続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

映画感想「オオカミ狩り」2023年の大量流血映画

2023-05-28 19:48:58 | 映画の感想

GWの血塗れ映画ハシゴ2本目「オオカミ狩り」を観ました。過激なバイオレンス描写でR15指定受けてます。大勢の韓国人犯罪者と監視の警官を船に詰めて、フィリピンから韓国まで輸送する途中で壮絶な殺し合いが起きる、というあらすじなんだが、その単純なバイオレンス映画なのに上映時間2時間以上あります。アクション映画にしちゃ長くないですか?しかし、胸焼けするほどバイオレンス描写を通り越した、残酷ゴア場面が満喫できるのは間違いないとの前評判です。期待しましょう。


1.残忍で狡猾な犯罪者チームVS残念で迂闊な警察チーム

舞台の準備と伏線を撒くパートです。でかい貨物船に連行されていく犯罪者達と荒っぽい警察官達に加えて医者が顔見せしていきます。ここで観客へ主要人物を覚えてもらう場面ですが、重要人物とモブの映し方が上手い。登場人物はほとんどおっさんばかりが50人以上ぞろぞろと出てくるけど、キーパーソンには目立つ言動させて強く印象付けしてくれるおかげで、大人数の殺し合い場面でも誰が何の意図で動いているのか、視点が迷子になることはありませんでした。

主要人物1.ジョンドウ


全身に蛇の入墨をいれた常軌を逸した残虐性を持つ男。頻繁にナイフを人の首に刺す。おっさん揃いのなかでアイドル顔のお兄さんだが、三白眼の迫力で圧倒的な悪役振りを披露してくれます。


主要人物2.ドイル


もう一人のアイドル顔お兄さん。ジョンドウ曰く「久しぶりだなナイフ使いのドイル、10年前からぜんぜん変わってないな」とのことですが、これが後半の大きな伏線でした。前半はあまり行動しません。


主要人物3.婦人警官ダヨン


婦人警官2人いるけど優秀な方の婦人警官。船内の異変にいち早く気づいたり、勘が良く行動力もある。警察側の主人公ポジション。

犯罪者を収容した監獄船が出港した頃に、船の航行を管理する管制室が謎の集団に乗っ取られたりするけど、まだ大きな動きはありません。
一方で船内では、ジョンドウが小さな針金を吐き出しこっそりと手錠の鍵を外していました。さらに船の乗組員にも内通者が居り、銃火器を持ち込んで操縦室を制圧してしまいます。そこから始まる大虐殺タイム。犯罪者達は乗組員を銃で脅して従わせるとか面倒なことはしません。片っ端から殺してしまいます。通信機器や救命装置も壊してしまいます。え、誰が操縦すんの?遭難するよ?漂流するよ?大丈夫?と心配になるくらい、彼らは後先考えず片っ端から人を殺します。船のスタッフに監視の刑事もバンバン殺し始めます。そのたびに派手に血飛沫が飛び散ります。銃で撃ったり、ナイフで何度も刺したり、特に多いのが喉をナイフで一突きする殺し方。一瞬で仕留めるので、刃物が人体に刺さっていく直接的な場面はありませんが、喉からナイフグリップを生やしたおっさん達が大量出血しながら倒れるシーンは頻発します。とはいえデカい船なので、犯罪者達が武器調達して反乱を起こしても、監視担当に付いていた刑事を始末しただけで、まだ控えの刑事達が残っています。少しづつ犯罪者側に有利な状況へ傾いていくのが前半の流れです。

これらと無関係に、医者が船底で隠されている謎のミイラへ投薬しています。ミイラ周辺にいる怪しい男たちは上で暴れているジョンドウ達とは無関係らしく、この船には犯罪者の移送以外にも何かの計画が仕込まれている様子です。

暴れまわるジョンドウ始め犯罪者集団に対し、いち早く異変に気づいたダヨン達警察チームも対抗して戦い始めました。紆余曲折あり、彼らは機関室で総員が銃火器を構えて睨み合う膠着状態に陥ります。誰かが引き金を引けば全員が一斉射撃を始めて何人生き残れるのかわからない至近距離での睨み合い。普通のアクション映画ならこれは最終決戦に持ってくる山場です。全員が最大火力を撃ち合うクライマックス手前の場面ですが、まだ映画上映時間の半分くらいほどしか経っていません。画面には誰も動けない緊張感が漲っています。

 


2.怪人乱入

全員が至近距離で銃火器を突き付け合う膠着状態に、突然乱入してきた奴がいます。その場にいる全員が「誰?」と戸惑っている間に、そいつは手近な者から惨殺し始めました。警察も犯罪者も相手構わず見境なしに片っ端から殺してしまう乱入者に向けて、両者が銃や刃物で反撃しますがまるで歯が立たず、死体が増えるだけでした。やがて何の予告もなく突然現れて大虐殺を始めた奴の容姿がハッキリ見えてきます。目はまぶたを縫い留められた異様な形相、歩く足音はやけに重く金属質な響きがあります。そして人体を素手でグシャグシャに破壊する馬鹿げた怪力と、銃で撃たれてもまったく怯まない頑丈な身体、これは怪人だ。宣伝にあった「怪人」がようやく登場です。あまりにやりたい放題の大暴れに、凶悪残虐ジョンドウ兄さんが絡みに行きました。前半に暴虐の限りを尽くし相手構わず大殺戮を働いたジョンドウ兄さんからすれば、後からしゃしゃり出てきた怪人にデカい顔されるのは面白くないでしょう。いつものようにオラ付きながら煽りますが、逆にボッコボコに叩きのめされました。今までの犯罪者や警察ならここで死んで終わりでしたが、怪人の凶暴性はさらに上なので、ボコられてダウンしているジョンドウ兄貴を機関室の機器に引っ掛けて立たせると、更に追い打ちを叩き込みます。服がはだけて全身の入墨丸出しになったジョンドウ兄貴は、三白眼の不敵な笑いを浮かべていましたが、怪人はその笑顔めがけてハンマー連打。何度も何度もハンマーを振り下ろし、ジョンドウの頭部は無くなってしまいました。画面でも血塗れなった胴の上には何も無いんだ。これは前半に大暴れしたジョンドウが粉々に破壊されて、後半はさらに凶暴性の高い怪人が引き続き大暴れする主役交代劇です。そしてジャンルも変更です。今までは出血量多めながらクライムアクションの延長でしたが、ここからはガチのモンスタースラッシャーです。

新主人公の怪人は素手で人体破壊できるうえに銃が効かないため、正面からずんずん歩いてきて、手当たり次第に人間を殺してしまいます。なぜ殺すのかはコイツが何も喋らないのでわかりません。
ここで前半は影の薄かった主要人物2のドイルが動き出します。ドイルさん強いんだ。怪人相手に対等に渡り合う超人的な戦闘力を発揮します。この人いったい何者?
乗員を一人残らず惨殺するのが目的なのか、怪人は人間離れした動きで船内を移動し殺戮を続けます。しかし、その間に数の絞られた主要人物達が集まり、この輸送船に仕込まれた謎を解いていきます。

怪人が着ていた囚人服がとても古い時期のものだと判明したり、船底でミイラを保管していた部屋へ向かうと、怪しげだったスタッフの男達は惨殺されており、ミイラが消えていたりと、状況証拠が増えていきます。怪人の正体は船底の部屋で保管されていたミイラが、人間の血を吸収して蘇ったものです。人間の血はジョンドウ達が散々殺した死体から排水溝などを通り、船底の部屋に流れ落ちていました。やっぱりジョンドウ達が殺されたのは自業自得だったな。

さらに、現場に残っていた資料から怪人の正体がわかりました。太平洋戦争中に日本軍が人体実験で作り出した改造人間でした。狼の遺伝子とかけあわせて改造人間を作ったけれど、彼は精神に異常をきたしてしまったらしく、常時激怒状態のうえに全身が改造手術のせいで痛みに苛まれてるそうで、理性が働かず無差別暴力怪人と化してしまいました。

この改造手術場面がいかにも韓国人の考えた日本軍イメージで、昭和特撮の悪の組織そのままです。しかし役者は韓国人なので日本語イントネーションがおかしい。手術を「チュジュチュ」と発音するので、外国人が日本人役を演ずるのはなかなかに難しいようです。
それはさておき、怪物の正体である「旧日本軍の改造人間」は一人ではなく、他に2人居ることが資料からわかります。そして改造人間の特徴として、胴体中央を縦に走る大きな縫合痕と、左肩に番号の焼印が押してあることです。つまりシャツなどがはだけると一目でバレます。

それで新しくもう一人の改造人間の正体がバレました。ナイフ使いのドイルも改造人間でした。改造人間は年を取らないそうで、戦時中の怪人がそのまま暴れてるのも、ドイルの外見が10年前から変化しないのも、不老体質のせいです。

ならばドイルも戦時中から生きてるの?といえば違います。彼は現在進行系で行われている改造人間製作事業の被害者です。韓国では戦時中に日本軍が行った研究を引き継ぎ、現在でも身寄りの無い人間をかき集めては、人体改造実験を繰り返しています。それを指示しているのは、戦争を生き延び年を取らないまま社会的な高い地位に上り詰めた、別の改造人間だったりします。悪の大ボス的に指示を出している場面が映りますが、彼の胴体と肩には縫合痕と焼き印がガッツリ出ているからね。

そうこうしている間にも、船内の怪人は犯罪者チームの生き残り達を執拗に殺し続けています。警察が外部に救援を求めようにも、船の操縦室は破壊されて通信機器が使えません。犯罪者達が前半で真っ先に大事な装置を壊してまわってたからな。状況は絶望的です。

 


3.どうしてそんなに強いのですか?

ところが、連絡手段の無い洋上で遭難している船へヘリコプターが降りてきました。異常を察知して救助に来たのかと言えばさにあらず。彼らは前半パートで航行管制室を占拠した謎の集団に所属する戦闘チームでした。船の動きを監視していたら、通信機器破壊のせいでレーダーから消失し移動経路を追えなくなったため、周辺区域の航行データから位置を割り出し、制御から外れた船を鎮圧しに武装盛り盛りで駆けつけて来たわけです。
怪人から必死に逃げて来た、生き残り達が保護をお願いしても彼らの反応は冷たいものでした。冷たいどころか邪魔だとばかりに婦人警官ダヨンを射殺してしまいます。これには驚きました。ここまで危機に立ち向かい続け、劇中で最も頑張っていた主人公ポジションのキャラがあっけなく退場。てっきりダヨンが最後まで生き残ると予測していたので、観ていて混乱してしまいました。

そのまま鎮圧特殊部隊は生き残りを掃討しつつ怪人を探します。そしてついに怪人と遭遇。怪人の戦力を知ったうえで乗り込んで来ている連中なので、怪人相手でも引けを取らない強さです。というより、彼らも改造人間です。怪人のように精神に異常をきたしておらず、集団行動が取れる超人部隊です。到着前に変な薬をドーピングしてる場面あったし。このチームの所属する集団は、既に改造人間を製造し実用的に運用するノウハウを確立してると思われます。そして旧型改造人間の怪人は徐々に押されていき、ついに戦闘チームに倒されてしまいました。仕留めたのはチームを指揮するリーダーのおじさんです。

実はこのおじさんが、この映画最大の謎です。
途中でコンクリートの壁を素手で砕いたり、常人ではない描写こそあるけれど、改造人間ではありません。胴体に縫合痕も見えません。それなのに特に武装もせず普段着にナイフだけの格好で怪人を倒してしまいました。つまり周囲の全身防具+銃火器武装+ドーピング済の改造人間達より、素で圧倒的に強い。メチャクチャ強い。手がつけられないほどに強い。劇中最強キャラです。しかし劇中で強さに関する説明や根拠描写が皆無です。どうしてそんなに強いのですか?

怪人を倒した特殊部隊は、次に口封じのため生き残りの抹殺を始めます。せっかくここまで生き延びた、お人好しぽい医者や、犯罪者だけど温厚な老人なども死んでしまいます。彼らは殺伐とした物語内でコメディ部分の担当でもあり、この人達なら何とか生き残るのではとも予測していたのにまたハズレました。今作では登場人物が頑張っても(比較的)善人でも容赦なく死にます。物語進行のキャラクターへの突き放し具合が、なかなかお目にかかれないレベルで冷めています。精神の有り様と肉体ダメージになんの関連性は無く、銃で撃たれると善人悪人問わず皆死にます。

誰も彼も死んでしまい、残っているのはドイルだけです。そしてドイルは怪人の死に怒っているようでした。残虐狂暴な殺人鬼でしたが彼はそもそも非人道的人体実験の犠牲者であり、今まで何十年と眠っていたのを起こされて、いつものように暴れていたら邪魔だとばかりに殺処分されてしまったわけです。自身が狂暴殺人鬼ではないにしろ、ナイフ使いのドイルと呼ばれるくらいには、暴力稼業に染まっていた自身から見ると、怪人は自分の境遇とよく似ていました。

だから、ドイルは特殊部隊へ戦いを挑みます。どのみちコイツらを倒さないと自分が殺されてしまいます。完全武装の特殊部隊達を圧倒的な速度のナイフ捌きで次々と片付け、リーダーへ迫るドイルですが、このリーダーが強い。めちゃくちゃに強い。さらにこのリーダーのおっさんはかつて任務として、ドイルの家族を始末していたことが判明しました。そもそもドイルが家族の復讐として戦い、逮捕されていたのもコイツのせいでした。激怒したドイルのナイフ捌きがさらに速く苛烈になっても、リーダーは平然と対処してきます。ここのナイフコンバット場面は、殺陣の速さとカメラアングルの巧さもあり、かなりの迫力があります。互いに逆手に持ったナイフを至近距離で振りまくるうえ、舞台が船内通路や狭い船室なため、一手ミスると大怪我する高速戦闘アクションが展開されました。そして両者は目まぐるしく戦場を変えながら、最後には2人とも甲板から海へドボン。
こうして船内に動く者は一人もいなくなりました。

最後は何処かの浜辺へ海から上がって来るドイルの姿。戦いには勝ったのでしょうか。そして続編を匂わす「ドイルの息子」の存在を映して映画は終わりました。

この映画のオオカミとは狼の能力を組み込まれた改造人間達のことでした。つまり「オオカミ狩り」とは、怪人やドイルを始末しようとする謎の組織と特殊部隊チームとの戦いでした。もちろん前半に暴れ狂った犯罪者集団をオオカミと揶揄する意味もあるのでしょうが。

それはともかく、2時間以上の上映時間はアクション映画として、かなり長い部類になります。しかし2時間内に並のアクション映画3本分の展開を詰め込んでいるため、鑑賞中に中だるみや冗長さをまったく感じませんでした。過激な暴力描写は多いけれど、ほとんどが一瞬で息の根を止めるスピード感のある暴力シーンであり、犠牲者を執拗に痛めつける粘着質な暴力シーンは少なく、画面上の出血量に対し意外なくらい見やすい映画でした。過激な暴力描写に注目されがちですが、観客への情報提示も上手で、主要人物の印象付けで注目するべきキャラと状況情報が理解しやすく、伏線回収もきっちり済ませる手堅い造りでした。混迷した反乱劇から三つ巴の戦いへ収束していく展開を情報過不足なしに、観客の集中力をを2時間維持させる構成はかなりハイレベルに思えます。

また、あれだけ登場人物がいながら1人しか生き残らない展開は新鮮でした。欧米映画や邦画だと婦人警官ダヨンは生き残っていたと思うので、女子供でも容赦なく死ぬのは甘っちょろい道徳観ルールへ忖度しない真剣な映画製作姿勢に感じて、個人的にはたいへん好印象です。だからホラーやモンスターパニック映画はもっと女子供がバリバリ死ぬ展開やってください。弱い者に手加減する脅威なんて興醒めすんだよ。

 

この日は「哭悲」「オオカミ狩り」を連続ハシゴ鑑賞したわけですが、双方とも前評判どおりの大量流血映画でした。「哭悲」では凶暴化ウィルスに感染発症した残虐暴徒の群れが大暴れしていましたが、一方の「オオカミ狩り」ではウィルスなんぞに頼らなくても素で獰猛狂暴な犯罪者集団が、手慣れた様子でバンバン人を殺していくので、もしも両者が衝突したならば・・・多分、オオカミ狩りの犯罪者チームが勝つ気がします。凶暴性が同レベルでも手際の良さが段違いというか、ジョンドウ兄貴はナイフ捌きだけじゃなく知恵もまわるので、あの犯罪者集団を哭悲パンデミックに放り込んでもいつも通りに片っ端からぶち殺して、なんなら感染発症しても元からあんな感じだから平常運行のまま勝っちまいそうでさ。


映画感想「哭悲」2022年の大量流血映画

2023-05-27 03:31:56 | 映画の感想

GW中に近場の映画館で面白そうなプログラムで上映していました。去年に内容の惨劇具合で評判になった「哭悲」と、今年の過激な流血バイオレンス映画No.1候補にエントリーしている「オオカミ狩り」どちらも、アジア発の徹底したゴア描写が売りの映画です。それが同日に観れるプログラムでした。上映時間を調べると「哭悲」の上映終了直後に「オオカミ狩り」が始まるタイミングです。いいじゃない。はしごして4時間どっぷり大流血映画を楽しむことにしました。世間だと「ダンジョンズアンドドラゴンズ」や「スーパーマリオブラザーズ」が評判よくて、友人家族と映画をはしごするGWの過ごし方もあるでしょうが、私には愉快で楽しいファミリー向けホームドラマを一緒に楽しむ仲間が居ませんし、自分以外に血塗れ映画を4時間も喜んで観る人間に心当たりがなかったので、自分一人で観ました。

まず1本目「哭悲」
宣伝文句が「史上最も狂暴で邪悪」「内蔵を抉られる衝撃」「二度と見たくない傑作」と、なかなかに仰々しいです。でも内容に対してそれほど大きく喧伝してるわけじゃないんですね。史上最もかどうか知らないが登場人物はどいつもこいつも狂暴な殺人鬼ばかりですし、内蔵を抉る殺傷場面もありますし。それで二度と見たくない件についても同意します。観るのは1回でいいと思いました。ちなみに台湾の映画で、日本とも香港とも違う素朴さの残る街並みの中、惨劇が起こりまくる画面の雰囲気は独特な湿度の高い陰惨さがありました。
そんな映画の感想を3つのポイントから書いていきます。

 

1.ゾンビ+サイコスリラー=変態殺人鬼の集団発生

この映画はいわゆるゾンビパニック映画の亜種です。バイオハザード以降のウィルス感染した患者が凶暴化して人間を襲うタイプのゾンビ映画と同じフォーマットですが、哭悲のウィルスは人間をゾンビ化ではなく単純に凶暴化させます。食欲で襲っているわけではなく、攻撃衝動を抑えきれなくなる症状なので、知能が落ちることもなく、感染者達はそこらへんにある刃物を手にし、見事なチームワーク連携を組みながら非感染者を襲います。このウィルスは空気感染力するうえに、感染者達が凶器を振り回して見境なく他の人間を襲うので、血液感染しまくる機会にも事欠きません。
このウィルスの厄介なところは、感染から発症までが異常に早く、先程まで被害者だったのが傷口に血が入ると、わずか数秒で狂暴な殺人鬼に変貌してしまうところで、まったく時間の猶予がありません。さらに発症後には攻撃衝動や性欲が異常に促進され、理性が効かなくなるのに知性は下がらないため、感染前からやべー奴はタガが外れて手が付けられない凶暴性を発揮します。
ここまでがゾンビ的な危険度。

この映画のメイン悪役のおっさんは、パンデミックが起きる前から女主人公に粘着質な絡み方を続け、拒絶されるとブルブル震えながらブツブツ独り言で怒る、人格的に困ったおっさんです。それがウィルス感染すると、殺人レイプにいっさい躊躇しない狂暴変態おじさんにクラスチェンジしてしまいました。そして女主人公をレイプしようと執拗に追いかけてきます。
これが変態ストーカーによるサイコスリラー成分。

ゾンビよりも数段賢く、チームプレイの上手い感染者から、数秒で発症するウィルスがどんどん広まっていき、対策がまったく取れないまま状況は悪化の一途を辿ります。市街地に流れる緊急放送ではイキリ立った感染者が暴言を吐きまくり、臨時ニュースの国営放送内で大統領が護衛の兵士に惨殺されます。もはや街には正気な奴など誰もいません。

 

2.危機に立ち向かえない登場人物たち

この映画には主人公が2人います。OL勤めの女主人公「カイティン」と、その彼氏の男主人公「ジュンジョー」の2人。物語を要約すると、暴徒パニックが起きた街で狂人から逃げ回る彼女と、それを助けに向かう彼氏の話です。けれど主人公達にはあまり共感できませんでした。


女主人公は今どき珍しい、泣いて逃げ回り助けを求めるばかりの弱い女性。80年代からホラーアクション映画の女性は皆戦うヒロイン化が進み、自ら積極的に危機に立ち向かう姿を見慣れてるせいか、今作のカイティンさんは泣いてばかりで自助努力が足りない気がします。最後に1回だけ戦うけど、他はずっと泣いてばかりです。


一方で男主人公は助けに行くとは言うものの、行動がモタついてなかなか話に絡んできません。寄り道しているのか、通りすがりの狂人達にちょっかい出して、逆に殺されそうになり逃げ出したりと、本筋に影響しないような動きがちらほら見えます。彼女を助けに集団殺人鬼がウロウロしてる市街地を突破しなきゃいけないのに、武器は拾った草刈りカマ、防具は何もなしの軽装、乗り物はスクーターと、甚だ心もとない軽装備で行っちゃうんだ。それで到着した頃にはとっくに感染発症していたという、まったく頼りにならない彼氏でした。

この映画はゾンビパニックと殺人鬼スラッシャー系映画の定番演出がそこかしこに見えるのだが、特に顕著なのがうっかりミスは必ず死亡フラグに直結する点。後ろがガラ空きならば後ろから殴られて殺されるし、つま先が出過ぎていればそこを攻撃されるし、落ちた斧を放置しとくと敵が拾って後から襲ってくるんだよ。そういった小さなミスが命取りになって、味方の人員や対抗手段がみるみる減っていきます。総じて登場人物全員が迂闊な行動を取るので共感して一緒に怖がるよりも、状況判断の甘さにイラッと感じる場面のほうが多いくらいでした。ドジな人達が勝手に自滅していった側面もあります。

基本的に「立ち向かう」意志を持った登場人物がいないため、ただ怯えて泣いているだけの人達がそのまま惨殺されていくのは自己責任ではないかと思えてなりません。殺人暴徒から運良く隠れた男がいるんだけど、そいつは隠れながらただ耳を塞いで怯えるだけなんだよ。それで後から別の暴徒に見つかり引きずり出されて惨殺されるんだけど、時間的な猶予はけっこうあった筈なのです。なだれ込んで来た暴徒達が殺戮しまくったあとに乱交モードに入ったあたりから、斧なり鉄パイプなりの武器で1人づつ背後から仕留めて行くやり方もあっただろうに。ゾンビゲームの攻略はそうするもんですが、その男はしないので相応の惨たらしい死に方をしました。

ちなみに最も気持ち悪い宿敵だったレイプ殺人鬼化したサラリーマンおじさんは、女主人公から頭が無くなるまで消化器殴打をくらって死にました。ここでメインウエポンの斧を落としたので、主人公が拾っておけば後に起こる悲劇も防げたハズなのに。

 

3.最後まで救いのない物語

終盤に女主人公はウォン博士という閉鎖区域に立てこもった研究者に助けられます。ウォン博士は現状のパニック発生前からウィルスの研究を続けており、危険性を社会に発信していたのに誰も真剣に聞くことなく、悪い予測は的中してしまいました。やっと現状に立ち向かう意志を持ったキャラクターの登場です。

彼がウィルスの性質やパニックへの対策など全部まとめて説明してくれました。女主人公が発症しないのは抗体をもってるおかげらしく、それを元にワクチンを作れるかもしれません。外部に救助連絡は伝えた、もうすぐ屋上にヘリコプターが迎えにくるから脱出だ、博士と女主人公が閉鎖した研究室から出たところで早速襲撃を受けます。ストーカーおじさんをブチ殺した時に落とした斧を拾った奴がいます。またこのパターンだ。迂闊なドジが死亡フラグ。曲がり角からわずかに踏み出していたつま先を斧で叩き切られて博士がダウンします。全身防毒服で覆っていても、刃物で切られたら意味ないんだ。博士ウィルス感染。そこにすっかり感染しきった男主人公も到着し、役に立つ味方はどこにもいません。いや、博士は死ぬ直前まで必死に正気を保っていた。もう逃げるヒロインしか残っていませんが、彼女がヘリの待つ屋上へのドアを通って姿を消した直後に機関銃の銃声が鳴ったので、彼女も死んだようです。

 

それではエンディング。スタッフロールを眺めながら内容を思い出すと、この「哭悲」ではゾンビ映画からもう一歩悪趣味度合いを進めて、暴徒が一般人を殺すだけではなく、残虐にいたぶり拷問強姦の果てに殺すという、胸糞悪い要素を増やしているので、事前情報を仕入れた時点では若干気後れもあり、鑑賞には覚悟を決めて観ました。しかし実際の場面は画面外での動きや音での演出が主であり、宣伝で煽るほどの直接的な残虐シーンは多くありません。流血量は半端なく多いし、一部はもろにグッサリ刺さる場面もあるけど、それらが意外と抵抗なく見れたのは、被害者達に対してぜんぜん共感できなかったのが大きい理由です。ひどい目に遭ってるけど可哀想とか助かって欲しいとかちっとも思えず、話の通じない狂人集団相手なんだから、隙あらば自分から殺しに行く積極性がないと敵の数ばかりが増えてジリ貧です。今まで観てきたゾンビ映画では、こんなに立ち向かわない人達は居なかったので、哭悲では誰にも共感できず応援する気にもならず、半分過ぎたころにはすっかり感覚が麻痺して、流血殺傷シーンに慣れてしまいました。だから宣伝文句の「二度と見たくない傑作」は半分該当します。二度見る楽しみを見い出せませんでした。誰視点で見ればいいの?カイティン?私はああいう泣いてばかりの女性は嫌いです。

2022年の最大流血量映画だったらしい「哭悲」を観終わりました。それで約10分後から2023年の最大流血量映画候補の「オオカミ狩り」が始まります。次の映画ではドジな死亡フラグは控えめでお願いしたいところです。登場人物の皆さんは危険と真剣に向き合ってください。真面目に抵抗してください。


「愛のテーマ」が嫌いです。

2023-05-11 01:34:46 | 好き嫌い趣味

昔の映画には必ず「愛のテーマ」なる、かったるいBGMが付き物でして、私はそれが大嫌いでした。きっかけは幼少時に買ってもらった「映画音楽集スペクタクル・アクション編」というカセットテープでした。まだCDが一般的じゃなく、自動車内で聞ける音楽はカセットテープが主流だった時代です。

買ってもらったその日のうちから、帰りの自動車の中でテープを流してもらいました。しかし、どの曲もタイトルのスペクタル・アクションの題名からは程遠い印象のゆったりした退屈な曲ばかりが続きます。しかも収録されてる映画タイトルも全体的に古臭い。「ベン・ハー」「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」他にも聞いたこと無い古いタイトルがメインで、そうしたタイトルに限ってどれも収録されているのが「愛のテーマ」ばかり。くっそ退屈でつまらない音楽ばかり、半分以上が聴きたくもないハズレ曲揃いの残念ラインナップでした。

たまに「レイダース(インディ・ジョーンズ)」や「スターウォーズ」に「スーパーマン」など派手に盛り上がる曲も混じっているけど全体的に少数派でした。それで今と違いCDじゃないので聴きたい曲を即頭出しもできず、早送りを手作業で進め、好きな曲の位置まで毎回調節うするのも面倒でな。おかげで私にとって「愛のテーマ」てのは鬼門です。忌避対象です。大好きなメタルマックスの「愛のテーマ」すらかったるくてまともに聴く気になりません。

それでも唯一例外的に好きな「愛のテーマ」が一つだけ存在します。映画「さよなら銀河鉄道999~アンドロメダ終着駅~」で主人公・星野鉄郎くんがメーテルと再会する場面でかかるあの曲。神々しいほどに美しいメーテルと再会した鉄郎の歓喜の表情、そして互いの深い思いが交錯するのにふさわしい盛り上がり。この「愛のテーマ」だけは別格です。

そしてこの「愛のテーマ」は再会場面だけではなく別れの場面でも流れます。当時小学生だった私はこの別れが見ててあまりに辛く、エンディングが流れている間まばたきをしませんでした。だって映画が終わったらもうメーテルに会うことはできません。網膜に焼き付けるつもりで必死に凝視し続けました。そのくらい銀河鉄道999の「愛のテーマ」は私の人格形成の根本に突き刺さったまま、未だに抜ける様子がありません。

使い方といい流すタイミングといい、この「愛のテーマ」は効果が強すぎる劇物です。今でも聴くと、幼少時にトラウマと性癖をひん曲げられた衝撃を思い出します。

この映画、メーテルの登場が半分あたりからのうえ、鉄郎は黒騎士ファウストとの戦いも努めなければならず、どうしてもメーテルの出番と台詞が少ないのですが、本人が出てこなくとも故郷の星ラーメタルの古城に肖像画がかかっているなど、前作では終始謎の女だったメーテルの周辺事情が見えてくるため、本人がいないのに気配はやたらと濃密だったりします。そして999乗車後にはメーテルの方から「どこかの星で死ぬまで一緒に暮らしましょう」とアプローチしてきます。これ前作で鉄郎が機械伯爵を倒した後に「君さえ良かったら・・・いっしょに暮らして欲しいんだ・・・」とメーテルに告白した構図の裏返しになってます。劇場版2作は互いに鏡合わせのように対象的な構図があちこちに見えて、特に顕著なのがラストシーン。前作では999号に乗って去っていくメーテルを見送る鉄郎の姿で終わり、さよならでは鉄郎を乗せて飛び去る999号を見送るメーテルの姿で終わります。そいで、これまでどうにも内面の読めない謎の女だったメーテルが感極まった様子の独白を流します。

「あなたの青春と旅したことを私は永久に忘れない」

「さようなら、私の鉄郎」

普段のクールな態度から随分とギャップのある執着が見えます。案外重い女だったメーテルにクソデカ感情をぶつけられて映画は終了、しませんでした。ここからさらにダメ押しの名エンディングテーマ「SAYONARA」が始まります。歌詞に込められたメーテルの悶々とした超特大感情、セピア色の回想場面、故郷へ向けて歩き去っていくメーテルの後ろ姿、私の知る限りでこれほど緊張感みなぎり心休まらないスタッフロールを他に知りません。少年の心をザックザクにえぐり、性癖をがっつり歪ませてあの人は去って行きました。なんつー映画だ。

 

というわけで、自分にとって「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」は他のアニメ作品などと違い、幼少時のトラウマに直結する特別な映画です。こないだの休日に劇場版「銀河鉄道999」「さよなら銀河鉄道999」を連続で観たので、あの頃の記憶が蘇り、作品についてあれこれ考察してしまいました。999にはTV版・漫画版・劇場版があり、それぞれが3つとも別作品扱いなので、どれが原作だの正史というわけではありません。基本的にどれもが最後の星へ到着後に鉄郎はメーテルと別れて、一人で地球に帰る内容は同様です。
しかし、劇場版だけがその後にもう一度旅立ち、メーテルと再会する展開に続きます。もう2度と会えないと思っていた人と再会できる。それは鉄郎くんじゃなくても再起するさ、言えなかった言葉、伝えられなかった思い、いっぱいあるだろうさ。そして再会したら今度こそ完全に取り返しのつかないような劇的な離別を経て諦めるんだよ。そういう苦い物語なんだよ。999に限らず、もう会えないと思っていた人と再会できる場面は心に刺さるんだよ。脱線するけど「水の森」という漫画で、主人公の兄妹が1年前に亡くなった養親の墓参りしてると、そこに死んだ養親(叔母)がひょっこり現れる場面があります。これは作中に奇跡を起こせるキャラが居て、そのキャラが養親の亡くなる前の1日だけを1年後に飛ばす奇跡を起こした結果で、彼らは生前に伝えられなかった思いを交わし、満足してお別れが出来ました。何が言いたいのかつーと、一度完全にお別れした人との再会は強烈にメンタルを揺さぶられるシチュエーションです。自分にとっては999に植え付けられた性癖です。
そこで再会した後にまた別れるのかよ、メーテルさん。ひでー女だな。幼少時にまぶたに焼き付けるつもりで凝視した彼女の後ろ姿は、今でもありありと思い出せるほど鮮烈でした。


そーいや、コミックス1巻表紙のメーテルは、後のイメージと違って若干幼い顔立ちだったのを思い出し画像検索しました。

「銀河鉄道999 ANOTHER STORY アルティメットジャーニー」

なにこれ。
あらすじになんやかやと設定が書いてあり、最後に「そして、鉄郎は3度目の「銀河鉄道999」での旅に出るのだった…」え、3度目の旅立ちですか。そしてメーテルとまた再会するんですか。劇場版「さよなら銀河鉄道999」から続く物語なんですね。

もう会えないと思い、映画のエンディングテーマ「SAYONARA」をまばたきもせずに見つめていた当時の私がバカみたいですね。感動して損しました。