、他人の顔色伺ってる余裕ないわ。自分の部屋に未知の楽しさを埋没させたまま消えたくないじゃない。だからとりあえずは漫画読んで、プラモ組んで、力尽きて寝るのです。
なので、この漫画は主人公達にまったく共感できずに終わりました。お前らの悩みなんてどうでもいいわ。虐められてる?それがどうした。親に愛されない?だからなんだ。成人するまであと数年の我慢だ。虐めてくる奴はやり返せ。そんなわかりやすい攻撃、正当防衛の良い口実じゃないか。殴るという行為は単純なだけに効果は大きい。体格差は武器でカバー出来る。棒の一本あるだけでかなり違うから手始めに一人メッタ打ちにしてみればいい。各個撃破で根気よく全部やれば世界は変わる。未成年の間なら十分通用する。成人してからでもいいけどやるときは徹底的に。徹底的に。世間じゃまずオススメされないけれども、愛してくれない親を恨んで悩むくらいなら、親もボコっちゃっていいのよ。歴史を調べてみると親族同士で殺し合いなんて珍しくないから身内にコイツ殺してぇとか感じるのも割と普通のこと。ウチの親族も仲悪いしな。
他人とどう関わろうが、仕組みの中に収まって暮らしていれば生きていけるから今は良い時代です。多分親の世代では社会が不便すぎて共同作業が避けられなかったと思うので、私のような奴は生きていけなかったのでしょうけど。